竹本 相瀬太夫

   
   
 
竹本綾瀬翁が多くの門下を養成したる中、夙に其門に入り翁が在坂の節就て大に学ぶ所あり疾くより相瀬太夫と名乗て坂地の各席に出勤し数年前、新呂額、の太夫等と倶に東北先代辺より北海道地方に興行なしたる事ありしが去る頃上京し久し振りにて師の綾瀬翁に面会し暫らく滞在する中、和合、鶴寿、浅草等の素人連の勧めに黙止し難く遂に這回東都に於て看牌を上ぐる事となり、岡、和国の二丈をスケに喜昇軒を切前(もたれ)とし竹澤龍造の絃にて本月一日より中橋祇園亭に於て初看牌を挙げぬ丈は元来咽(つゝ)確にして声豊かなれば総じて大物には頗る誂へ向きとも謂ふべく、逆櫓、柳抔は頗る得意の曲(もの)なりとぞ、去り乍ら前途いまだ遙かなる丈が伎芸、真価を顕はすの時機未だ到来せず丈や、自体太夫として充分なる芸風なれば尚々黽勉怠らず進んで名人の位置に至るを心掛けくべし
【義太夫雑誌42:20-21評判】