竹本 播志磨
その語り口の小清に似たる所ありとて、ドースル連以外、真の好デン家の好評する嬢は同地位の輩中優に一頭地を抜んで老熟なる語り振り熱心にして、その情を語りて感ぜしむるもの少からず、嬢が手解(てほどき)きの師といへるは素大阪の素人に其人ありし豊竹万寿軒にして、其後ち鶴澤勇亀の門に入り亀之助と名乗り端席(はせき)に看牌を上げたる事あり、後ち亀八、小巴津等と倶に地方を興行せり、去る廿九年中豊沢豊造の門に入り豊三と名乗りて小土佐、土佐玉の一座に加はりぬ一昨三十一年一月より改めて播磨太夫の弟子分となり播志磨と改名して各席に出勤し今尚豊造の許に通ひて倍々斯芸を励みつゝあり、嬢が尤も得意物として好評あるは、時代にては蝶八、御所三、世話にては野崎村、壺坂等その他玉三の金藤次、日吉の五郎助など頗る好評なるものなり
【義太夫雑誌50:22-23評判】