竹本 源之助

   
   
 
斯芸界の曹植、庭■(きん)などの如く七歩八叉の芸才なしといへども年少の頃より芸道熱心にて、記臆に富み師匠の教を享けたる一段中、詞にまれ、節にまれ能はざる条(くだ)りは始終考へを凝らし練習の為め水凍る寒夜をさへ徹すること屡々なりしが此刻燭の励精は其効空しからず年二九にして既に各席の切三を許さるゝに至れり、腕の冴、音声の出振まで格別に神妙なるは侮る可からさる芸品なり元来咽(のど)豊かならず、流麗ならず、詞巧みならず、節妙みならず何を以て独得の技となす節詞を太切に丁寧に目前を語る抔の卑劣もなく文句を活かし情を放さぬといふ心懸許りを一妙として祟ぶ処、今や芳紀(とし)季隗(にじうし)に至らざるに早く既に風評(うわさ)の高きは三絃(いと)の音色に響き渉り達物株を以て目せらる容姿は桃葉の美なく其人気を吸収する彼れが素養の手腕一片のみ年十三にして郷里名古屋より母を伴ひ故父の許を得て大阪に来り文楽座の源太夫を師とし三弦の朱譜を会得し弥太夫丈に就き段物を専ら修得し吉兵衛丈に倚りて三弦を習ふ其伎芸の筋合正しく間然する処なし其彼れが修業中の越歴を問へば人知れず一滴涙を落したる場合もありたりと人一人何物か芸道修業に付多少の艱苦を嘗めざるものあらんや其語物としては飯椀岩井風呂太十其中の各人形克く活るが如きは敏腕ならずんは能はず前途一層勤めて怠らざれば天晴れ屈指の地位を占むべし古諺に油断大敵と此四字を借りて彼れに贈らんかな
【義太夫雑誌37:16評判】