竹本 朝子太夫

   
   
 
丈は素名古屋の出身にて今より七八年前(ぜん)同地の鶴澤大吉の門に入りて修業し傍ら竹本宮太夫及び竹本土佐太夫(前の浪越太夫)に就て学ぶ所あり、其後土佐太夫の斡旋に因りて去る明治廿九年九月初めて東都に上り、竹本朝太夫の一座に加はり豊澤雷助の絃にて同月花川戸なる東橋亭に出席せしが初御見得にして、以来今に至るまで嘗て同座を離れたることなく朝門(てうもん)の若手として将来頗る望みありとの評判、その語物中、太十、鈴が森、十種香等は客受けよきものなり、尚この上とも怠らず倍々磨き励むに於ては上達昇進疑ひなし
【義太夫雑誌48:16評判】