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【 忠臣蔵偏癡気論 式亭三馬 】

(2022.03.31)
提供者:ね太郎
 
忠臣蔵偏癡気論 専修大 新日本古典籍データベース、 早稲田大学図書館古典籍総合データベース
翻刻 滑稽名作集 上 pp.401-442 博文館 1894.6 国立国会図書館デジタルコレクション
   演劇文庫 第五編 演劇珍書刊行会 1914.10   国立国会図書館デジタルコレクション
   式亭三馬集 叢書江戸文庫20 pp.211-246, 国書刊行会 1992.3.30
参考 諏訪春雄 仮名手本忠臣蔵と近世後期小説 調査研究報告書No.18赤穂事件に関する文芸と思想 pp.1-17 学習院大学東洋文化研究所 1984.3
 

忠臣蔵偏癡氣論初稿 江戸書賈 雙鶴堂梓 式亭三馬戯偏(見返し)
題巻首
偏癡氣先生は何人ぞ。生得田舍の正銕老爺(かたおやぢ)、俗称石部金吉といへり。性偏屈にして木は木。金は金。理は理。非は非と壓(お)す故に。當世の人氣(じんき)に遇(あハ)ず。朋友(ともだち)の交情(つきあひ)をしらず。宿昔靑雲の棧(かけはし)を趺(ふみはづ)し。先祖代〳〵の飯粒に離てより以降(このかた)。癡(こけ)を惜で清貧を好み樂ミ。躬を餝(かざつ)て惡態を衝き。浮世を三文に安(やすん)じて(序ノ1オ)裸体(はだか)を百貫に高ぶる。頃日(このごろ)忠臣藏の雜劇(きやうげん)を觀て大(おほい)に嘆じて曰、吁(あゝ)瞽目(めくら)萬人明目(めあき)一人(いちにん)なるかな。大星めが冀痴漢(くそだはけ)。忙(あきれ)てものが言(いハ)れず。且(また)莞尓(にこり)と笑て曰。鳴呼忠臣鷺阪殿。泥中の蓮(はちす)沙中(いさごのなか)の金(こがね)。唐山(もろこし)の豫讓、國朝(わがくに)の伴内先醒(せんせい)。和漢両朝に唯(たつた)二個(ふたり)なるべし。凡て性質の善惡を正し。行蹟の理非を明(あきら)め。而后(しかうしてのち)にヤンヤと譽め。ヘゲタレとも悪む(序ノ1ウ)べきを。世人(よのなかのひと)評品の譯をしらず。やミらみつちやの茶〳〵むちやく。蚯蚓(めゝず)をも大蛇と爲し。大象をも土龍(むぐらもち)といふが如し。余傍(かたはら)に在て曰。先生太(はなは)だ村學究なり。當時(いまどき)さやうな俗(やぼ)をいはば。淨瑠璃も語られず演劇(きやうげん)も仕かたなし。詰らぬ論に息精張て。肚(はら)を耗(へら)すだけ損なれバ。とんといハずにすまそぞヱと。鼻唄交に止むれど偏痴氣先生耳にもかけず。抅欄(しばゐ)ハ嫌(きらひ)。淨(序ノ2オ)瑠璃否(いや)。かけ搆(かまひ)もなき愚老が身なれバ。思ふ事いハで止なんも腹脹れて寐かぬるとて。眼鏡もかけずに。ぽつり〳〵。書記(かきしる)したる偏癡氣論。定めて高論と思の外。塩銕論の銅脉にて。論より証據の偏痴氣なりけり云爾
文化八年辛未夏六月中浣本町延壽丹藥店において
式亭三馬戯題 印(序ノ2ウ)
 
【高の師直手きず(疵)をやうじやう(養生)するところ】
こゝに圖する人物ハへんちき論の外也。これハ太平記と忠臣藏とのひあハひ(廂間)をかんがへたるものしりの說にて、よほど實錄にちかし。人〴〵三馬が戯作と思ハず、信心して御ちやうもん(聴聞)あられませう。ミやうがせん〳〵。
すべてかんねいじやち(奸佞邪智)のやから、むほんなどをたくむものハがんしよく(顔色)にうわ(柔和)なるものなり。そのにうわにだまされて、君もこゝろをゆるし、臣もひとつあなへ引こまるゝものとしるべし。人情ハ古今かハらず、今の人にくらべていにしへをおもひやれバ、なか〳〵芝居でするやうなことにあらず。かたき役ハかほであらハれ、實事師ハかたちでしれるほどならバ、たれありて悪人をちかづくるものなし。むしもふミころさぬやうなる人が、とんだ事をしでかすものなり。ヲヤ〳〵あの人がそんな心いきとハゆめにもしらなんだ。さて〳〵人にはゆだんがならぬぞなどゝ、むかしもおほくいふたことであらうなり。
「ある人曰、師直ハ歌道に心ざしふかく、風流の士なり。がんしよく(顔色)もすなほらしき人にて、ことばなどもしごくていねいなりしと云々。なんで見たか、引書までハつまひらかならず。
「日本ばしの藤の丸からかうやくを(膏薬)四五まいでよしさ。たばこでハあんまりだ。
「あのさわぎでかほよから來たたんざく(短冊)をなくした。ハテをし(惜)いことをしたス。新古今にあるうたで、かほよが自筆ときてハ、好事家がうれしがるだらう。よつぽどねうちものだ。
「えんやのかんしやく(癇癪)めがおのれ師直まつぷたつと切かける。そのときもろなほちつともさわがず、ひたいでうけて、ひらりとにげたが、ぼんにんわざ(凡人業)ではあるまい(1オ)
 
【本藏まいない(賄賂)の勘定する所】
加古川本藏ハ武の用にハたゝぬ男なり。勝手まかなひなどをさせてハ町人そこのけといふしろものなるべし。
本藏「ヱヽトまづおく(奥)方のつかひものがまきもの(巻物)三十本にわうごん(黄金)が二十まいとせうか。イヤ〳〵こゝをきばつて三十まいさ。同二十まいがおれがしんもつ(進物)といた(痛)まずハなるまい。同十まいがばんがしら(番頭)よ。同十まいがさむらひぢう(侍中)として、つがふ〆て七十まい、大づも(積)りにして廿兩づゝ二七千四百兩、そこへまきもの(巻物)が二兩づゝと見て、こいつ二三六十兩、およそさう(惣)高千五百兩のいた(痛)ミぎんざん(銀山)ね(寝)ずにとりしらべて、師直がやしきへもつてゆかずハなるめへ。コリヤ〳〵本藏が馬ハひいたか、これからまきもの(巻物)をひ(引)くさんだん(算段)だ。
「これできかずハ、もつとやらうが、それでハこつちがまいない(賄賂)つぶれ、つの(角)だせぼう〳〵まいに、うすきねすりばちそろばんぱち〳〵、ホイこれハしたり、これでハおはら(払)ひさまをもつて來た人がういらうう(外郎売)りになつたやうだ
 
