竹本 花米

   
   
 
今や出馬の乙女義太夫中、将来第二の花形として好評ある二葉草に乏しからざるが中にも、芽生の色尤も艶やかに芸品をさ/\老輩に譲らざるは天晴れ花の中の花米嬢ならんか、嬢は芳紀(とし)未だ十歳に満たずして口三四枚の地位を占むるもの其伎芸の上達にあらずんば克(あた)はず宜なり六才より竹本友花の門に入りて専心一意芸道に出精し、去三十年の春師の糸にて越子一座に加はり初めて東橋亭に出席し其後わら店(だな)亭開場の興行に鈴ヶ森を語りて大に喝采を博し以来小浅の糸に頼りて久しく越子一座に出席し同一座と倶に北越及び仙台地方を興行し帰京後暫らく福之助の糸にて出席せしが先頃より旧師花友の一座に帰して越造の糸に改まりて友之助一座の花を彩りつゝあり嬢が数多き好評の語物中尤も客受よきものは、鈴ヶ森、三勝酒屋、白石揚屋等なり
【義太夫雑誌38:20評判】