鶴澤 猿二
丈は今や東都の斯芸界に遠(とほざ)かりあれば人の記臆に存すること少けれども其師を言へば敏腕と噂されし故鶴澤燕三の門に出で、其系流を言へば嘗て東京斯道組合の頭取たりし故竹本文字太夫の養子たり、丈は元来三河国(みかわのくに)豊橋の出生にして明治十五年始めて出京し、前記の燕三に就て斯道を納め、廿四年中東橋亭主人なる竹本倭(やまと)太夫の斡旋にて文字太夫の養子となりしが、間もなく坂地に下り専心一意斯芸を黽(つと)め廿八年帰京して暫らく各席に顕はれしが、養父の没後生地豊橋に引退し、今や専ら稽古屋を営みつゝあれども近々帰京して再び出席すといへば暫時耳にせざりし丈が手腕に幾多で精の光りを増して定めて好評の花や咲かんこと遠きにあらざるべし
【義太夫雑誌47:19評判】