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【 懐中義太夫絵入倭文範 】

 


第5編挿図より

 

掲載表紙画像は後刷(倭文範が隷書体)。初刷表紙は第1編「絵入倭文範」、第2編・第3編「歌林堂三糸編/懐中義太夫絵入倭文範/発兌 金桜堂」となっている

 
表紙目次奥付
第1編
義太夫ハ床本と唱へ大字なる物を尊むハ語るに臨み見易きを以てなり然れども其文句を覚えんとし其節を復読し或ひハ懐中して他へ出(いづ)るにハ彼の大字本にてハ不便甚しかり因て今般是を活版摺となし図画を加へて小冊の読本に縮め太棹者流の用に備へ其欠を補ハんとするも是又文明の余沢なるものならし
歌林堂三糸述
菅原伝授 手習児家の段
壇浦兜軍記 琴責の段
朝顔日記 宿屋の段
鎌倉三代記 三浦別れ段
伽羅先代萩 御殿政岡忠義の段
太功記 尼ヶ崎の段
廿四孝 十種香の段
一ノ谷嫩軍記 熊谷陣屋の段
安達原 袖萩祭文の段
明治16.9.20出版
第2編
絵入倭(やまと)文範と表題し義太夫本を活版摺となし小冊の読本に縮め太棹者流の為に軽便を謀り既に初編を発兌し看客の御機嫌を窺ひしは本年菊月(くぐわつ)のことなり豈図んや意外の喝采を得て花主より二編の購求を忝うする■々(しばしば)也発兌元の悦び何事か之に過んや因て今亦編を継其責を塞んとす始め有て終りなきは独り本店(ほんや)の不幸のみにあらず仰ぎ■(ねがはく)は初編の如く購求を賜へと爾云ふ
歌林堂三糸述
恋娘昔八丈 城木屋の段
お染久松新版歌祭文 野崎邑の段
碁太平記白石噺 新吉原の段
花雲佐倉曙 惣五郎住家の段
艶容女舞衣 酒屋の段
蝶花形 小坂部館の段
浦里時次郎明烏雪曙 吉原揚屋の段
仮名手本忠臣蔵 山科の段
明治16.12.11出版
第3編 近松の鸚鵡が杣ハ大に演戯の曲節を助け金桜堂が倭文範ハ座敷浄瑠璃に便利を与(あた)ふされば風雅な書生さんハ文案机(ていぶる)の上に置きて矢場の娘を誘引(さそふ)て行し前夜(ゆふべ)の寄席の解訳(かいやく)に引(ひく)べく商家の手代衆ハ懸硯の曳出しに秘蔵(かくし)て仕舞湯の中に大声放歌(たいせいはうか)の禁令を忘る実に此書ハ義太夫好の鴻益(こうえき)少なからずして世評も高い調子に乗り三筋の糸の三篇ハ未(ま)だデン/\と促(うなが)さるゝ版元の需に応じて「東西/\這許(こヽもと)操御覧に入まするハ絵入倭文範(ゑいりやまとぶんはん)三冊目相撰まするハ歌林堂三糸(かりんだうさんし)挿画(さしゑ)葛飾正久(かつしかまさひさ)いよ/\先哲名作とり交ぜ始りさやうと云爾(しかいふ)
京橋の隠士  柳亭種彦述
加賀見山旧錦絵 長局の段
阿波鳴門 巡礼歌の段
御所桜三の切 弁慶上使の段
道中膝栗毛 赤坂並木の段
姫小松 俊寛嶋物語の段
三拾三間堂棟由来 平太郎住家の段
於俊伝兵衛 堀川の段
梅川忠兵衛傾城恋飛脚 新口村の段
