豊竹 まねき

   
   
 
喜昇軒既に老いて田舎を廻り居れば丈はチヤリ語りとして今や唯一の愛嬌太夫とも謂ふべし丈は元来故竹本弥儀太夫の甥にしえ幼より伯父に就きて学び弥儀太夫の没後弥太夫に学ぶ所あり、昨年五月始めて東都に於て斯道の鑑札を享け仝七月豊竹生駒太夫の一座に加はりて北海道地方を興行し帰京の上本年六月上より豊竹和国太夫一座に入りて築地青柳亭に出席せり丈が出席当初の語物は佐倉曙長久寺にして何処の寄席に出づるも初日は同曲を語るを例となせりとぞ
【義太夫雑誌57:12-13面影抄】