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【 人形浄るりの保存と緊急に行ふべき当面の事 】

 
 
人形浄るりの保存と緊急に行ふべき当面の事
石割松太郎
marionnette 1巻 p73−82 1930.7.28
 
 
 人形浄るりを言ふものは、直に大阪における文楽座に即して言ふのは何故か。人形浄るりは、歴史的にも地理的にも、日本において全国的のものである。然し大阪における竹本義太夫、豊竹若太夫によつて創始されたる竹豊両座の影響を受けないものは、地理的にも歴史的にもあるまい。
 その浪速の地に伝統的に伝承せる現在の文楽座の人形浄るりが、最も発達し、最も代表的の伝統の許に、今日に伝れる事も亦誰人も拒むところではあるまい。
 問題はこゝである。今日『時』の流れは、人形浄るりをして、一般興行の対象にはならない事にして了つた。伝統的の芸格は、文楽座のみに伝承されてゐる。即ち人形浄るりの根城の唯一にして最後であるものは大阪の文楽座である。
 されば人形浄るりの保存を企画するならば、文楽座ソノモノの保存を意図せねばならぬ。
 然るに文楽座の所有者は、純然たる営利を目的とする営利会社である。故に興行の対象とならぬものを、強いて興行の対象とし、営利の目的物としようとしてゐる。この営利会社の意図は、古典を捨てゝ、『時代』の一興行物と為さんと愚かなる努力を続けてゐる。
 これは人形浄るりが、徳川時代の過去において、歌舞伎よりも大衆的な、歌舞伎よりも民間的な娯楽であつたが故に、その隋性によつて依然として民衆娯楽の素性を、今尚持続するが如く思惟さるゝ事、並びに能楽の如く、或階級の保護、特別の庇護を得るには、今日尚、大衆的の素性が残留してゐる事などから、努力次第で、再び民衆娯楽の一機関となり得るものだと誤認されてゐる。−−この点が興行師には、何うかすれば興行の対象たる事を予想されて、無益なる努力を費やされ、大切なる保存の方法を忘れられる運命の許におかれてゐる。
 又興行の興隆をのみ、人形浄るりの上に希望する手合 −−例へば大阪の近松の研究家を以て自ら任ずる木谷蓬吟氏の如きは、人形浄るりの博物館的保存を、滅亡と解して、現在の人形浄るりを街頭に引摺り出して、自由競争の許において、新時代に適応する根本的の変革を加へ、新作を以て人形浄るり興隆の唯一無二の策としてゐる。
 この種新作可能論者は、完成せる芸術を、変革しようとする無法と進歩とを混同してゐる輩である。
 新時代に適応せんとならば、古典の殿堂から去つて、新たなる時代の人形浄るりを創始するも碍げない。完成したる『文楽座の人形浄るり』本質的に変革しようといふのは、法隆寺の壁画の保存を講ずると、他人をも又自らをも欺いて、現今の美術院派の人々に、法隆寺の壁画を揮毫せしめて、剥落せる壁画に代へんとする愚策である。−−これらの事は私は、私の個人雑誌である『演劇月刊』において(第二輯、第八輯、第九輯参照)詳説したから、今は言ふまい。それよりも、
 人形浄るりは、そのまゝに保存を要すべき事。
を仮りに公認されたる自明の理として、こゝから発足出発して、
 完成したる人形浄るり即、現在の文楽座を唯一無二のものと認め、
 人形浄るりの保存即文楽座の保存と解し、
さし詰め保存に緊急事はどうすればいゝかといふ実際問題に、私は卒直に此処で言及ばうとする。−−もう『文楽座の保存』は議論の時代でなくして、実践の時代に入つた。この機を逸しては、もう文楽座の保存即人形浄るりの保存は、本格的において絶望である事を、私は断言する。
 
 人形浄るりの四百五十年の発達は、歌舞伎と足並みを揃へて今日に至つた。然し今日では、その保存方法については、歌舞伎に対する施設とは異り能楽の保存に同じ方法で、その保存を講ぜねばならぬ。歌舞伎と絶縁して、能楽の跡を追ふべきである。
 然し能楽のパトロンと、人形浄るりの後援者とは性質を、根本から異にしてゐるから、『生きた人形浄るり』の保存は、まづ絶望と見ていゝ。早晩滅亡は免るべからざる、何としても避くべからざる運命の許に置かれてゐる。一日を長くすれば、それだけが当事者の効蹟なのである。
 この絶望的な暗い運命に蝕むものが、例の新作論である。そしてその新作論は、人形浄るりの寿命を早く終らさうとする結核菌である事に心付かないで、義太夫一世当時の新作の例に引く。思はざるの甚しきものである。−−その謂ふ処の愚論の一例が『今日の浄るりとて何れもいつかは新作であつた』と!
 私は、興行者及び、興行者の意を迎ふる新作論に、耳を籍さずに率直に、保存の実際案を述ぶるつもりであつた。余計な事に耳を籍さずに、平たく具体案を述べよう。
 私の述べようとする具体案は、『生きた人形浄るり』は、出来るだけ寿命を延ばす事。−−といふ消極的の立場から出発して、現在の完成したる人形浄るりを博物舘的に保存する事を目安とする。
 故に、自ら方法が二つに分れる。
 一、 寿命を一日でも延ばすにはどうするか。
 二、博物舘的保存方法はどうするか。
 
