竹本 綾之助

 
綾之助姓は藤田名はその明治八年八月大阪南区に生る四歳の時藤田かつ(実母の姉)の養女となり九歳初めて義太夫を養母に学びしが強記(おぼへつよき)の性にて進むに速く実に人をして驚かせし程なり十歳にして上京暫く綾瀬太夫の門弟(でし)となり落語(はなし)の一座に加はり各席を興行せしか特(こと)の外評判よく十一歳の十月初めて一枚看板を掲ぐ其時新柳亭にて興行せしに人気並びなく千今衰ふるなきは実に栄(えい)なりと云ふべし特(こと)に謀反にて演伎(かたる)するは最も人の感する処且其音声(こゑ)の優美なるは今回投票せし五名家の一人美音家に当撰せしにても知らる越後名古屋函舘地方より屡々興行を進むる者あるも未た一回も出でしことなしと以て府下の人気を知るべし
【義太夫雑誌6:6-7竹本綾之助小伝】
 
下平右衛門町十八番地藤田カツ方同ソノ事 竹本綾之助
 
参考 竹本綾之助艶物語 (国立国会図書館デジタルコレクション)