竹本 広勝

   
  
 
嬢は始め竹本光花に就て学び、初めて阪地法善寺の今嘉席(いまかせき)に出でたるか、後ち長広の門に投じ同師の前名を承ぎて今の名の勝広と改めぬ、又傍ら鶴澤勝鳳(しやうほう)に就て学ぶ所あり、忠臣講釈喜内住家、菅原佐太村の如きは同師より得たるものなり其他の語物は多く長広に出来しもの、就中嬢の十八番とも云へるは、躄瀧場、油屋十人伐にして朝顔宿屋、日吉丸三段目、など是に次ぐものなり
【義太夫雑誌 46:18評判】