 
   一、寿命を延ばす方法
 を分ちて、二つに分類する。
 (イ)  現在の幕内の組織を改革する事。
 (ロ) 廃滅の曲の復活と、浄るり国の国勢調査を行ふ事。
 この二項目について少し説明を加へてみよう。−−
 (イ) 幕内の組織を改革する事は、幕内の個人的には、誠に気の毒である点もあるが、所謂涙を揮つて馬稜[謖](しよく)を斬るといふ古い言葉が当て嵌る。個人的に楽屋の殆んどを知れる私が敢てこの言を為す所以は、文楽座即人形浄るりを、我が児の如く愛すればこそである。幕内の諸子のこの意を、斯道のために諒とされたい。−−
 ところで,第一に新進抜擢、後進に道を拓く意味において、紋下津太夫、庵の土佐太夫は,この際引退して、紋下の位置を古靭太夫に譲る事が第一歩である。
 引退したる津、土佐のために文楽座の当事者は、両太夫に顧問の位置を与へて、権威ある文楽座番付の欄外右肩上に津太夫、土佐太夫を並べ控へさする。(これは古来の形式で、この欄外の位置は、紋下よりも上位の太夫である事を意味してゐる。実例は今は説かぬ)そして年に二回乃至三回の出演を乞うて、普断は若手の薫陶の任に当たる。場合によりては、浄るり太夫養成所を文楽座の附属事業として設立するもいゝ。
 新紋下豊竹古靭太夫の双肩に全太夫の全責任と、文楽座幕内全体の責任と権能とを与へて、現在幕内の惰気と放慢とを一掃する事。
 三味線は、太夫はなくとも、鶴澤友次郎が紋下格で三味線の統御に任ずる事。
 人形は、吉田榮三が現在座頭であるが、更らに今日の言葉でいへば舞台監督たる権利を与へて、舞台の統一楽座の統御に任ずる事が必要ぢやあるまいか。
 この一埒は少し説明鱈をする。−−
 実例を以ていふと、この二月の興行に、『国性爺』が出た時に、紅流しの場で、玉松の和藤内が本松明を持つて舞台中央へセリ上つた。この場が替つて、次の甘輝舘になつて、榮三の甘輝が大い太刀ほどもあらうといふ煙管で莨を呑んでゐる。この煙管と本松明との不調和が人形の舞台をどう打壊してゐたかは説明を要しない。
 こんな一例が頻々としてある。埒外者の舞台監督は、人形の舞台にはまづ実際の働きは出来まいと思ふ実際問題から、監督的の舞台統一は座頭の榮三が責任を負ふ事になれば、まづ円滑に仕事は運ぶだらうから改めて舞台監督の権能を座頭に付するは理の当然である。
 更らに思ふに近来の人形遣ひの心事を肘[忖]度するに、急に『人形』が偉いものになつた。国宝的の位置を無自覚に与へられてしまつたがために、何が何だか判らずに、ヌーツと来てゐる。愛すべき無自覚なる人形遣ひのこれは当然の態度である。外賓が大阪に見えると、文楽座へ案内する。お世辞のいゝ外人の言葉がそのま、彼等の頭に植ゑ付けられるのである。
 そのまゝに植ゑ付けられたこれら御世辞の結果は、いつも不思議に、人形遣ひは所以のない写実かぶれの舞台を作らうとする。舞台の合理化を計らうとする。
 私は、人形遣ひのこの舞台の合理化ほど、又写実主義ほど『人形の舞台』を毀くものはあるまいと思ふ。
 例へば『千本の鮓屋』が出た時に、榮三が権太を使ふにつきて、母にねだつて貰ふ『地獄の種の三貫目………銀をつけたるこがね鮓』とあるが故に、銀三貫目の形と重量に苦労をしてぬたやうである。−−これらは言はゞ音羽屋畑の細心なる紳経質的の穿鑿で、世話物にはよくある舞台の人の写実的傾向で、咎むるがものではないが、和藤内の本松明の如き、或は『廿四孝』の横蔵が月代(さかゆき)を剃つてある。長尾景勝は月代が延びてゐる、これで横蔵の首を身代りに所変するのは不合理だといつた人がある[と]いふのを、楽屋では気にしてゐるといふ話を聞いたが、これらは千本の小金吾の逆手−−ではない逆首で、理屈からいへば不都合だが、この種の変痴気論が楽屋を相等支配しようとする傾向は、人形浄るりのために怖しい事だと私はいふのである。榮三をして舞台監督たらしむると共に、人形が何故尊ぶき芸術であるかといふ事をとつくりと人形遣ひ達の正統なる自覚を促したい。
 両太夫の顧問は、後進に道を拓く意味であり、目下の如く中堅有数の伸びる可能性のある太夫を一口か二口のカケ合に使つてゐることの愚を緩和する一法である事はいふを侯たぬ。そして現今進歩の見込のない太夫、−−言葉を換へると、今の舞台に聴くに堪へない拙い太夫や見込のない三味線は淘汰する事である。例へば個人としては気の毒だが、貴鳳太夫の如く、幾年経つても場所塞げで、山の賑ひにもならぬ太夫は、自決する事を勧告したい。−−日本の立派な芸の寿命が延びるか延びぬかの瀬戸際だ。斯道のため腫物は切解すべしと勧める。
 
