豊竹 湊吉

   
   
 
重之助一座の助として切三(きりさん)に据り傍はら大八の絃を弾きて到る所に好評あり其語り口の確りしたる所は頗る東猿に似たる芸風あり、嬢は先代湊玉の門人にして在阪の頃は常に播重、金城等に出席せり彼の少年の大八が好評を博する語物の多くは嬢の教練に成るものなりと聞く、嬢の合邦、逆櫓、御所三等は聴くべき価ありといふ、
【義太夫雑誌54:16面影抄】