竹本 美濱太夫

   
   
 
試みに丈の芸品を評せんか、寂なる中に一種の興味を存し、何を語りても面白く聴かしむる所が蓋し丈の長所にして喝采を博する所以も又茲なるべし、元来自在に巧みなる語り振りなれば、左程豊かなる咽(つゝ)にあらざれど松波琵琶、弁慶上使などの大物もこなし得べく、然り乍ら何れかと言へば、先づ世話物の方が聴客の受能く、就中段中に滑稽味ある語り物に至りて丈の最も得意とする所なるべく、四ッ谷怪談の伊右衛門住家、宵庚申の八百屋半兵衛内など旨いものと謂ふ可し、尚恋女房沓掛村の如きは世間既でに好評あるもの総じて丈は浄瑠璃道は至難とせる最も詞多き世話場に於て何時も喝采を博し得るは其鍛錬し腕の程をも想はれて床し、是を美音艶受にのみ客を呼ぶ輩に比して伎芸の真価、其差果して幾何ぞ、因みに曰ふ丈は始め灘太夫と称し後ち明治十八年の頃今の名の美濱太夫と改め、晨に織太夫一座若しくは国五郎の床に出席せしが今や休席して要太夫と倶に牛込に於ける斯道の二老練と称せらる、
【義太夫雑誌28:14評判】