【ゆらの助長もちへ入て天川やへゆく所】
○ゆらの介が人がらハ、訥子梅幸などのするやうなものでハなし。よのつねのお國武士にて、き(聞)くとみ(見)るとハ大ちがひなり。
ゆらの介云「ま(間)男がこたつへかくれるといふ事ハきいたが、家老がながもちへはいらうとハ、ゆめにもしらなんだ。ながもちに醉ねバいゝが。
「馬かごにのるとちがふて、長もちハミどもはじめてのことぢやけへ、やうすのしれぬことだは。隅の方はくものすども無[にやあ]か、よく見んナ。こりアどうか〳〵、息ばしつまつてどうすることもならんたい。天川やどもいたら、すぐさまふたを開[ひりや]あてもらハうばい。義平めがながごといふたらのたんばい〳〵。
 
【えんや若狹の助けんくわばなし】
○えんや判官と若狹の助ハどれをどうともいハれぬかんしやくもち。やゝもすれバきつてしまへといふふうにて、眉と目ハつりあがり、あやつり人形がノリ地のにらミといふがんしよくなり。
わかさの介「あやつめ(彼奴)をつるが岡でぶちきつてくれうかと思ふたて。
えんや「おれどもなどなら、そのば(場)でぶちきるども、きかう(貴公)ハまだ氣のながいところがあるたい
 
【力弥雪にて五りんの五塔をつくる所】
力弥云「五りんと見えれバいゝが、どうかひちりん(七輪)と見えさうだ。アわれながらぶさいく〳〵。
力弥ハ狂言にするやうなるよわ〳〵しきものにあらず。とし十六才にて身のたけ五尺何寸の大わかしゆ。いろくつきりとくろく、はなの下にあをひげのある、でく〳〵としたまへがミなり。おやハいつまでも子どもと思つてふりそでをきせてハおけど、さてよくお似合なさるふう也。(1ウ2オ)
 
【伴內かごにのる所】
○伴內ハ大兵にて、まことにいやミなく、男らしき武士なり。
伴內いふ「石をかごにのせておれがあるいてゆくも、こけなさただから、おれもの(乗)らう。しかし九太どののおぼしめしをそむくでもないから、石ハやはりそのまゝ〳〵。ハテこゝがしんぽうだ。石のうへにも三年といふことがある。おれハものがたいから、石ハ石、金ハ金とせねバきがすまぬ。そこで石ハ石でのせておいて、金ハ金でおもたましをやるぞ、いそげ〳〵。
 
【勘平とおかると山ざきのほとりへかけおちする所】
勘平は圖のごとく、にやけた男。おかるハうつくしいといふほどでハなけれど、男ずきのするふうなり。おほかた拾兩づめぐらゐと云々。これハおかるを買た人の說なれバうたがひなし。
勘平いふ「かまくらから山ざきまで、女のあしでハはやくて十四五日のたびだによ。コレてめへあるけるか。そしてうら門からずいとくじ(随徳寺)と出かけたゆゑ、ろぎん(路銀)ハ三文もなし。かミしもとさげもの(下物)をうりはらつて三日ハつゞいたが、此あとハどうせう。
おかるいふ「かん平どん、おめへもやくにたゝねへ氣だのう。あすが日ろぎんにつきたらバ、あたまのものをなくすハな。此おびもかほよさまからいたゞいたのだから、(2ウ)やすくはねへ。すてうりにして壹兩貳分ハうぬ買へだ。それでもふり袖でこねへでしあハせさ。したぎハミんなおばけだものを、賣ても直にハならねへハな。ハテ山ざきハおちやの子さ。まつぱだかになつて、賣ぐひにせうと思へバ、やまとめぐりハのゝ宮たかさご(高砂)だ。そんなに氣をおとさずと、だんごでもくひな。いろの道も京の道も、はらがへつてハはじまらねへ。
 
【となせ小浪山科へゆく所】
此兩人ハよい女と思ひの外、わかさの介の御家中、風俗はなハだ古風なるやぼづくりにて、はやりものハ三年ほどおくれても(持)つふう(風)なりと云々。
小なミにきせたる衣服なども、ばァさまのゆづりものや、をばさまのかたミわけ。となせが娘ざかりに着た物で、平生まにあハせておくゆゑ、いつかう(一向)なべんべらものなり。
○かまくらから山しなまで、おや子ふたりづれの道中すがた。ふるいゆかたを上にひつぱり、浪の平行安やら、なミ(浪)のうへ(上)うきやすやら、なんだかわからぬふたこし(二腰)をよこ(横)つてうに脊負(しよつ)たところハ、をつ(乙)ないたこ(潮来)をうたふ瞽女のごとし。
 
【了竹なげられて歸宅する所】
了竹ハさぢ(匙)をおが(拝)むたぐひのやぶ(藪)にあらず、がくもんもありて、さぢ(匙)もまハ(回)る医者なり。これまつたく義平といふあいてがわるいゆゑなり。
了竹いふ「古方家ならむだが、おれをバたておろしにしをつた。えん切たれバ、しうと(舅)でないといつて、義平めハおれをなげたが、おれも又あの男にハさぢ(匙)をなげた。あのくらゐ理のわからぬ男もないものぢや。草根木皮のおよばざる所、さて〳〵難治の症ぢや。ドリヤこれからむすめを余人[よじん]と出かけませう。(3オ)
 
【九太夫定九郞をかんだう(勘當)する所】
○九太夫ハひとがらよく、はなハだにうわ(柔和)のがんしよく(顔色)にて、どこへ出してもえんやの御家老と見ゆるふう也。
○定九郞ハきいたふうにて、はいかい・茶のゆ・琴・さミせん・いけ花ござれ、碁・しやうぎござれ、ちりから尺八なんでもかでも十六文ぐらゐづゝおぽえて、だミそ(駄味噌)ばかりあげたがるふうなり。
九太夫云「コリヤ定九郞、わがあたまハなんといふゆ(結)ひざまぢや。それが家老のちやくし(嫡子)といふざまとおもふか。たいこもちどうぜん(同前)のふうぞくをいたして、いらざるゆうげいにミをいれ、なかんづくこハいろ(声色)とやらをつかふとやらふうぶん(風聞)いたすが、それハなんのためぢや。コリヤやい、しよかつりやう(諸葛亮)がきん(琴)をならして大てき(敵)をしりぞけ、張良がふゑをふいててき(敵)の心をくぢいたハ、ちぼう(知謀)のたくましき所ぢや。治に乱をわすれず文武兩道をはげまうとハ思ハずして、ながうたをそらんじ、さミせんをゆだね、おのれまづなんと心得てをるぞ。すハや殿の御大事といふとき、やぐらにのぼつてこハいろをつかはゞ、大軍おそれをなすと思ふか。一ばんやりのてがらハあるとも、二てうざミせんの高名があらうか。あのこゝなくそだはけ。いろとさけに身をもちくづし、身のおき所しらなミや此かいどうのよばたらきして、つひにハろくなしにざまハしをるまい。七しやう(生)までハおろかな事、一斗五六升までかんどう(勘当)ぢや。きり〳〵と出てうせをらうト。九太夫ミぜん(未然)をさつするとハいひながら、五だん目の文句まで見すかしたるハすさまじきがんりき(眼力)なり。
定九郞「七しやうの八しやうのと月見のいもを買ふやうだと心のうちにおもつたばかり、さすが定九郞も此所ハだんまり也
 
