豊澤 兵造

   
   
 
音〆の艶やかなるを以て夙に賛称を博しつゝある豊澤兵吉が秘蔵の門人として好評ある丈は、その始め梅鳳と名乗り、去る明治廿四年始めて上京して、彼の吉田冠治の人形一座に加はりありしが、仝年六月より、豊竹広兵衛に入り、広造と名乗り、師と倶に各席に出勤せり、一昨年中師の広兵衛が兵吉と改名するに■(およ)んで丈も亦兵造と改め倍々斯芸を励精して、今は前途頗る望みある若手中の好評者とはなれり、其弾を振り撥捌きの能く師の面影を写し得たるは正に修業の効とや言ん丈や此上とも愈〃益〃修業を重ぬるに於ては天晴の絃手(げんしゆ)となるも蓋し遠きにあらざるなり
【義太夫雑誌50:21-22評判】