鶴澤 小庄

   
  
 
丈は素(もと)鶴澤友次郎の門に育ちたるが師の没後は今の野澤吉兵衛の預る所となれり、丈始め本名なる寅次郎の名を以て十三歳の頃より阪地の文楽座に出勤し永らく同座に在りて竹本殿母太夫等を弾き居りしが去る廿八年中八代目(今の猿糸、文楽座出勤)の後を承けて九代目小庄と改名せり、一昨三十年七月始めて上京し播磨太夫一座に加はりて同座の切前(もたれ)なる竹本越太夫(前の豊後太夫)を弾人(ひきて)となりたるも目下は同座を辞して休席しつゝ在り、丈や年未だ若く東都弦界の花方なれば樹振りよき太夫の枝に咲き匂はんこそ望ましけれ
【義太夫雑誌 44:16評判】