竹本 京勝

   
   
 
今を去る十有余年の昔、竹本京枝が上京の当時より今に至るまで始終師の京枝の一座に居据りて各席に好評を博せる竹本京勝嬢は初め豊竹蟻玉、竹本土佐太夫(播磨翁)等に就て学ぶ所ありしが嬢が十九歳の頃より今の師なる竹本京枝の門に入りて京富と名乗り彼の新旧睦の分立せし頃一度師と倶に竹本小政と合したる事あり、後、函舘、東北及び千葉の各地方に至ることありとも嘗て師と起居を倶にせざるなく、克(よ)く其一座の切前(もたれ)として演芸に忠なるもの、昨年九月都合ありて京勝と改名し以て今日に至る、其語物中尤も好評なるは秋津島切腹、阿漕浦、勘平浪宅等にして躄瀧場、本蔵下邸抔亦頗る聴くべき曲(もの)なり
【義太夫雑誌47:19-20評判】