【かほよ御前ゆらの助へおくるミつしよ(密書)を書く所】
かほよ御前のうつくしいことハいはずとしれし御事なれバこゝにりやくす。
かほよ「氣のきいた男でさへ女郞のふミハよみにくがるものだ。アノゆらの介ハ大やぼすけときてゐるから、女のふミハよめまいス。こまつたものだ
「あれ又參候と書た。ヱヽモどうせうのう。あんまり用がおほいから、參候もおほいはずだけれど。
「さて又、猶又、また〳〵はた又がいくつあるかしれない。此あとハ何又と書たものだらう。
「ミづからが此なりハ、女かるわざのかんばん(看板)ぬのさらし(布晒)といハねばよいが。とかくけんぶつがうるさいはいのう。
「なるほどかう見た所がうつくしいしろものだ。はんぐわん(判官)ハせつぷくしておし合せ。モちつといきてゐるといづれじんきよ(腎虚)さまだ。
 
【平右衛門ひきやくに行て歸つたる所】
「四十六人の衆といつしよなら切腹もにぎやかでいゝが、おれひとりでハきりばえがしねへ。こゝでぢばらを切た所がかミと見られてわりまへを出すやうなもんだ。このひか〳〵ひかるやつをはら(腹)へぐい、アヽいや〳〵、見てもいた(痛)さうだ。よしませう。おらアはらの灸さへも他[ひと]にすゑてもらふほどだ。ヲヽおつかないことかな。見てもぞつとするおそろし〳〵。(3ウ4オ)
 
【お石夫トゆらの助が一力がよ(通)ひのるすをする所】
丸お石ハはつめい(発明)なれど、さすがハ女のかなしさハ、夫トの心のかはらぬやうにと、和合神さまをいのる。ヲツトまつたり、足利時代に和合神といふがあるか。コレやぼをいハつしやんな。そこまでハまだかんがへずさ。
「やきもちでハこざりませぬが、夫トゆらの介まいにちのぎをんまち。ひよつと女郎にはまりまして、ほんしんほうらつになりませぬやうに、何とぞおまもり下さりませ。もしも女郞にのろくなりましてハ、せがれ力弥がてまへもきのどくでござります。私ハともかくもと申たいが、私もやはりはらがたちます。
 
【天川や義士ほつそくあとのところ】
○人物すべて圖のごとし
○天川や義平ハ大坂下りのかるわざの口上に出さうなる男なりと云々。
おその「おまへ又、こないなことなら、かうしたわけぢやと、つひひとこと(一言)いふたがよいわいな。あほらしい。だいじのかミ(髪)のけ(毛)まできりくさつて、なんぢやいあのさぶめが。
「あんだらぬかすない。それいふほどなりやくらうハせぬわい。い(言)ふてハものがないさかいに、いハぬのぢやハい。ヱゝごくどうめが。
「そのかミはかもじなといれていふたがゑいハい。それでこそおかもじさまぢや。
「なにいひぢやいな。ひとの氣もしらいで
「サアそこぢやて。ひとの氣がしれぬさかい、ぼいまくつたのぢや。ナントゑらいか。しやつとでもいふて見され。天川やの義平ハ男ぢやさかい。ちゝがなうてよし松めにほつとこまつたわい。
 
 
忠臣藏偏癡氣論
 偏癡氣先生著 式亭三馬再校
 
○足利左兵衛督直義公
今度鶴が岡八幡宮造營成就に付。兄尊氏の代參としておもき身分にありながら。塩冶が妻かほよに向ひて。兜の本阿弥。目利〳〵とハしやれ過たる詞人体に似合ず。又後醍醐帝より給ハりし義貞の兜がしれねバとて。其いにしへ兵庫司の女官(1オ)たりしかほよを召て改さすとハかぎりなき癡呆(たはけ)なり。兜の数ハ四十七あるひハ直平筋兜。かず〳〵多きその中にも五枚兜の竜頭とあれバ。よつぽどねき物(ぶつ)な骨董舗(ふるだうぐや)に見せても。大将の兜とハしれた物なり。殊には蘭奢待の名香かをるゆゑ。かほよも小鼻をいからして。天仙蓼(またゝび)を焚(たか)れた猫の樣にふん〳〵いふて嗅中(かぎあて)たれバ。やんやといふべき手抦にもあらず。名香薫る竜頭の兜。蠢子(こけ)にも夫(それ)としるべきを。(1ウ)直義の不鑒定、馬鹿律義とやいハん笑ふに絕たり。
 