義経腰越状 泉三郎館の段
明治17.4.4出版
第4編 倭文範第四集緒言(やまとぶんはんだいししふしよげん)
夕陽(せきやう)西山(せいざん)に春(うす)き筆硯(ひつけん)の業やうやく終り団扇を取つてぶらぶらと出懸けたる折節金桜堂の主人おい/\と呼んで余に謂(いへ)らく倭文範(やまとぶんはん)四集(しふ)の発兌(はつだ)近きに有り幸ひに序せよと余其稿を閲(かみ)するに巻中(くわんちう)の段物ハ渾(すべ)て有名なるを網羅したれば敢(あへ)て陳(のぶ)るに及ばず且初編より諸大家の序詞を上(あ)げたれバ今また何をか言(いは)ん依つて余ハ此本の印紙と為つて活字の鮮明なる校正の正確なるを保証しヱヘン/\是にて宜しひかと云爾(しかいふ)
銀街隠士 柳葉亭彦
玉藻前旭袂 道春館の段
国性爺 楼門の段
伊賀越道中双六 沼津里の段
妹背山女庭訓 四段目の切
義経千本桜 甕鮓屋の段
関取千両幟 猪名川内段
箱根霊験瀧の段 躄仇討
明治17.9.19
第5編
大(おほ)人形の遣ひ人(て)上手なりといへども浄瑠璃(ちよぼ)なくば患(うれ)ひなん酒席の義太夫節理に落(おつ)るといへども之を語らずば興なからんされば阿古屋の言草(いひぐさ)ならねど清元常磐津を唄ふも酒席の座興義太夫節も時の興座興と云ふ字に二つハないゆゑ通客(とほりもの)ともいハれる諸君は是非本編をも懐中して好(すい)たらしいと思ハれ給へと無調法なる口上も三味(さみ)にハ乗らぬ調子外れに序文めかしく誌(しる)す僕(おのれ)ハ柳亭門下の前座なれば縁は放れぬ簾(みす)内に御祝儀宝の入船とハ延喜よければ辞退も申さず手短かに序めかして云爾
速水寅彦
勢州阿漕浦鈴鹿合戦 平治住家の段
時雨炬燵 紙屋の段
平仮名盛衰記 福島逆櫓の段
於染久松 質屋の段
忠臣二度目清書 寺岡切腹の段
神霊矢口 艇梁場の段
一谷嫩軍記 須磨浦の段
近江源氏先陣館 小四郎恩愛の段
明治18.3.18
第6編 絵入倭文範第六輯序
新しきを好み奇(めづら)しきを競(きそ)ふは文明社会の現景(ありさま)にして旧慣(ありきたり)の事物ハ陳腐なり旧弊なり抔(など)と排斥せらるゝもの多く是(こ)れ誠に時勢人心の帰着(おもむく)所にして如何(いか)んぞ底止(とゞむ)る事を得んや金桜堂(きんわうだう)主人亦(また)常に茲に見るあり近来(ちかごろ)絵入倭文範(ゑいりやまとぶんぱん)てうものを発刊せらる余其発刊毎に之れを閲(えつ)するに古来在来(ありきた)りの義太夫文句なりと雖へども僅々(わづか)の一小冊(こほん)の裏(うち)に数多(あまた)の種類を集め殊に人々の心耳(しんじ)を澄ますとも謂ふべき俗に所謂(いはゆる)(サワリ)を蒐集(きしう)せしものにて其軽便にして且つ価直(あたへ)の廉(れん)なる真(しん)に文明今日の奇挙妙品と謂ふべきなり聊か感ずるの余り軌苦々々(きく/\)たる辟文をも顧みず書して以て序文に換へまほしきものは浪越の散士 百濤処士
