野澤 語左衛門

   
   
 
丈は語助の門中有数の弟子にして初め語作と呼びしが明治五六年頃より語六と改名し一昨年の暮、三代目の跡と襲ぎて四代目野澤語左衛門となれり、語六と呼ばれし時代にも各所の寄席に出勤し数多の太夫を引て少からぬ好評を博したりしが数年前より稽古屋専門となりて素人連及び後進の教授につとめ居れり
【義太夫雑誌56:18-19面影抄】