○高武藏守師直
師直ハ鎌倉の執事職。足利直義社参に就てハ第一の大役。殊更勅使馳走の大小を指揮(さしづ)して例式作法を教授[をしへる]す。博達聰明[ひろくことをしりかしこき]の士にあらずんバ此役義勤りがたし。しかるに塩冶判宦等。此たび馳走の役義を蒙り。万事師直がひき[曳]まハ[進]しにあづかり。時宜の指圖をうけ。殊にハ礼法古実の師範(2オ)なれバ。諂ふにてもなく阿(おもね)るにてもなく。身分相應の謝義[しうぎ]贈物ハあるべき筈なるに。これまで何の會釋にもおよばず。剩(あまつさ)へ館において女房よりの文箱を手づから達し。師直に耻辱をあたへんとする仕方。言語道断不出来の至りなり。きかぬ藥を飮でさへ相應の謝礼をするハ世上の習俗(ならハし)。ましていハんや判宦等、師直なかりせば坐頭の杖を失ひ。舟師(せんどう)の篙(さを)を流したるがごとく、役義の勤(つとま)らぬハ目前。郷右衞門(2ウ)等が吝嗇[しわんぼう]から起ることとハいひながら。師直の立腹無理ならず。若狭之助ハ本藏が斗(はから)ひにて、師直が執成(とりなし)も能く役筋首尾よくつとめ、第一ハ君への忠義、身の面目ひとかたならぬ手抦といふべし。世人只師直を譏(そし)れど役筋一途において少しも瑾(きず)なし。只判宦が妻かほよに戀慕の事師直が不調法也。併(しかし)文哥などの徃来(わうらい)ばかりにて。聢(しか)と密通したるにもあらざれバ。さまで咎るほどのことにもあらじ。或人(3オ)の曰、師直ほどの侍が判宦に切かけられて。抜合せもせず迯(にげ)隱るゝハ、比興(ひきやう)の至りといふべき歟(か)。予が曰、不然(しからず)、これハ直義社參の本陳、殊に勅使饗應の時節(をりから)なれバ塲所を憚り抜合せざる也。かゝる急塲に望ても君臣の義を重んじ進退礼を守るの士(さむらひ)といふべし。さるほどに判宦にハ切腹抑付られしかども、師直にハいさゝかの。御咎もなし。是等にて考しるべき也。又曰、若狭之助に出合ふて兩刀(ふたこし)を投出(なげいだ)し。身を遜(へりくだり)て(3ウ)佗たりしハ、輕薄表裏の士(さむらひ)ならやずや。予が曰、左にあらず。本藏が音物(いんもつ)も受てより怱卒(にハか)に前日の過言が氣の毒になりしハこゝろ廉直なるがゆゑ也。譬バ吉公(きちかう)と亀公(かめかう)と小児諍論(いさかひ)をする時、亀公に對(むかつ)て吉公悪態をついて義絶(しんどき)にす、其時亀公のをばさん飴棒(あめんぼう)をもつて吉公に呈すれバ忽(たちまち)寛尓(にこり)となつて和睦(なかよし)以前に倍するが如し、師直初段の失言ハ不出来といへども、誤て改るに憚ることなかれと(4オ)あれバ、さのミにくむべきにあらず。
 
○鹽冶判官高貞
大切の役義を蒙りながら。師直若狭之助よりもはるかに遅く登城するハ何事ぞや。殊に力弥を使者として桃井が館へ遣ハし、刻限正七ツ時と申合せながら。遅滯せしハ、役目おろそかとやいハん甚不出来なり。寐間にハ自鳴鐘(とけい)もあるべけれバ、八ツ時より起出て支度して待べきに。左ハなくて(4ウ)べん〳〵と遅(おそな)ハりしハ、師直が云(いふ)に違ハず。かほよが顏ばかりながめて。內にばかりへばりついてござるゆゑ也。加之(しかのみならず)差別(しやべつ)もあるべきに。文箱をとり出し。是ハ奧かほよ方より參りしなどゝの大たはけ。是皆かゝア自慢より引出したる失(あやまち)なり。竟(つひ)にハ短慮の一刀をぬいて眞額(まつかう)へ切つくる。是はなハだ劔法に暗し。急塲にてハ心せくゆゑ。切かくる刄ハ必ず翦(それ)て薄手となり。對手を仕留ざるもの也。判官此とき(5オ)師直に飛かゝり、只一刀に指貫(さしとほ)さバ、本藏にいだき留られ一端取迯(にが)すとも。師直が命ハ所詮助るべからず。是等皆若輩未熟の誤なり。扨又上使接待(あしらひ)にハ極れる法式あり。判宦其礼をしらず。上使書院へ通り。坐に着くか着かぬうちに。お盃の用意せよなどつまらぬ事なり。尤祝儀事とかいふやうな節にハ、上使へ饗應ある事是又礼式なり。此節迚(とて)も上使の前にて盃など申付る事(5ウ)不礼なり。兼て勝手に用意あるべき事也。殊更今日の上使ハ切腹の𢮦使と。かねて覺悟ならバ猶さらのこと也。其うへ上使の前にて帶を解(とき)。衣服を脫(ぬぐ)事これまた失礼也。切腹の期(ご)に臨ミ、由良之助ハまだか〳〵と度(たび)〳〵のよまひごと未練千万。灸すゑながら乳母をたづぬる小児の心に等しく武士の恥べき所なり。此餘ハ師直が條下に記すれバ再びこれを(6オ)論ぜず。寔(まこと)に酒狂か血迷ふたるに相違ハあるまじ。
 
○桃井若狹之助安近
館にて師直に耻しめられ殘念一心に凝(こ)り、已に討果すべきに所存をきハめ家老加古川本藏に輕からざる誓言を立させ。意趣をあかし。且又本藏に励されしうへハ、是(ぜ)にもせよ非にもせよ。思ひ込だ一念を仕通すが(6ウ)武士の意氣路。それが瓦落離(ぐわらり)と相違してかすり疵だに負(おふ)せず。ねたば合せし刀の手前面目を失ひ。屋敷へ歸り本藏に何と云訳すべきや。家来とハいひながら武士に誓言まで立させて極めし胸が此やうに飄(ひるがへ)り。女童の遊び事見るやうに氣の毒千万。扨又本藏にむかつての物語。奥といふことを三度までいふハチト鼻毛らしし。其一に、日比(ひごろ)某(それがし)を短慮なりと(7オ)奥を初め其方が異見。其二ツにハ、無念かさなる武士の性根。家の斷絕奧が歎(なげき)。思ハぬにてハなけれどもとハ何事ぞや。家の斷絕、奧が歎ばかりを思ひやりて。本藏初め大部屋の折助に至るまで一家中の歎を想像(おもひやら)ざるハ情なき主人なり。又刀の役目弓矢神への恐れといへど。遺趣斬に命をはたせと弓矢神ハいふまじ。又戰場にて打死せずとも師(7ウ)直一人討てすつれバ天下の爲など口がしこういへども。太平記を見よ。直義さへも兄尊氏に刄向ふて合戰やむ時なき乱世なれバ。師直一人討たりとも天下の爲といふほどの事にもあらず。其三ツに、奧にもあふてよそながらのいとまごひとハどうやら未練が殘りさうに思ハるゝ也。しかし若狭之助年若のことなれバあげて論ずるにたらず。(8オ)
 
