豊澤 猿之助

   
   
 
今や都下各席に出勤の三味線弾は概して若手多きが中に尤も敏腕の聞えあるは豊澤猿之助丈なり、丈は目下東都に於ける斯道の名手豊澤松太郎丈の子にして、十歳の頃ほひより豊澤広助の門に入りて専ら至芸を励み、出京後父と倶に、寄席を同ふしそれが膝下に在る事とて芸道ます/\上達し今は天晴れの秀芸となれり、丈は始め惣太郎と呼ばれしが、昨年九月猿之助と改名以来、父と倶に朝太夫一座に出席し目下同座の切前(もたれ)竹本碧太夫を弾けり、其気込と云ひ、構へと云ひ、総て父の芸風を写して其儘とも言ひ度俤あり、丈や齢(とし)未だ廿三修業の春秋富みて余りあり、励みて怠るなくんば将来名人の地位に進まんことを敢て難きにあらざるなり
【義太夫雑誌35:14評判】
 
 
高木宗太郎 明治9.10.21 日本橋区蛎殻3-11 【芸人名簿1915.5】
 
参照 此君帖 豊澤猿之助