竹澤 龍造

   
   
 
一は竹澤龍造と云ひて浅草猿若町に住ひ後進を稽古の傍ら間々寄席に出勤して冴へたる撥音に好評を博せるもの。
丈は年十三にして初めて三代目竹澤龍造の弟子となり龍八と呼ばれて一意三味線を修業し、二十五歳にして燕平と改名し、去る明治二十年の頃ほひ師の勧誘(すゝめ)により其名跡を襲ふて竹澤龍造と改名せり、丈が初めて寄席に看牌を掲げたるは、その燕平と呼ばれし時にして席は其当時(ころ)下谷池の端にありしドン/\亭なりし、初め和田太夫を弾き後ち筆太夫、土佐太夫等を弾きしが、今の名に改めし後、一とたび竹本識太夫(今の岡太夫)を弾きたり、近来豊竹駒太夫、竹本織太夫などの一座に屡々加はりて各席に出勤したりしが目今休席して専ら後進を教授しつゝ在り
【義太夫雑誌33:12評判】