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【 能楽と文楽の美しさ 】

 
能楽と文楽の美しさ
 
アレキサンタア・サカロフ
 
marionnette 2巻 p61 1931.2.28
 
……「能狂言」を見る機会を得たことは非常な喜びである。私達にとつてはこれは全く素晴らしい出来事だつたのである。私達はまだヨーロツパにゐるころから、どうにかして「能」を見たいものだと苦心してゐた。ヨーロツパに私の友人で「能」の熱心な研究者がゐる。その友人は長い間日本に住み、その幾ケ月かを「能」の研究に費し、数多くの能狂言を見てゐる。私達はかねてその友人から「能」の話を聞かされ、その美しい世界を絶えず心に描いてゐたのだつた。
 その憧れの世界−−不思議な魔法のやうな芸術の世界へわたくし達はいきなり飛びこむことができたのである。如何に私たちは驚異に息づき、感激にふるへつゝ、瓜立つてその不思議な芸術に見入つたことだらう。
 あの静かな動き、心理的な表現、目にうつる動作と、感情との渾然たる融合、しかもそれは如何なる観客にも理解されるやう、狂言の進行とともに追随してゆけるやう簡潔にしかも力強く仕組まれてゐる。
 私は多くの観客が−−それは恐らく日本の最も選ばれた人々であらう−−が極めて静かな物腰のうちにも時々抑へ切れぬ感動に肩を揺るがせながら、ぢいつとその不思議な魔法のやうを芸術の表現を見入つてゐるのを見た。そしてこゝにも日本の人々が如何に静けさを愛する国民であるかといふ意識を深うしたのである。たゞ時間に恵まれず、この象徴的な尊いドラマをあとに去らねばならなかつたことをどんなに悲しんだことか! 
 
 各劇場訪問のうちで「文楽座」訪問もまた最も強い印象を受けたうちの一つであつた。この純芸術の美と力から私達はこれまでにないあるものを受取つたのである。それは全く思ひがけない世界だつた。
 日本の人形芝居、文楽の芸術がヨーロツパのマリオネツトなどにくらべて遙に精妙な芸術であることはかねがね知つてはゐたが、実際に見た文楽はこの想像を飛び越えて尊いものであつたことを、今更の如く驚異を以て心に思ひ浮かべる。……
 ……初めて見た私にそのくはしいことのわかるはずはないが、こゝで簡単にいひたいことは、現代に於てこのやうな芸術の凡ての原則の偉大さと高雅の姿を、ほかのいづこに見出すことができようかといふことである。語り手と弾き手によつて描き出される一篇の長戯曲−−真理によつて貫かれ、波うたれるその物語りや、伴奏と声楽と、人形の渾然たるハーモーニー。これらはまことに魔術的に、それ自身一体となつて稀有な綜合美を現出してゐるのである。
 人形使ひが舞台に公然と出てゐるのも、決して目障りにならないばかりか、それがかへつて何か永遠な、感動的な深いあるものを舞台面に与へて、人形の美しさと高雅なスタイルを一層印象的に強く浮き出させてゐる。倦まずに芸道に精進しつゝ、物語りの中の主役の感動と共に絶えず感動を続ける人形使ひは余り目立たないぢみな役割でありながら、しかも必要欠くべからざる存在である。
 それはいと高き生活を象徴するものであり、かういふ人々を土台にして凡ゆるドラマは演ぜられるのである。………