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【 文楽人形浄瑠璃論 】

 
 
文楽人形浄瑠璃論
土田 杏村
marionnette 1巻 p98−104 1930.10.20
 
 京都南座の八月興行、文楽を見る。出し物は『夏祭浪花鑑』、『菅原伝授手習鑑』、『卅三間堂棟由来』、『伊達娘恋緋鹿子』である。その時の個々の印象を主として、文楽の人形についての問題の幾つかを考へて見たい。成る可く僅かの紙面で成る可く多くの問題を取扱ひたいさ思ふから、覚書風に番号を打つて書いて行く。特別に前書きも結びもない。
 1、文楽の浄瑠璃や人形遣ひが今日立派な型をつくつてゐて、何ともいへない高い芸術の感興を我々に与へてくれることについては、今更述べるまでもない。例へぱ松王首実検の段の如き、今日まで幾回演ぜられて来たか知れない、今日の芸術としてはもはや検討するだけは検討しつくした結果のものであるだけに浄瑠璃も人形も、すべてのはしはしにこの作品の精神を生かしてゐる。流石に長い間の演技は、我々の幾回かの鑑賞では到り得ない境地をひらいたのだ。演技は作品を究竟地まで理解しなければならないことであるが、その演技から私はこの作品の一々の言葉を理解する仕方を教へられる気がした。斯様に作品の一々の言葉を精神の深いところで理解してゐる点では、文楽の人形浄瑠璃は、なまなかの歌舞伎芝居の到り得ない深さを持つてゐると思ふ。私はこの興行の直ぐ前に、福助延若扇若らの夏興行を同じ座で見てゐたのだが、『夏祭』とそれを書き替へた『謎帯一寸徳兵衛』とでは、我々に与へる感激に、雲泥の相違があると思つた。
 然らば文楽の人形は、芸術として最初から至純の世界を構成し、今日また諸他の芸術の中で最高の境地に達してゐるものであるかといへぱ、私はまたさうも考へない。浄瑠璃と人形の双方について昔の型には立派のものが少なくないにせよ、さてずつと古く溯れぱ、人形浄瑠璃はまた随分いかがはしい部分を持つてゐたに相違ない。第一、この作品がつまらない。『菅原伝授』の如き、竹田出雲の作品の中では傑作であるかも知れないが、さてこれを一個の芸術的作品として顧れば、その構想の何処に深いものが求められるか、またその言葉の何処が個性的に生き生きとしてゐるか。併しそれはひとり『菅原伝授』だけが受くべき非難ではない、大近松の作品は別として、その他は概して凡作または駄作である。尤も或る作家は異常の天分を持つてゐたかも知らないが、第一に商業主義的に成功しなければならない当時の竹本座や豊竹座としては、さうした天分を十分芸術的には発揮させ得なかつたであらう。これらの作品の初演当時は、常に先づこの商業主義的成功を考へた。それ故につまらない写実や、物珍らしさを呼ぶ技巧やが用ひられるこことなつた。『夏祭』は、人形に初めて帷子衣裳を用ひたことで有名であるが、その外本泥本水を使ふといふやうなことに、苦心しなければならなかつた。この商業主義的目標は、その後ずつと引続いて今日に至つたのだ。随つて私は文楽の人形を、芸術として見て神技にいたつた、最高の境地のものだとは考へない。この浄瑠璃の底本の愚劣さなどを忘れて、演技の美しさだけに心酔しようと思つても、それは人間として出来ることではない。ただ恐るべきものは、長い間の演技の訓練である。この訓練がさうした愚劣な制約を包容しつつとにかく演技を完全のものにした。この作品としてはこれ以上には演じられないといふところまでに達せしめた。排斥すべき商業主義的目標の小細工さへも、この訓練の間に自然に取り除かれていつたのだ。私は人形浄瑠璃を能楽に比較して、そこに面白い対照の成り立つてゐることを見る。謡曲の底本には、人形浄瑠璃のそれとは比較の出来ない立派のものが多い。併しそれを演じてゐる今日の能役者だちは、果してよくその作品の深い精神を理解し、その作品を作品の持つ精神以上に高く演技してゐるであらうか。そこが両者の対照として面白いところだと思ふ。能楽に於いては、作品は概ね深い精神を持つたものだが、その演技者は大半この作品の脚下へもよれない浅薄さで演じてゐる。人形浄瑠璃では、作品は概ね凡作駄作であるけれども、演技の長い訓練は演技者をしてその原作には勿体ない程の感激と精練とを以て現にこれを演ぜしめてゐる。能楽を見ては屡々充たされない精神の空虚を感ぜしめられるが、文楽を見ては完成せしめられた演技の圧力をつねに感ぜしめられる所以がそこにある。或は能楽では、その謡曲の文学的価値が独立し過ぎてゐるし、浄瑠璃では、演技者は底本の文学を離れてこれを演じてゐるといつてもよいであらうか。
 
