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【 浄瑠璃の難解句 】

 
 
浄瑠璃の難解句 
−主として『忠臣識汚『しつきがんかう』の一句に就て−
 
石井琴水
marionnette 1巻 p121−125 1930.10.20
 
 堺の桶屋の善さんが、何うであるかは知らないが、河口慧海と云ふ名は、私の頭に可なり古くからコビリついてゐる。それは我が日本人で交通不便な西蔵を探険し、師がその探険家であり、西蔵の宗教を種々照介してくれた人で、西蔵通として、学者としてであつた。而も師が一昨年『三番叟』の『トウ/\タラリタラリラ……。云々を西蔵語の『瑞祥作成』の意であると訳され、学界にセンセーシヨンを与へたから、一層我等は師を崇拝するに至つたのである。
   然るに師はその後、神楽歌、催馬楽、下つて俗謡の『しよんがいな』なども西蔵語として、続々発表して種々な事を考へさせられたが、曩頃の新聞を見ると『徒然草』の資季大納言と是氏中将の問答『馬のきつ……。」や、近松門左衛門作『心中天網島』の冒頭文句『サン上バツカラフンゴロ、ノツコロ、チョツコロ、フンゴロデマテトツコロ、ワツカラ、ユツクル/\/\タガ、笠ヲワンガランガラス、空ガクングル/\モ、レンゲレンゲレ、バツカラフンゴロ。』なども西蔵語と訳した。『徒然草』の『馬のきつ』は我等も縁遠い事であるから兎に角にして『天網島』の『サン上バツカラ……。』に就ては、従来私も相当注意してゐるが未だ不可解で詞友木谷蓬吟君の『大近松全集』第十六巻には、
   ……「山上参りの呪文などをもじつた歌らしいと云ふ説もあるが確でない。当時流行の歌らしいと云ふだけで其他は分らない。」
と云ひ、藤井紫影博士の「近松全集」には
   ………「三条坊の町でまてとはゆつたが笠をわす、空が曇れぱなとなる、即ち三条坊の町で待てとはいつたが待たずに来て笠を忘れた、空が曇れば降らうの意を寓せしものか。」
と云つてまだ我々の疑問を解いてくれない。所で今度上田万年博士,樋口慶千代両氏の共著『近松語彙』には
   ……「山上」とは天人常に充満せる霊山浄土、「笠」とは天人のかざせる羅蓋「空がくんぐる」とは虚空薫じる「れんげ」は蓮華で、その他の語句は浄土の法味楽の拍子を形容したものであつて、要するに法華経如来寿量品の偶文中にある衆生所遊楽の安養世界をいふ片言であらう。而して菩薩(妓[よね])集れる享楽界(遊里)をきかせたものである。」と
 稍要領を得てゐるが、この『近松語彙』には調査の杜撰と、研究未了のためか、折角の名著でありながら地名解説其他に甚だしい誤謬があり、これに就いては私の個人雑誌『浄瑠璃世界』に前後三回に亘る正誤を掲げて識者の批判を乞ひつゝある位だから、絶対的に、信を措く訳には行かない。されば斯くの如く難解の語句であるから師は西蔵語とするのであらうが、さればと云つて私も大朝永井瓢齋氏と同様『西蔵語の翻訳に学的根拠が備はざる以上、みだりに雷同は危険であり、寧ろ我等は従来の如く謎にと解するを正当と見たいのである』とし、茲に私の云はんとする所は当『マリオネツト』の前号に師が解釈した寛延(寛永に非ず)元年八月十四日竹本座上場、竹田出雲、三好松洛、並木千柳(宗輔)合作『仮名手本忠臣蔵』八冊目、道行旅路の嫁入にある仮文字『ししきがんかうがかいれいにうきう』に就てである。
 尤もこれに就ては、既に前記『浄瑠璃世界』九月号に一寸掲げて置いたが、南江二郎氏からそれを是非本誌に廻してくれ、私としては誠に心苦しい立場にあるが、本誌の読者に対する責任上、さうするべきだらうと思ひますからと、編輯者として実に公平な態度を示されたから予定の『操り人形の考察』をあと廻しにし、それを本誌上に再び繰返す事とした。
 偖て、従来この一句を、学者や浄曲文学研究家は難解文だの、陀羅尼だの、また師の如きは西蔵語の韻文だのと云つてゐるが、これはそれほど難しい文句でもなければ陀羅尼でもない。勿論師の云ふが如き西蔵語でもないのである。然しこの語句は解釈の如何に依つては、何うでもないやうなものゝ、凡そ浄瑠璃を語るほどの者であれば、たとへそれが文字に暗い者でも知らぬ者はない。従つて、斯道では以前から、これを作者の悪洒落とし、近松半二の『妹脊山女庭訓』四段目−即ち御殿の豆腐の御用の詞『アヽ/\宵の中内証の御夜言がある筈と、暮ぬ中から騒いでぢや、エヽけなり、こちとまで、内太股がぶき/\と、卯月あたりの弾け豆』や紅葉の局の『中将や少将あたりに恋すれば、あのおひかけが邪魔になる。