伊賀越道中双六 岡崎の段
彦山権現 六助内の段
桂川連理の柵 帯屋の段
仮名手本忠臣蔵 六段目
日吉丸稚桜 三の切
薫樹累物語 土橋の段
加賀見山旧(もとの)錦絵  草履打の段
仮名手本忠臣蔵 七ツ目
明治21.5.3
第7編絵入倭文範七編序
三筋の糸をもて作り出(いだ)せるものハ浄瑠璃なり其浄るりの根拠(もと)たるもの小野阿通(おつう)に始まりし以来(このかた)種々況々(さま/\)なる節多く出て各々一派を為しもて世に流行(おこなは)るゝが就中(なかんづく)義太夫が音調に次ぐものハあらじ其義太夫を称するもの音律調子ハ云も論せず文句の高尚なる実に世人(よのひと)をして喜怒哀楽の情を感起せしむ予常に此道を好みもて竹田、近松、風来等の風才を愛し其卓識を慕ふこと年久し故に丸本を蒐集(あつめ)て雨中徒然の心を慰む友人金桜堂主人も亦之を好むの人なり然(さ)れば倭文範を出版して既に利を占むること沢なりもて欲の皮を張て今又七編を発するに際し予に叙を託す予以て同家の為に世間に対つて買給へと云爾
夢覚述
朝顔日記 浜松小屋の段
菅原伝授手習鑑(三ノ口) 車曳の段
本朝廿四孝(三ノ切) 勘助住家の段
神霊矢口渡(二ノ切)八郎物語の段
箱根霊験躄の仇討(十ノ切) 餞別の段
八陣守護城(八ノ切) 政清本城の段
平仮名盛衰記(二ノ切) 源太勘当の段
薫樹累物語(八ツ目) 埴生村の段
姫小松子日遊(三ノ切) 島物語の段
彦山権現誓助剣(六ツ目) 須摩浦の段
花の上野誉石碑(四ツ目) 志度寺の段
義経千本桜(三ノ口) 茶見世ノ段
明治21.7.29
第8編絵入倭文範八編序
何の浄瑠璃があながまや三味線とて昔ハ内々ハ兎まれ角まれ表立ちてハ士君子の口にするも忌ハしきものゝ内に数へ入れられたるも先年有名なる学士依田学海。那珂梧楼。の両先生其の浄瑠璃の内義太夫の一節へ才筆を揮ひて妙評を施こされしより漸く士君子の間に玩バるゝことゝなりけるが今ハ浄瑠璃も三味線も美術の一に数へ入れられつさればにや今回(こたび)金桜堂の主人が曽て出版されたる倭文範の八編を編輯され序文をとて其の書を己に寄せられたり己之を読むに運筆の妙結構の奇其の人を将(は)た其の事を目前看るの思ひあり乃ち感嘆の余一言を巻の始めに題しぬ
二十年六月   愛絃居士誌
仮名手本忠臣蔵(三段目) 恋歌の意趣
仮名手本忠臣蔵(五段目) 恩愛の二ツ玉
伊賀越道中双六(六ツ目口) 沼津里の段
箱根霊験躄の仇討 新左衛門屋敷
絵本太功記(二ツ目) 本能寺合戦の段
摂州合邦辻(下の巻) 合邦内の段
蘆屋道満大内鑑(四ノ口) 狐別(こわかれ)之段
岸姫松轡鑑(三段目詰) 朝日奈上使の段
奥州安達ヶ原(四ノ切) 一ツ家之段
三日太平記(九ツ目) 松下住家の段
刈萱桑門筑紫車+栄 山の段
明治21.7.29
 絵入倭文範第1−第5編合本 明治18.5.25
 