 2、『夏祭』のやうな作品は、人形浄瑠璃と歌舞伎との何れによりよく適したものであるか。人形浄瑠璃の中にこの種の性質の作品は他に幾つも含まれてはゐるけれども、私は『夏祭』の如きは,純粋には歌舞伎の世界のもので、人形で演するには適しないものであると考へる。恰も能楽に於いて、『安宅』の如きは多くの人が推賞するにせよ、私はその演技の世界を既に演劇の中のものだと考へるに同じい。『夏祭』では、出て来る人物が、すべて現実的の空気を濃厚にただよはしてゐなければならない。その会話もやはりさうだ。殊に夏の薄い着物の下から肉体をあらはならしめてゐる演伎は、何としても芝居の世界でなければならない。フロイドは、芸術の世界をリビドオの根基の上に立つものだとしたが、私はその説を科学的に真実であると考へてゐる。『夏祭』のやぅな作品では、殊に現実的なエロチシズムを含まないでは、我々にまことの感興を起さない。(歌舞伎の色気は今のレヴユウなどでいつてゐるエロチシズムとは性質が違ふ。)然るに人形の肌では何としてもそのエロチシズムを起さないから致し方がない。
 尤も人形によつて或るなまめかしさを表現しないのではない。いや、私は人形のどうかした素振りに、何ともいへないなまめかしさを屡々感じてゐる。そのなまめかしさが、人形浄瑠璃を浮世絵のやうに美しくするのだ。併し人形の素振りの持つなまめかしさは、一つの型に表現せられる、部外的のなまめかしさ、詩的に澄んだなまめかしさである。これに対して芝居の持つなまめかしさは、全体の雰囲気を以て、現実的に我々を圧倒するなまめかしさだ。その質に於いて、大いなる相違がある。これを浮世絵の美に比較するならば、人形のなまめかしさは春信のそれ、芝居のなまめかしさは歌麿のそれだといふことも出来ようか。いや大南北のものなどになれば、もはや歌麿といふもあたらない、英泉の美人を配合することによつて僅かにその現賞的な圧力を持つたエロチシズムを代言することが出来るであらうか。
 人形芝居にも、やはりそれに特有の世界のあるここは、以上の如く『夏祭』の演伎によつて我々に示された。その世界は、勿論能楽ほどにクラシツクではない。しかし飽くまでクラシズムから離れたものでもない。それは実に美しい形式の美を構成するのだ。しかしまたこの人形の素振りのなまめかしさは、能楽の持たない特質である。能楽の幽玄とは、『熊野』に於けるやうな艶麗な美を含むものではあるけれども、それはまだ直接にエロチシズムを表現するものではない。『夏祭』の長町裏の段に於いて団七が義平次を殺す凄惨な場面は、語りなしに音楽の暗黒な世界で人形だけが演ずるものとなつてゐる。それはいかにも人生の背後の世界で、我々の現実的な執着心の影だけがこの葛藤をなすもののやうに見え、凄惨を一段と深刻ならしめるが、この行き方は人形芝居として邪道であるやうに思ふ。音楽のない人形は、余りに力に乏しい。それ故この殺人の場面は却つて我々に影の世界のやうに見えた。人形は必ず語りの音楽に伴はれなければならぬと思ふ。語りがなければ少くも三味線の伴奏だけは持たねばならない。語りも三味線もやめた人形だけの演技は、人形に演劇を要求する余りに苛重な註文に応じたものである。
 3、松王首実検の段は、作品として決して立派なものでないことは、前述の通りである。しかしいつ見ても惻々として我々に迫るところがある。一々の演伎に作品の理解が実にこまかく行き亘つてゐるからであらう。松王がその子の死を聞いて笑ふあの大事な場所の笑ひでも、よくあれ程に深く作品を生かすものだ。松王がすべてのものを失つたニヒリステイツクの気持ちや、その絶望の中に情誼や道徳の葛藤を経験する複雑な心的推移は作品の表現を離れてただこの演技の中に表現せられるのであるから、演技者の責任は大きくまた甚だむづかしい。作品の芸術価値は高いものでなく、またその演劇的構成も平凡なありふれたものであるに拘らず、なほこの浄瑠璃がいつまでも捨てられず、浄瑠璃として何処かに大物だといふ貫禄を保つてゐるのは、専ら人物の配合に成功し、殊に松王といふ人物の創造に成功したが為めではなかつたか。松王は人物として確かに或る貫禄を持つてゐる。そしてかうした悲劇的性格はいつの時代に於いても我々の要求するものだ。その性格人を創造することによつて、『菅原伝授』はその他の非芸術的要素を圧倒し、人間のたましひを打つことに成功したのであらう。
 
