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【 忠臣蔵道行の謎ほどき 】
忠臣蔵道行の謎ほどき
河口慧海
marionnette 1巻 p84−85 1930.7.28
従末催馬楽神歌三番叟などに、不解の語があつて、古来幾多の学者がその解釈を試みたけれども、結局陀羅尼などとして不可解とせられてゐた。それ等は大低西蔵語であることが解つて快刀乱麻を断つが如く皆氷解せられることゝなつた。今又上沼道之助氏が田嶋隆純氏の手を経て、左に記するが如き歌舞伎忠臣蔵の、不可解なる文句について尋ねられた。それが又西蔵語であることが解つたので、以下に説明することゝする。
仮名手本忠臣蔵(寛永元年八月十四日起、竹田出雲、三好松洛、並木千柳合作、全曲拾壱段八つ目)第八の加古川本蔵妻となせと娘小波が、鎌倉より山科までの東海道を下る、嫁入り道行旅路の文句の中に
いかで嶋田の憂晴し、我身の上を斯くとだに、人しらすかの橋こえて、行けバ吉田や赤坂の、招く女の声揃へ「縁を結バヾ清水寺へ参らんせ、音羽の瀧にざんぶりさ、毎日そういふて拝まんせ、そうじやいな。ししきがんかうがかいれいにうきう。神楽太鼓にヨイコノエイ、こちの昼寝を覚まされた。都殿御に逢ふてつらさが語りたや。そうとも/\若も女夫とかゝ様ならバ、伊勢さんの引合、
とあるこの中の圏点附の文句は、古来陀羅尼と伝へてゐるが、何を意味するか解らないとのことである。これは陀羅尼でもなければ梵語でもない。西蔵語であつて環境を縁起として願望成就を祈る文句である。
音、分、義の対照表は以下の如くである。
この文句の意は保護して照覧下さい。こゝの一切の現はれが兼て約束しておいた、恋の望みを早く全ふする表徴となつてゐる、それを原因として早く願望成就さして下さいと云ふ義で、環境に因む喜びと祈りの文 句であつて、その文につゞいて、喜びの声として、神楽太鼓にヨイコノエイも相応(ふさ)はしく、又前文の我身の上をこうだぞさ人々が知らしてくれる橋の上を越えて、の文句にも、又毎日こういふて拝まんせ、の文意にも照応結合してゐることを見るべきである。これは道行の謡ひ物として四囲環境が祝儀の意を表ハしてゐることに因んで、祈りの文句を西蔵語に表ハした上乗の韻文であります。