竹本 愛之助

   
   
 
笹啼も藪に修業を積みて梅に囀る鶯となり、■(みずち)も池中に年を経れば雲に駕する龍と化するは物の順序、出世の次第とは言へ、亦それ丈の修業を累ぬるに非ざれば能はざる可し、然して此の修業を重ぬるは容易にあらず大いに耐忍(しんぼう)と勉強とを要する事なるより、近来の芸人は是を抜にして見事修業を累ねた振りに澄し込み、二三月姿を隠して顕はれ出でたる節には出世の看牌として名を改めるが常なるは片腹痛き事といふべし、嬢が切三四枚を語りて昼夜の嫌ひなく出席せしは去る廿八年の頃なりし、後ち一と度志を決して東都(みやこ)を跡に浪華へ赴きしより最早三年、其間幾多の修業を積みて去月下旬帰京の初看牌に旧名を其儘、筆太に墨の香も咲く花川戸東橋亭に初日以来の大景気、客足の幾部分は久し振りに出席の東玉老嬢の九州とは言へ、正(まさ)しく愛之助と記るせし看牌に来る客強ちドウスル連、手拍子輩のみに限らぬを見ても如何に嬢が人気をも知る可し、搗(か)てゝ加へて芸外に属する容貌の美は一層(ひときは)人気を補ふて好評の勢ひを増し、依然たる三年前の愛之助の名は見事箔を帯び、是でこそ坂地都保美(つぼみ)連の莟も桜と倶に咲やすらんか、去乍ら未だ/\遠き伎芸の前途、鶯となり龍と化する名誉の出世は茲三四年修業を積みし上と知る可し、序ながら記す、豊竹光末の絃、悪ひれず凜として寔に是れ真打を弾くに足るの格を備ふるものと謂ふべし
【義太夫雑誌28:15評判】