○大星由良之助義金
其主判宦沒して後。忠士を集め。旦夕[あさゆふ]仇を報ひんことを議(はか)り、山科に蟄居(ひそまりゐる)して竊(ひそか)に銳氣を養ひ。時節を伺ひ終に敵(かたき)師直を討取事。如何にも唐土の豫讓にも耻べからず。然れども治世の良臣とハ云べからず。かほどに忠義を尽すの心あらバ、かやうに敵討などゝいふやうな禍の出来ぬやうに兼て斗(はから)ふ(8ウ)へき筈なり。身ハ家老の職分。一國一城の權柄を握る由良之助。かほどの大事出来するまで安閑として國に居るハ何事ぞや。是其主人判官短慮故の事抔とのへらず口。さほど短慮なる性質[うまれつき]をよく存じ居らバ、何ゆゑ由良之助早速鎌倉へ罷越(まかりこし)馳走役を御斷申さゞるや。主人御請申せしを家老の請ざる例(ためし)、古今少からず。短慮といふも本(もと)癇疾にして平生ハ無事の(9オ)やうなれども、身において大病なり。大病を以て役義辭退するに。誰か是を不埒といハんや。是其二ツ。力弥が一力へ持參せしかほよの密書。人多き揚屋の座敷にて披見し。たちまちおかる九太夫兩人に見付られ。無念のあまりおかるを身受し殺さんと迄斗(はか)る不仁のふるまひ。是また自分の思慮うすく。大事を思ひ立ながら酒色に耽るゆゑ也。是其三。手負の九太(9ウ)夫に大事を明すことハ。是ハ鴨川で水糝(みづざうすい)を食(くらハ)して仕舞ふつもりゆゑ。他(ほか)へ泄(もる)る事あるまじけれども。出入多き揚屋の内。餘人の見聞をも憚らざるハ不念の至なり是其四。蛸を喰ふた其時ハ四十四の骨々が碎るやうに有たとハ。定て主人の逮夜に據なく精進を落たといふ事なるべし。さほど逮夜を大切に思ハヾ其夜茶屋遊興はせぬ筈也。蛸を食ふよりも不愼(ふつゝしミ)の(10オ)至(いたり)也。是其五。夜討の時に雨戶をはづす由良之助が工夫。竹をたはめて弦を張鴨居撓で溝はづれ。障子のこらずばた〳〵〳〵。と由良之助が侘住居の鴫居(しきゐ)鴨居ハ竹の力にてもたハむべけれども。師直は大名なれバ。屋敷も堅固に建まへも丈夫なるべし。中〳〵竹の力を借て雨戶をはづす事心得がたし是其六。由良之助天河屋義平に謂て曰。亡君御存生の時(10ウ)ならば一方の籏大将(はただいしやう)。一國の政道を御あづけ申たとて惜からぬ御器量と。左程に思ハヾ判官存命の節吹擧して。一國の政道ハ預ずとも。何ゆゑ武士にハ取立置ざるや。賢を知て擧ざるハ不忠の至り也。今始て義平が賢なるを探(さぐり)知たるにあらず。其證據ハ泥中の蓮(はちす)沙(いさご)の中の金(こがね)とは貴公の事。左もあらんさもさうずと。見込んで賴んだ一大事。此由良之助(11オ)ハみぢんいさゝか御疑ハ申さぬといへり。是從来(もとより)義平が心服を能(よく)知てゐるゆゑなり。知らずんバ何ぞ。此度の一大事をうか〳〵と賴むべきや。しからば則主人存生ならバ一方の籏大將。一國の政道を預るのとハ。誠に九大夫か所謂ねらりくらりの正月詞にして。一時義平におもねるの虛談なり。是婦女の心にして武士の取ざる所なり。是其七。由良之助ハ判官の家老。(11ウ)義平ハ判官へ出入の町人。格式をならべ論ずる時ハ。玉と炭團ほどちがふ身分。夫に何ぞや由良之助長持より出るがいなや。義平に向ひ手をつかへ。扨〳〵驚入たる御心底などゝ甚相選の礼節也。浪人したるゆゑ身を卑下するといふ謂なし、ことさら亡君の値を報ぜんと。旦夕(あさふ)心をつくす由良之助。浪人しても家老なり。出入の町人へ對してハ万端(12オ)詞付丁寧過る所あり。是主人より受る所のおもき職分を陋しむるに似たり。是其八。捕人(とりて)をもつて義平を圍ひ。心底を試る事。是もせまじき事にハあらねとも。今夜鎌倉へ出立する期に臨んで。心底を試たとて何の益かあらん。左ほど疑しく思はゞ。㝡初何事も賴まぬ前に試るがよし。今義平に異心あらバ何とする事ぞ。前後不都合の(12ウ)仕方。是其九。敵師直を討取て牌前にて焼香の節。第一ばんに十太郞は尤もの斗(はから)ひなれども。第二番に勘平に焼香さするハ道理なし。勘平ハ主人へ對し不忠甚しき大だハけ。剩へ舅までを他手(ひとで)にかけ。敵討の塲所へも出ず犬死したる者なれバ。先第一義士の連判に加るべき人抦にあらず。殊に赤心の忠土数人を差越。二番に焼香さすべきいハれなし。是其(13オ)十也。餘ハこと〴〵く言につきず。しばらくこゝに畧す。ある人の曰。七段目おかるが刀をしつかと持そへ。夫勘平連判にハくはゝりしかど敵一人もうちとらず。未来で主君に言訳あるまじ。其言訳はこりやこゝにと。ぐつと突込む疊の透間。下には九太夫肩先ぬかれ七轉八倒。此ふるまひいかにも不思義也。薄紙一枚の下へ蚤が一疋飛込んでさへ。まんざら夫としり(13ウ)つゝ。上からハわからぬものを。由良之助いかなる術を究たるや。椽の下に居る九太夫を疊の透間よりさしとほせしハ。見突の鰈か。冨の札をつくよりも。餘程(よつぽど)手重き業なるを。見事やりつけしハきついもの也。万一九太夫が居らぬ時ハ。おかるが手を持そへて。其言訳はこりや爰にといひながら座敷中を探り廻り。疊も根板(ねだ)も疵だらけにして。勘平(14オ)よりハさしあたる由良之助。其言訳ハこりや。爰になかるべしといへり。此說至極尤也。
 
○斧九太夫
九太夫ハ能(よく)物を未萠(みぼう)に察す。先見明らかなる人といふべき歟。郷右衛門が曰。花は開く物なれバ御門もひらき閉門も御赦さるゝ吉事の御趣向といへり。九太夫ハしからず。此度殿の越度。輕うて流罪。重うて切腹といへり。果し(14ウ)て判官切腹なり。扨又我子定九郎が平生の行義を見て。行末を察して勘當せり。果して定九郞盗賊辻切をなし。終に人手にかゝる。是先見見えすく程に明らかならずんバ。何ぞひとりの子を勘當せんや。只惜らくハ。國家の菑害(わざはい)を未萠(きざゝざる)に察せざる事を。
 
○加古川本藏行國
若狭之助が若氣の短慮を諫めず。却て悪(15オ)行を励し勧め。裏より廻て師直へ賄賂(まいない)の進物。此計(はかりこと)極て拙し。是等を表裏の侍といふならし。然れども由良之助に比すれバ本藏を優とす。拙き計といへども。主人に恙なく役義を勤させたるハ。時に取ての功と云べし。虚無僧に爲て京へ上り。聟力弥が手に懸りて娘の緣談を極る事。子に迷ふ親心とハいへども。まちつと仕樣も(15ウ)ありさうなもの。委しくハ九段目を考ふべし。
 