(ロ) 新作は到底周囲の事情の許すところでない。然らば現在の語り物を繰返へしてゐていゝか。そは自滅をまつやうなものだ。然らばどうするか、新作に代るに古典の復活を企図すべきである。といつて決して近松作といふ机上の読ものとして優秀なる作品を選ぶべからず、舞台の実際にうとい人達は又しても近松、浄るりといへば近松でなくては納らぬのは短見者流の話。作者の氏神さまか知らぬが、今日近松の作を舞台にかけてどれだけの功果があるか。近松の原作が人形浄るりのテキストとしてどれだけ有難いか、何の省慮を経ずして、作家の名に眩惑するほど愚かな事はない。
 何故然るか、この原因は、近松の作は近松の時代即ち元禄、下つても享保の浄るりの節と浄るり三味線の手とを予想されて創作されてゐるものたる事を忘れてはならぬ。近松の作に改作の筆を加へねば、何としても後世の舞台に上すことが出来なかつたのは、必ずしも俚耳に入らうかためのみではない。
 浄るりが節、絃の手が複雑化した時に、近松の原作にどれだけの魅力が実際的にあるのかを考慮せねばならぬ。近松の原作/\といふが、節と手は少くも三代長門太夫時代の創作である。いかにしてもこの後世の『朱』のあるものはまだいゝ。近松の浄るり詞章があつても『朱』がなくばどうするか、これが実際問題だ。木谷蓬吟氏などは、この近松の作を未熟なる今の竹本錦太夫あたりに節章を創作せしめ作曲せしめて、近松の浄るりはこれだといつて満足してゐるが、この程度の−−錦太夫程度の腕で作曲が新たに出来る程度で満足するならば、苦労するには当らないのだ。即ち『朱』の伝らない−−仮令それが近松当時のものでないにしろ河堀口(こぼれぐち)の長門太夫当時の『朱』にしろ伝らないとすると、どうするか? 新作が逢着する難関に打つつかるのである。即ち作曲難だ。
 故に古典の復活といつても、実は『朱』の伝はれる古典の復活といふ事に、自ら極限されねばならぬ。
 茲において私のいふ人形浄るり国の国勢調査が必要であるのだ。−−即ち全国に求めて、普通誰れでも知つてるものゝ外の珍しい『朱』の登録である。何の某の手許に何の浄るりの何段目の『朱』があると、文楽座の当事者は片ツぱしから登録しておく。そしてその登録台帳を基として古典の復活に取かゝるのである。
 この登録台帳がないと、何といふ浄るりを出したいと考へても『朱』があるかないかが分らぬ。闇雲に暗中摸索をするよりは、まづ『朱』の登録をして、その台帳によつて復活の各曲を定めて行くと、嚢中の物を探る訳ではあるまいか。−−敢て提言する。これを私は浄るり国の国勢調査といふのである。
 これで第一項目は終へた。
 
   二、博物館的保存方法
 これは、私は八九年来、いろ/\なものに説いたし、又私の『演芸月刊』にも筆を禿して書き、口を酸つぱくして説きもした。近く出版する私の『人形芝居雑話』にも、うんと説いてゐるから、茲では只項目だけを挙げておかう。
(イ) 人形の舞台を、そのまゝ映画に撮影しておく事。但し『人形芝居』の映画化は害ありて益なく保存の趣意に逆ふものである。
(ロ) 浄るりはレコードにとつておく事、これも売物になる音譜のコレ[レコ]ーヂングは用なし。人形の舞台の間(マ)の音譜たる事を要す。芸術に間(マ)の必要なる事いふまでもなし。音譜によるための間(マ)は考慮せず人形の舞台の間(マ)を本位とすべき事。
(ハ) トーキーが完成せば、勿論トーキー代物だが、トーキーの完成を目下の情勢は待つてゐられないと思ふ。それほど緊急事である。
(ニ) 人形の頭(カシラ)の分類とどの頭をどの役に用ゐたかといふ詳細なる記録。
(ホ) 人形の型の記録。
(ヘ) 人形浄るり史−−舞台本位の−−の完成
 
  これで筆を擱く。もう議論の時代でない実行の時代だ。これをどうして実行に移すか? 実行についての腕を借してほしい。私は私一人の力で出来る項目は、まづ自ら行はんと努力してゐる。例へば第二項目中の(ヘ)(ホ)(ニ)位である。
 敢て世の有識者に祈ふ。この案に不備の点あらば勿論教へを乞ひたい。要はどうして保存の実行に移すかだ。もう実は一刻をも争ふ危機に、人形浄るりは立つてゐるのである。これを思ふたびに私は心が寒くなる。
                                       (昭和五・六・二二)