竹本 広登司
素(もと)名古屋の出身にして鶴澤文次郎に学び、始め文司と呼びしが後ち長広の門に入つて広登司(ひろとし)と改名なし一座の口四枚には頗る聴答(きゝこた)へありとの評あり
【義太夫雑誌 52:18面影抄】