豊竹 播駒

   
   
 
嬢は元来名古屋の出生にて始め同地の豊竹駒吉に就き駒福と名乗しが後ち竹本播磨翁に学び各師の一字を採りて播駒と改名し、傍ら豊澤新八にも学ひたる事あり、一昨三十年八月下阪して呂昇門に入り都保美連に加入(くわは)り今は傍ら住太夫、勝鳳、叶等に就て学ふとぞ、其語物中、和田三、恋十、新口の如きは聴くべきものなり
【義太夫雑誌46:19評判】