○戶無瀨
となせハ誰が娘なることをしらず。うたがふらくハ花車か。仲居のなり上りか。女郞の果か。極めて侍の娘にてハあるまじ。判官より力弥使者の節。小浪に取次させんとて。いつはつて積(しやく)をおこし。アイタ。あいた家老(16オ)の奥さまハ氣を通してぞ奥へ行。これ何のことぞや。ひつきやう花車風の粹だて。武士の女房ハかくハはからハじ。いはゞ判官より若狹之助方へ大切の使者。家来の女房の取次さへいかゞしきに。小女(こあま)に取次がす事はなハだ濟ず。第一使者へ對しての失礼禮。二ツにハ若狭之助が屋敷の風儀。自堕落に見えて外聞あしし。よし使者ハ云号(いひなづけ)の(16ウ)聟にもせよ。今日ハ表向の使者なれバ。左ハはからハぬ筈。若狹之助小身たりとも。玄關番。取次役人などあるべき筈也。ことに若狹之助。聞た〳〵といふて一間をかけ出。力弥に對面するも。町人めきて餘り輕〴〵し。夫ハさて置。戶無瀬ハ小波を連て山科へ行ての大不出来、する事なす事一から十まで不手際なる事。一〳〵かぞふるに遑(おとま)あらず。くハしくハ九段(17オ)目の仕うちを見給ふべし。
 
○小波
これハ論なし
 
○かほよ御前
初段義貞の兜を嗅あてたる事。さのミヤンヤといふほどの事にもあらず。扨忠臣藏の騷動ハかほよのあさはかゆゑ發(ことおこ)れり。たとひ師直無体の戀慕ありとも。小夜衣の古哥にて(17ウ)恥しむる事ハ。ゆるやかにはからふべきを左ハなくて。夫判官大切なる役目の當日。わざ〳〵革文箱に入て夜中に持せやり。出頭第一殊にハ万事師範たる師直へ。あてこすりの哥を見せつけしハ。腹を立といハぬばかりの仕方。扨〳〵了簡なき女子。夫判官を大切に思はゞ。密夫(まをとこ)するこそわるかれ。師直をあやなしおきて。此度の役目万端濟たるうへ。あかんべいを(18オ)するがよし。これ貞女の道を知て。行(おこなひ)を知らざるなり。
 
○早野勘平重氏
勘平ハ人を殺して金を取し大賊也。後日にこそ親の敵といふ事知れたれども。殺せし時ハ真の闇。旅人を殺し金を盗しに相違なし。是大賊の證據なり。それハさて置。宿所へかへりゐる時。舅与一兵衛人に殺されたとて。(18ウ)戶板にのせて持来るに。いかに我殺した注文に合(あへ)バとて。何ゆゑ死骸をあらため見ざるや。極て殺したに相違なくバ。せめてハ死骸になりとも。一通り誤り殺すのことわりを述て。其后に切腹せざるや。よし舅ハ橫死にもせよ。病死にもせよ。それなりにして見向もせぬハいかゞの心ぞや。我家(わがいへ)の飼犬でも死んだと聞バ。人にたゝかれて死だか。番木鼈(まちん)でも食ふたか。切ら(19オ)れても死だか。病でも付たかと。一應ハ見とゞけてから。取捨さするが人情なり。いかんぞ舅の死骸をあらた見ざるや。是則鐵砲疵にあらざれバ切腹にもおよばぬ事なり。不念の至といふべし。かやうな麁相者。何ぞ敵討の仲ケ間に入べき。其初主人判官大切の役目を蒙り。一世一度の晴の登城。其供先にて女に戯れ。足利直義八幡宮社參の陣所を穢し。あまつさへ(19ウ)主人判官が大切の塲にも有合さず。狼狽(うろたへ)廻つて切腹せんとしたりしハ。おかるに留よといハぬばかりのミせかけ也。案のごとく元より腹ハ切らぬ氣なれバ。女の舌頭(くちさき)にぐにやとなり。其塲より女の親里へ逃?行しハ例なき腰抜なり。但し一門一家もなき身なる歟。又ハ親類に顏向もならぬといふ心にや。さりとても仕方のあるべき事也。扨獵人(かりうど)となり(20オ)夜山に出。古傍輩の千崎弥五郞に出合。面日なさの詞のしほに。用金を調へ夫を力に御詫などゝ云がゝりに成て。出来もせぬ金の才覺に舅までを他手(ひとで)にかけ。不忠不孝限りなき奴なり。しかのミならず衣服を見るに。世にありし時主人より拜領したる定紋付の時服を。はぎ〳〵に仕立直し。平服として山野を蒐(かけ)廻り。大切なる主人の(20ウ)定紋を猪猿の血汐にて穢し。臭く穢しき匂ひに觸る事。不敬譬んかたなし。六月廿九日の夜。猪を打止てハ山鯨店へ通用なき頃なれバ。肉ハ廢り物にて皮バかりの直打なるべし。爰らが素人くさき所か。但し鹿の毛ハ夏毛といふて称美するゆゑ。猪も夏毛は能(よき)物にや。我等筆屋にあらざれバそこ迄ハしらず。且火繩を振て(21オ)猪に近づき。火繩を消といふ事獵人にハ似合ざる事。其うへ鉄砲にて二ツ三ツ擲(たゝ)きたる手應(てごたへ)。猪か人かは闇にもしらるべきを。縄捌して足をとらへ。初て旅人と心付たるハきつい狼狽やう也。コリヤ旅人。藥ハなきかと懷中をさがす大癡呆(おほだハけ)。二ツ玉にて打止たるものが藥ハさて置。百計つくすとも蘇甦(よミがへ)る事あるべきや。勘平かくまでうろたゆるものか。手(21ウ)にあたる金財布。天の与へとおし戴きしハいかゞ。世のたとへにも天道人殺さずといへり。しかるを何ぞ。人を殺し金を取といふ天道どこの國に歟あるべき。扨彼財布を懷中し。猪より先へ逸散に蒐(かけ)出せしハ一日三十里の早道の達人なるか。㝡前(さいぜん)弥五郞に別しより夜も餘程更たり。且弥五郞もいそぐ夜道の事なれバ。遥に行のびたるべきを。(22オ)其夜のうちに追着て。彼五十兩を用金に渡し。夜明て宿元へ歸れば。おかるが身賣のやつさもつさ。其時一文字屋の亭主が曰。おれが着て居る此單物(ひとへもの)の。縞の裁(きれ)で拵へた金財布。と證據を聞より。我懐中の縞の財布と見くらべての仰天。まづ第一。益にも立ぬ虛(から)財布を。懷に持て居るが馬鹿律義なり。夫故母親に見付られ。財布を引出し(22ウ)ての打擲。一〳〵麁相千万なる男。㝡初鎌倉の騒動に狼狽。又候(ぞろ)夜前六月廿九日より。今日七月朔日までうろたへ廻り。揚句の果ハ犬死したるやくざ者。血判させて義士の仲間へ加へしハ。郷右衛門弥五郞兩人が越度なるべし。按ずるに足利尊氏時代にハ鉄砲なし。弓にてあるべし。文字の誤りたる歟。又後世の杜撰歟。後人よろしく可考(かんがふべし)。又曰。冶郞天窓(23オ)赤前垂。當世樣の長羽織。びらしやらとした祇園の揚屋など。すべて尊氏時代の物とも覺えず。是又杜撰甚し。その外勝計(しやうけい)すべからず。
 
