竹本 重之助
嬢は元来東都に生れ甚て豊竹和国翁に就きて学びたる事ありしが後ち阪地に赴むき鶴澤重造の門に入つて重之助と称し傍ら鶴澤才治に修むる所あり、去る二十九年始めて阪地金城席に出席して好評を博せり、昨年三福、湊吉等と倶に大阪を発し名古屋、豊橋、静岡、沼津、小田原、横浜等を打ち廻りて本年三月上京し新富座に初お目見得の看牌を上ぬ、嬢が語物中好評なるは佐倉曙儀作切腹、本蔵下邸等なりとぞ、
【義太夫雑誌54:16面影抄】