鶴澤 市太郎

   
   
 
丈は素(もと)豊澤団平の門に生長(ひとゝな)り、始め小三郎と呼び十二才より文楽に出席し伎芸に見所ありとて師より丑之助の名を譲らる、先年組太夫と倶に緑太夫を弾て上京し以来東都に止(とゝま)る、後岡太夫路大夫などを弾きしが播磨太夫を弾くとの談調ひて四代目市太郎と改名せしが恰も文太夫の上京して一座に加はる事になりしを以て播磨は重太郎を阪地より迎へ、丈は文太夫を弾く事とはなりぬ、
【義太夫雑誌55:10面影抄】