○鷺坂伴内
伴内ハ忠臣藏中第一の忠臣也。旦夕(たんせき)師直に近侍して一も心に違はず。竊(ひそか)に妙計を以て九太夫をなづけ。深く敵中に入て大星が渕底(しんてい)を探る、しかのミならず師直㝡後の時節にハ。粉骨碎身して忠戰をなし所をもかへず其塲にて討死したるハ。遖(あつぱれ)忠臣。敬して不違。勞して不怨。能主を知るといふべき也。但しおかるに戀慕の事ハ伴内といへども木竹でハなし男のあたりまへ尤の事なり
 
○おかる
おちやつぴいのおてんば女とハ此おかるをさして(24オ)いふべきなり、かほよ御前。小夜衣の古哥を書、師直へ贈らんとしたりしが、混雑の中間違ふまいものでもなしマア今宵ハよしにせうとありしを、おかるハ勘平に逢たきまゝ、何のマア此哥の一首や二首御届なさるゝほどの間のない事ハあるまいと、むりやりにすゝめ込。夜中(やちう)をいハず女の身にて折助一人を供に連れ。つひ一走にはしつて来た、アヽしんどやと勘平を横目で見(24ウ)ながら吐息つく光景(ありさま)。淫婦(いたづらもの)の面の憎さ。此奴が今宵文箱を持て来ずハ。判官の身に別條ハあるまじきに。是非もなきハ色の道也。其上勘平が手を取て。一寸〳〵と腰掛へ引連行。勘平が武士を拾させしも皆是おかるが罪ならずや。此夜勘平と伴内と戀路の闇におかるをたがひにあらそへり。其男ぶりを見るに勘平ハ色生白く。我から細葱(ほそねぶか)といふ程の瘦(25オ)夫(をとこ)。譬へバ小性上りの寺侍の如き弱氣男(にやけをとこ)也。夫に引かへ。伴內ハ色黑く肥(こえ)脂付(あぶらづき)。苦味ありて天晴武士めきたる男なれとも。おかるが性質(うまれつき)。馬の衣(べゝ)着て育たる百性の娘ゆゑ。舍兄(せなあ)や伯父(をんぢい)の色の黑きを見倦たれバ。屋敷勤の年をとるほど。誠に〳〵感心な浮虛者(うハきもの)にて。色の白い瘦夫(やせをとこ)を。本の色男と古風に覺えた奴なれバ。男らしき伴内を嫌ひて勘平と(25ウ)迯たもの也。扨親里に立歸り。用金才覺の爲ひそかに二親と相談し。夫にもしらさず祇園町へ身を售(う)りしハ一代の大出来也。夫より一力にて兄平右衛門が物語を聞。愁歎尤ながら。其詞に勿体ないが爺(とゝ)さんハ。非業の死でもお年の上とハ。扨〳〵早くあきらめたる事也。是でハ爺親(てゝおや)の死だを。古土瓶でも打破(ぶちわつ)たほどの心持に聞えて。親子の情合(26オ)甚薄し。夫に引かへ。勘平どのハ三十になるやならずに死ぬるのハ。嘸悲しかろ朽惜かろ。逢たかつたであらうのにとハあまり片贔負の愁歎。就中あひたかつたであらうのにとハ。おかるよつぽど自惚た詞也。後尼となつて行く處をしらず。ある人曰。おかるが身を沈しを貞女といふべからず。婬亂放蕩の性質(せいしつ)なれバ。好んで身を賣しものといへり。退て(26ウ)監るに。三日居續の由良之助が爲体(ていたらく)。床なしの客とハ見えず。追て考ふべし。
 
○大星力弥
殿の御氣(おんき)を慰めんと鎌倉山の八重九重。色々櫻花を献ずる事甚不審也。主人判官ハ扇が谷の上屋敷。大竹にて門戶を閉て嚴しき閉門也。しかるに鎌倉山の櫻を折り来るハ。力弥に羽でもはへた歟。よし羽有とも(27オ)閉門を飛越(とびこえ)出入(いでいる)事。足利家を恐れざる不屆のふるまひ也。万一露顕せバ主人判官罪に罪を重ぬる事也。愼まずんバ有べからず。浪人して後。夜中に祇園町へ急用つぐる事あり。月の入山科よりハ一里半。息を切たる伜力弥が爲体(ていたらく)。天窓(あたま)を紫の帛紗(ふくさ)包にして紅絹(もミ)の脚半をはきたる形容(かたち)。其いくぢなき事。火事に遇たる串童(かべま)が。供にはぐれて迯(にぐ)る(27ウ)が如し。げに本藏が詞あたれるかな。親に劣らぬ忰力弥めが大だわけ。かゝる虛弱の性質(うまれつき)。すハや夜討の時に臨まバ。無手の折助に立合とも勝負危ふかるべし。且又小波と縁組云(いひ)約束したうへハ。力弥が爲にハ本藏ハ舅なり。然るを鎗玉に上る事いかゞぞや。㝡初(さいしよ)より力弥在宿の事なれバ。かほどにむづかしき取合にならざるうちに。かけ出て(28オ)取さへざるや。一方ハ母。一方ハ舅。いづれに怪我過(あやまち)がありてもすまぬ大切の兩人。其音を聞ながら。奧にすつこんで居る事甚不埒なり。本藏が心底うちあかしたうへ。左あらバとて小波を妻に極めし事其趣意聞えがたし。此たぐひ委しく吟味せバ猶有べけれども。若輩者の事なれバ强て論ぜず。由良之助が丸めし雪の謎。力弥解得て甚妙なり。(28ウ)父由良之助が日陰者の比諭。極めて拙し空中塩を散すといふべし
 