 4、『首実検の段』が成功した第一の原因は、人物の巧みな配合にあることを私は既に述べた。松王、玄蕃、源蔵、戸浪、千代、菅秀才の配合が面白いだけではなく、寺小屋へ弟子入してゐる多くの子供、その親達の配合が面白く、門口から一人づつ子供を呼び出すあたりもよい。それと平行してこの浄瑠璃に使ふ人形の首の配合もまた甚だ面白いものだ。
 先づ松王に使ふ首の『文七』が立派である。全体の比例がよく取れてゐるし、顔や目、口の線もよくいつてゐる。かういふ人形ばかりであつたら、文楽もさぞ立派のものにならう。玄蕃に使ふ『金時』は、随分凝つた渋い人形であるが、私はまだどうも親しみが持てない。人形を一つだけ手に取つて見れば立派なのであらうが、遣つてゐるのを見ると、何かくしやくしゃした、全体の調和を破るやうな人形である。併しこれは私自身の見方がまだ浅いのであらうから、今後の機会になほよく見直したいものだと思ふ。けれども私は人形について少くも次のやうな感想を持たされてゐる。それは首の顔の線は、写実的な、こまかな曲線から成るものであるよりは、幾何学的な、構成的な線より成るものであることが必要だといふことである。人形を修繕する場合には、特にその注意が肝要であらう。あゝした演出に於いて我々の目にうつるのは、人形の持つこまかな写実的な線などではない。頬、顎、目、口などの線が、幾何学的に大きく構成的な線を描いてゐる、その線の複合が、我々に強い印象を与へるのだ。目などは、大外大胆な線でつくつてあつても大丈夫である。手に取つて見た時には、少し異様に見える位の人形が遣つてゐて全休的に写実的な強い印象を与へるであらう。『金時』は少しく細部の技巧に苦心し過ぎたものではないかと思ふ。つめの人形には、愉快なものが少なくない。構図が大胆に構成的なものとなつてゐる。ザツキンなどの彫刻を見るやうな感じさへして、我々には却つて複雑な、内的な印象を与へる。文楽の人形を、今の人形師に作らせることは間違ひでないかと思ふ。
昔の御所人形と今のそれとを比較しても分かることであるが、昔の人形師は構成的な規模の大きい線をつくる感覚を持つてゐたけれども、今の人形師はその線の感覚を失ひ、徒らに装飾的な、手綺麗に見えるものをつくる様になつてゐる。文楽では焼けた人形を補ふために今の人形師にその制作を依頼するよりは、かうした芸術によい理解を持つことの出来る石井鶴三氏のやうな人に依頼することが、いかにすぐれた仕方であるか知れない。新聞小説の挿画が、石井氏、木村氏などによつて、全然新らしい精神を吹き込み得たやうに、文楽は首を斯様に改造することにより、その演出をすつかり生新のものにすることが出来よう。文楽として人形のわるいことは致命的である。現在の文楽がすつかりさうなつてゐるといふのではない。どんなによい遣ひ手がどんなに立派に演出しても我々の目は専ら人形の首の上に注がれてゐるのだから、首が悪ければ我々の感興はどうしても本気のものにならない。引締つた、たましひの深い首を欲する我々の心は切なるものである。
 5、『三十三間堂』には、今度は不思議に心を引かれた。人形芝居の中に、全体のストオリイのリズムの構成を考へた作品は少ないが、この作品は不思議にその構成がよくいつてゐる。何処かに謡曲のやうな、味さへある。若竹笛躬、中村阿契の合作であるといふが、この原作には確によいところがある。『夫は寝付の高いびき』の、家の中の空気がはじめから中世的であり、平民的である。そして最初にお柳の懐顧がしんみりと語られ、次に和田四郎の狼籍で騒がしくなり、おしまひには柳の木を引く木遣で舞台が悲喜こもごもながらすつかり明るい気分に変つて、その木が舞台の左から右へ動いて行く、そのリズムの推移が中々渋く凝つてゐる。舞台に於ける人物の動きも、最初が中央、次が右、最後が左から右へと動いて行く。序破急のこつが自づから巧になつてゐるのだ。
 この謡曲のやうな人形芝居の中でも、『あれ/\/\、又もやここに散り来る葉は、我を迎ひに来るかと、思へばやる方詮方も、なくなく見やる足元へ、ちり来ろ柳の葉隠れや』のあたりが、私には殊にしんみりとする。柳を切る音の伝はつて来るごとに、お柳の身が足をすくはれたやうにして打ち倒される構想は立派である。殊に『又もやここに散る来る葉』と、柳の葉の散落を眺めるお柳の人形の動きは、我々の心を打つものであつた。併しこの場合に、柳の枝を舞台へ持ち出すのは、どうしたものであらうか。我々は今この家の庭へさびしく散つて来る柳の葉を、風を、想像してゐるのだ。その時この柳の小枝は何としても打ち壊しである。牛王の烏なども、あんな風にして烏を飛ばさない方が我々に与へる感じはもつとリアルのものだ。最後の木遣のところなどでも、現在は熊野の浦を美しく写実的に背景にかくけれども、あの時単に浅黄幕が背景に下りて来るのであつたら、木遣の歌も人形の並びも、その幕を背景としてどんなに晴れ立つたものになるであらうか。物を単に写実的に現はすことが、我々の感じをリアルのものにする所以でないことは、かうした点にも現はれる。