続絵入倭文範
第6−第8編合本  


大正2年に山口書店から歌林堂三糸編輯として「懐中義太夫倭文範」が出版されている。序は第1編の序を踏襲しているが、本文も含め別版。内容も異なる。

 

なお、明治14年4月に丸屋善七から「やまと文範浄瑠璃全書」が出版されている。のちの倭文範とことなり全段を収録している、同じ丸屋善七から依田学海「新評戯曲」が出版されていることとも関連するか。


「倭文範」への言及

毎夜六銭の授業料稽古は倭文範 倭文範(やまとぶんはん)は渠等(かれら)の生命(いのち)なり宝(たから)なり。今夜(こよひ)は何をや語るべきと、昨夜(ゆうべ)帰(か)へりしなに、木戸にて貰ひたる語物(かたりもの)番組(ばんぐみ)を対照(ひきくら)べて、お温習(さらひ)に余念(よねん)もなし、頓がて帯にイ+巻(ま)きつけたる銀時計(シルヴア)を見て、時刻はよしと、それより寄席(よせ)へ一走(ひとはし)り、夜学(やがく)にでも往(ゆ)くと見(み)せて、六銭の木戸は授業料のやうなもの、教科書よりも倭文範(やまとぶんはん)の暗誦(あんしやう)進歩(しんぽ)著(いちじ)るしく、和田守氏の記臆術も、これには優(まさ)らじとや。【風俗画報198号 1899】(演芸資料選書7・娘義太夫より)


口上

そりや聞えませぬ伝兵衛さんは初午の行灯(あんどう)にも聞えよく今頃は半七さんは何処に何(ど)うして御座る堅人(かたじん)であらうともよく知つたり、流行物(はやりもの)の廃(すた)れぬこと二百余年、義太夫の直打(ねうち)は二一天作(てんさく)五もく浄瑠璃の口当(あた)りにも明かなれば具の味(あじは)ひの其の宜(よろし)きを更に並べて十人向の献立とし持出(もちい)だしたる配膳こそ是れこの一篇の倭文範(やまとぶんぱん)、名詮自称(みやうせんじしよう)の鬼役をつとめし予(おのれ)は千松ほど出版元に忠義心のあるにあらねど唯(たゞ)一握(ひとにぎり)の懐中本にも数の珍味ある段々を握飯(にぎりいひ)大の判を捺(お)して確に請合ひ申すト左様。 [岡]鬼太郎述 【義太夫二百段 明治43年12月12日発行(のちに『丸本 義太夫三百段』として大正8年5月23日発行) 由盛閣、盛陽堂】


五目義太夫:「いろいろの義太夫のさわりの文句などを取り込みつなぎ合わせて語る滑稽な義太夫」(「日本吹込み事始」俗曲の項の徳永里朝の録音(GC12332)の解説)
かかる処へ春藤玄蕃、深網笠の二人、夫の権威に栄御前、しずしずと座に直れば、かかる鷲の善六が両手をつき、これお園、今門を唄うて通つた、国太夫節聞いてかと、言うに思はず清船も、自然と備はる徳右衛門、与次郎は息せき門口から、弥五郎懐中より金取り出だし、ウーム ハハ承ればこの所にて五右衛門を釜煎りとな、古来稀なる御兵法、と言うを打ち消し、ア誠に今日は霜月二十日、我が身代わりに相果てし勝頼が命日、また二つには初菊殿、まだ祝言の杯をせぬが互いの身の幸せ、そりや聞こへませぬ伝兵衛さん、お言葉無理とは思はねど、妙見様へ精進も京の六条数珠屋町、・・・・・

【ホコリタタキ】という語彙もある。『歌謡などを次から次へ出まかせに歌うをいう。ほこり〔埃〕をはたき出すように次々にうたいつづける故にいうのである。』(牧村史陽編『大阪ことば事典』)
○ 上るりほこり叩き
 平作は。千鳥足。現在親に駕篭舁かせ。逢ひに北やら。南やら。富は境へ仕かへにやりました。兄きは知られたぬる窓の。夕べの風呂の上がり場で。河内へ越へる近道は。秋篠外山生駒山。京の六条数珠屋町。天命知れや。主を殺した天罰に。私が妹此の神崎ニ船ばた叩いて 本蔵苦しき息をつぎ
○ 浄瑠璃ほこりたたき
 かんじんの寝る時は この垣一重がくろがねの よろこびありや冥加なや 回向せうとてお姿を 絵図では近いよふなれど 戦の門出にくれぐれと そりや聞こへませぬ伝兵衛さん 勘平殿は三十に 露の干ぬ間の岸野の里へはマア一里 一合とつても鮨屋の娘は そりやこそ泣いたは道理じや 狐の子じやものをに
【類別大津絵節集成 大坂板編』(太平書屋刊)】


提供者:ね太郎(2005.1 2.11)

(2006.05.07補訂)