○原郷右衛門
人に媚(こび)諂(へつら)ふハ侍でない。武士でないなどゝ古風な事をいふて。當世をしらぬ吝嗇者(りんしよくもの)。師直の音物も。國產の腐物。食はれもせぬ乾魚(ひを)などを贈りしゆゑ。師直が立腹するも尤也。九太夫が曰。此度騒動の元をいへバ。郷右衛門(29オ)どのこなたの吝嗇。しハさから起つた事。金銀を以て。面をはりめさるれバ。かやうな事ハ出来申さぬと云云。是九太夫が金言なり。郷右衛門。人に諂ふハ武士でないといふ口の下から。花ハ開くものなれバ御門もひらき。閉門も御免さるゝ吉事の御趣向などゝ。ぬらりくらりの詞。又もや九太夫にやりこめられしが。九太夫がいふに違はず。郷(29ウ)右衛門が舌も乾かぬ間に判官ハ切腹したり。按ずるに理に暗き男と見えたり。其後浪人勘平が家に尋行。勘平切腹の塲に至つて。始終弥五郞が尻に付て口を聞。適(たまたま)口を出すを聞くに。思へば〳〵此金は。縞の財布の紫摩黄金などゝ洒落て。手負の痛もかまはず馬鹿をつくし。別て歸る門口。弥五郞も同じく役者にて。首に懸たる此金ハ(30オ)聟と舅の七七日四十九日や五十両。合て百兩百箇日の。追善供養吊ハれよ。などゝ家内の混雜をも思ひやらず。かけ合のお屋敷洒落とは。餘り下情に通ぜぬ事也。
 
○石堂右馬之丞
此男毒にも藥にもならぬと見たれバ論なし
 
○山名次郞左衛門(30ウ)
心正直にて勇氣逞きゆゑ。腹の內を洗ひ沸(さら)へにぶちまけてしまひ。歯に衣着せずやりこめてしまへバ。跡でさつぱりするといふ氣性なり。切腹の塲にて判官が失礼を咎めたる詞一〳〵理の當然なり。且夜討の塲に至つて伴內と但に潔く對死したりしハ遖(あつぱれ)勇者なり
 
○斧定九郞(31オ)
評するに足らぬ奴。しかし与一兵衛が懷に金なら四五十両の嵩。縞の財布に入てあるまで見すかしたる眼力。流石ハ血筋あらそハれず。されど剪徑(おひはぎ)とまで落魄(なりさがり)しハ見下果たる奴九太夫が面穢(よご)しめが。
 
○千崎弥五郞
鉄炮症にハ似たれども是ハ刀でゑぐつた疵と。与一兵衛が死骸を改て勘平が寃(むしつ)(31ウ)の難を救しハ。あつぱれ出来たり。其外ハ郷右衛門と伯仲の間なれバこゝに論ぜず。
 
○猪
世にありふれし猪とハ形少く異也。首(かしら)小く前足二本ハぶらりとぶらさがりたるのミにて。後足二本にて蒐(かけ)出せり。此後足。人の足に甚だ近し。其歩行(あるく)にしたがつておのづから「テンテレツクてんてれつくの音あり。何猪(なにしゝ)とかいふて(32オ)猪(ゐのしゝ)の種類なるべき歟。獸屋(けだものや)に問へともしらず、本草家も未詳(つまびらかならず)といふ。何にもせよ形甚だをか猪(しゝ)。追て考ふべし。
 
○百姓与一兵衛
子の爲に夜道をもいとハず。勞して功なき非業の死。ゑぐりくるしんだ跡にて。勿体ないがとゝさんハ。非業の死でもお年のうへなどゝ娘おかるにいハれてハ。一向うまらぬもの也。吁(あゝ)(32ウ)あハれむべし南無阿弥陀佛。南無妙法蓮華經。
 
○与一兵衛妻(さい)
勘平を恨ての詞一〳〵理に逼りて尤なり。扨も〳〵夫婦ながら揃ひも揃ひし不幸の人〴〵かな。就中此老母ハ。夫与一兵衛。聟勘平に死別れ。惣領の平右衛門ハ所(ところ)定めず蒐(かけ)あるくゆゑ内へとてハ寄つかず。娘おかる(33オ)にハ生別れ。身一ツをいかになしけん。後おかる尼となりしゆゑ。倶に菴室に住ひけんしらず。
 
〇一文字屋才兵衛
○めつぼう弥八
○種箇島の六
○狸の角兵衛
右おの〳〵論なし(33ウ)
 
○寺岡平右衛門
雁(がん)が飛べバ秦亀(いしがめ)もじだんだとやら。鎌倉へ立越三ケ月(さんがつき)が間(あひだ)非人となりて付ねらへども。敵ハ用心嚴しけれバ近寄る事叶ハず。追腹と思ひしが國の親を思ひ出し。すご〳〵と歸りしとハ足輕相應の了簡なり。四十餘人の義士。粉骨碎身してさへ時を得ざるに。平右衛門一人。非人となるくらゐの事にて。手に入べき(34オ)敵にあらず。其外論ずるに足らず。小身者の悲しさ。蟹ハ甲に似て穴を掘る。卓量小し〳〵。
 
○矢間重太郞
○竹森喜多八
人足しげき揚屋に至りて。鎌倉へ打立時候ハいつ頃でござるの。イヤ一味連判の者共へ見せしめなどし。あたり憚らず高〴〵と罵る(34ウ)無別分。煙草一ぷくのまぬ間に。由良之助との段〳〵あやまり入ましたとハ。手の裏かへす表裏の侍。是等ハ人ぞめきの一味同心なるべし。
 
○お石
お石は実に武士の女房なり。詞のはし〴〵きつとして和らかに柔(やハらかき)も茹(くら)ハず。剛(こハき)も吐ざる勢あり。戶無瀨等と同日の論(ろん)にあらず(35オ)
 
○天川屋義平
義平は任俠(をとこだて)なり外に論なし。しかし何にてもあれ。家老職の由良之助より贈物とあらバ。先一應ハ受べきなり。礼物受うとて命がけのおせわハ申さぬとの一言甚卑し。うけぬのミならず進物を足にて蹴飛す事。此上もなき非礼なり。町人の町人たる所以(ゆえん)歟。
 
○大田了竹(35ウ)
吾かゝらねバならぬひとりの娘を義平へ嫁につかハし。二三年も連そふたうへ。何の訳もいハず親了竹方へかへし預置。了竹も聟の事なり。娘の事なり。據なく一旦ハあづかりおく物の。樣子知らねバ心許なく。後日に聟義平かたへ行。子細をたづぬれども云ず。しからバいつまで預りおくも迷惑なり。今までの通りに引取ればよし。それも(36オ)ならずハ。いつそいとまを遣されぬかとの相對ハ。自然の道理にて。了竹にすこしも無理なし。われ〳〵ならバ㝡初預る時訳を正し。隙取るものか預らぬものか。此の二ツの外に出じ。流石了竹老ハ医業もせらるゝ程の人物ゆゑ。学問も有。心におのづから優なる塲所もありて。先何角(なにか)なしに預りおく事。誠に温厚君子といふべし。世間此人(36ウ)をそしる事謂なし
 
○おその
○よし松
○伊吾
論なし
 
忠臣藏偏癡氣論大尾(37オ)