尻目づかひは出来ぬ/\その悋気いさかひも、こつちからは檜扇で、叩けばあつちは笏で止め、つゝぱりかへつていきつたばつかり、いらうても見ぬ逆鉾の)と共に猥談の話題とし、今日流行のナンセンスの種であつて『妹脊山』の、如上に於ける語句は巧みに云ひかけてあるが、この『紫色雁高』はそれほど腕曲でなく、モツと露骨に極端に、男女の生殖器を形容した隠語であるから師の云ふ韻文ではなく全くの淫文である。而もこの一句は『忠臣蔵』の創作以前から如何はしい、法印或は売主共の鼻の下の材料に悪用されてゐる『国家安穏、商売繁昌、夫婦和合』の護符と称するものであつて、これを漢字に直すと(紫色雁高我見○入宮[しゝきがんかうがかいれいにうきう])となるのだ。並してこの紫色雁高を更に訓読すると(ムラサキイロのカリダカ)となるから、如何に神経に血のめぐりの悪い者でも、それが何を意味するか−位は分るであらう。然しながらこの紫色雁高は元春画家より始まり、その解説者の通語であるが、これを仏教の方では、凡ての障害を象徴する梵語の魔羅と云ひ、魔羅の書体が陰茎に甚だ似てゐる所から後ちに変じて、一般がそれとし、而も喇嘛を逆読すれば、西蔵も万更無関係ではない。雖然師の云ふが如き(照覧下さい、総てに誓ふた恋の望みを早くする因に仕て下さい。)には当てはまるまいし、前記法印や売主共の悪用したものを、毎夜寝に就く前、夫婦諸共、これを三度口に唱へて、善用し実行すれば、如何に性の欠乏が原因でヒステリツクな婦人でも、まさか姦通もせまいし、誰しも苦情を唱へる者はない。従つて悋気喧嘩も、夫婦のいさかひも起らないから確に(夫婦和合)の基で、別に廻り愚く(保護し、照覧下さい)と云はうより(実行し、やつを設けさして下さい)と訳する方が手ツ取り早いでないか。
 又(我見○入宮)なども無論卑猥な陰部を意味するものであるから、従来の大抵な学者も、浄曲研究家も之を公然口にすることを潔しとせなかつた。高野班山博士の富山房より発行せる(名著文庫)義士篇なども、それが余りに馬鹿/\しい悪洒落だから、態々有耶無耶に葬り去つたものであらう。然し、幸ひにして師の訳する如き美しい上品な願文であれば文句はないが、浄瑠璃文は如何ほど醜悪野卑であらうとも、その曲節如何に依つて優美になる。其所が芸術としての尊さである。たとへぱ、お三と茂平衞、小春と治兵衞なども、花道或は舞台で痴態のありツたけを尽し、之を俳優の演ずる場合は何となく厭な感じがするけれど、之を人形が演ずるとすると、さうした風な厭な感じは少しもなく、反つてキラ、刷りの錦画を眺めてゐる様で、知らず/\我々は現実を離れて不愉快な感覚を退げ去る事が出来ると云ふのも、畢竟一方は有情の人間、一方は非情の人形。従つてそれに対する我々の頭の持ち方が違つてこの道行に斯く露骨な野卑な文句があつても、見る目と聞く耳−その間に巧みな音律が流れるから総て醜悪な事実を掻き消して了ふのでこの道行の作曲者は余程頭のいゝ者であつたと見えて、呼吸[いき]も間[ま]は(ハアよいわいなよいわいな。)であるが(ツル。ツンツン。トチヽリチリチリチリチンチレツ。チリチリ。チリ。 チリ。テン。チレ。ツン。トトン。ツントン。チツンテン。ツンツンシヤン/\。となり、実に何とも云へない美しい一篇の劇詩となつて了ふ。而も次句の(神楽太鼓にヨイコノヱイ。)や(こちの昼寝を覚された。)も(紫色雁高)と照応する情景を描いたものであるが、これは師のやぅに学問の上から無理にコジつける無粋な人も中にあらうと、近年は(二人が仲にやゝ設け……。)云々の入れ言をしこれに対する、三味の手も(ねんねこねんねこ/\よ)とつけてその意味を徹底さそうと力めてゐる場合もある。要するに、この(忠臣蔵)の作者竹田出雲(出雲に限らず当時の作者は洒落本の影響に依つて)は自己の作物に往々斯ぅした悪洒落をして満足−云はば一種の自己陶酔に浸つてゐた人で近い例が茶屋場のお軽が(危いもの)と云ふ詞に対して酔に砕けた由良之助は(危いこわいは昔の事、三間づゝまたげても赤膏薬でも入らぬ年ぱい)と云た、尚(道理で船玉様が見える)の(洞庭の秋の月様を拝み奉る)のなどゝ巫山戯てゐるから道行旅路の嫁入にこの一句及び前後の語句のあるのは敢て怪しむに足らないが、これを以て師が西蔵語とするに至つては、失礼ながら、従来の解釈が愈々以て怪しくなる。詰り斯うした軟柔な文句の解釈は、師の如く学究的の態度を以てすれば、飛んだ物笑ひの種となり、折角苦心の他のものにまで影響するから、少しは下情に通ずるため、俗学の研究も必要だと思ふ。少しは徳川時代の洒落本でも読まれたら如何? 妄言多罪。