竹本 朝太夫

   
  
 
当時東京に於て一枚看牌を以て最人気ある義太夫芸人といはゞ婦人(おんな)にては竹本綾之助、男子(おとこ)にては竹本朝太夫を推すとも誰あつて否といふ者はあらざるべし何となれば他に本芸の達人ありて多数の客足を惹とはいへども之等皆中入前(もたれ)に某(それ)が語りスケに誰が出るといふ如く幾分か補助せらるゝ所ありて聯帯責任は免れず然るに朝太夫丈の如きは全く一人の顔にて東京の人気を得殊に婦人社会を招くべき最大の引力あればなり偖其芸品は音声十分にして艶に富節廻しに一種独得の面白味を有し詞真に迫りて意気込機敏なり之を他の芸品に譬へなば寺島流の演劇(しばゐ)の如く三遊派の人情噺の如く能く婦人(をんな)にまれ素人にまれ解得(わかり)やすく感動を与ることの巧みなる所が即ち人気の投ずる所以なるべしさりとて義太夫聴天狗の人には不向かといふに誰も聴て唯々其面白味に感じ知らず/\曲の終るを惜しむ場内誰あつて欠伸をする者あらざるなり其出物(だしもの)の中茜染聚楽町、梅忠新口村、明烏山名屋、廿四孝十種香など皆出来良きものゝ部なるが就中阿波鳴戸巡礼場の如き余三四度聞たれども今に其出物としいへば幾度にても聞たく想ふ程の絶技なり先其大要を述んに初めのふだらくやの巡礼歌音声豊富にて十分にきかれ夫より「余所の子供衆がかゝ様に髪ゆふて貰ふたりのあたりよりシク/\鼻をすゝりて泣声ながらに言ふ所余程精密(こまか)く他人は此人程此所に力を用ひず聴衆(きゝて)に感動を催さしむる要点の一ツ箇所なれば斯く迄注意するなるべし「名残が惜い別れともないコレ今一度顔をと引寄て」のユリより「それと知らねど誠の血筋あたり節の周到(ゆきとゞき)かたには感賞の外なし。十郎兵衛がお鶴に金を持て居るかと尋ねる所「何じや小判がたんと有アノ小判がといふ呼吸絶妙それより女房帰り来り「ヲヽこちの人戻つてかサア/\ちやつと往て尋て/\」と夢中になつて騒ぐ気込お弓其人を見るやうなり又「何じやアノ笈摺かけて」と軽く言て「アノ茜染に中形」と一大驚愕の所其意気込は無類飛切十郎兵衛は熱血の迸(ほとば)しるを耐へて無理に落着「ソレそこの蒲団の内によふ寝入て居るはい」といふ思入れ女房は何も知らす「いかに草臥て居れば迚からげもおろざず笈摺もかけたなりドレ/\帯といてゆつくりと」いふあたり一は無量の悲痛を忍んで故意(わざ)と沈着(おちつき)を粧ひ一は急激の歓喜(よろこび)に雀躍たる所人情の反対を咄嗟の応接に語り分るは変化に最至難とするにも拘らず能く其情況を写し出す太夫の妙技こゝにあり多数の人気を得る点も亦斯に在り是より夫婦悲嘆の口説十分にして満場の涙を誘ふ妙味絶調、蓋此語物は得中の上位を占るなるべし総て詞は眼前に其人物躍出するが如く地は節尻に一種の旨味あり扨こそ多数の人気に適ひ東京の各席到る処として大入を占ざるなきは偶然にはあらざるなり
【義太夫雑誌23:14-16評判】
 
 
参照 此君帖 竹本朝太夫
 
新吉原京町二丁目三十五番地 正木丑之助事 竹本 朝太夫