鶴澤 九蔵
十余年前は東都の斯道社界に知られたる名腕を思ふ所ありてや自ら納め埋めて今は蟹が這ふ横浜に移り住居て後進の稽古に余念なく、浮き世を奇麗に老ひ澄して稽古屋を営みつゝある鶴澤九蔵丈は、元来坂地の出身にて初め若かりし時は太夫として文楽座に出勤なし居たりしが、自ら其芸に満足せずして中年飜がへつて三味線専門となり、数多の名人太夫を弾き来りしが,十余年前斯芸外の要件を負びて堀田瑞松氏とともに上京せし以来足を東都に停むる事とはなりぬ、丈素(も)と頗る伎芸に熱心にして身を芸道に委ぬるに於ては殆ど他を顧みず、是の故に弟子を教ふるにも懇切丁寧克く其伎芸の神髄を腸に染み込ましむ、彼の先年上京して春木座に出勤せし俳優時蔵(はりまや)が嘗て丈の弟子を稽古なし居るを傍に在りて聴き其芸道の熱精なるに感じ入りて遂にその門人となりたるを以ても如何に丈が伎芸に精錬なる歟をも推し得べし、尚ほ丈が数十年間伎芸上に於ける閲歴は他日聴き得たる上にて再び本誌上に紹介するの折あるべし
【義太夫雑誌39:22-23評判】