僕が、この本の出版を考えてから、既に十五年ばかり、坂本さんが、古川柳叢書の一冊として予告してから、十年ほどたった。
しみじみと、つき日のたつのは早いものだと思うし、一冊の本が出来上るには、紆余曲折のあるものだと考える。ともあれ、約束を果せて、ほっとしたのは、坂本さんも同様であろう。
大村さんは、僕が、原稿をせきたてたように書かれているが、これは実際であって、大村さんは多忙すぎるのである。貿易通信社の社主としての繁雑なお仕事の外に、名前だけとは云うが、自由人権協会監事とか、法律扶助協会評議員とかの肩書を持ち、加えて、毎月の柳樽初篇輪講の礎稿を受持ち、更に、柳樽拾遺の輪講にも加わっている。いやそればかりではなく、朝日新聞日曜日の川柳随筆の誤りを見つけると、ひと言、云わなくてはいられない性分である。そんな状態の氏が、これで十分である、と云うまで原稿を、訂正増補するのを待っているのは、百年河清をまつに等しい。
長い年月にわたって成稿されたものなので、行文の不一致、句・読点のすくない文章、独特の用字、出典の表記、カッコ使用等々に統一しかねた処も多少あるが、それらの不備な点は、著者・刊行者の共同責任とも云える。
製作は僕一人で行なったので、書物製作五十年の経歴を持つ坂本さんから見たら、気に入らぬ点があるかと思うが、お許し願っておく。
お詫びついでに、もう一つ。本書の売価について、大村さんは、はじめから、活字になれば、どんな用紙でも、どんな装釘でもよい、部数を多くして出来るだけ低価な書物をつくってくれ、と云われていたが、正反対な結果になってしまった。本書が気に入らぬ方は、購読なさらぬだろうし、従って、この後記も読まれないだろうから、その理由を、くだくだと記さない。
本書の表紙は、 文楽人形の夕霧の頭ではないかと思うが、
はっきりしない。覆製の原典としたものは、劇場のプログラムの表紙らしく思えるもの、その断片から採った。
用紙は、 恋しらぬ紙ハほどむらにしの内(樽九○7ウ)と詠まれている、茨城県程村産のもの、西の内と同じく厚手の紙で、恋文には不向きなものである。(花咲)