竹本 都
曩に阪地都保美連の花方として好評ありし嬢は本年三月東都に上りし以来花方の真打として盛の花を各席に咲かしつゝあり、今その略歴を聞くがまゝ左の之を紹介して聊か花方を彩るの葉を添えんとす。嬢は素と備前国岡山の生(うまれ)にして幼(えう)にして母を亡ひ父の手に養育されしが父偶々眼病に罹り癒えすして盲目となるに及び平素其父好みて義太夫語れるより此際父は嬢をして斯道を修めしめんとて携へて大阪に赴きたり是より嬢は時、此、染の三太夫及び勝鳳等に就て専心斯芸を修め十六際の頃より播重席に出席し常に少からぬ好評を博せりとぞ
【義太夫雑誌 44:16評判】