【現存近松淨瑠璃曲年表に添へて】
此の表は將來大成すべき近松淨瑠璃曲研究の一部分でございます。古淨瑠璃曲?究を始めましてから六年、私は近松曲に就いて最も力を盡しました。現存の近松曲は、淨瑠璃の最も古い節盡しの標準曲とも稱すべき西口政太夫章句(この一節は節章句早覺えの事と題して聲曲類纂にあらはれてをります)の作者で且つ作曲者でありました、二代目竹本政太夫、竝に淨瑠璃三絃譜の創作者と言ひ傳へられ、通稱を住所から松屋と呼ばれてをりました初代鶴澤C七なぞと同時代、即ち延享、寛延、寶?より明和、安永へかけて二三の淨瑠璃三絃の名人が手を入れたのが多いのでございますが、中には近松時代其のまゝの面影を寫したやうに思はれるものもございます。近松曲を?究して著しく感じましたのは、曲が尠しも節に捉はれてゐないことでございます、普通流行の淨瑠璃曲によく見ます、技巧に奔つた末、一種の節見本のやうになつた曲がないことでございます、例へば同じゆりふしを用ゐても、彼の曲のと此の曲のとは多少の異趣を立てゝゐることでございます、今日、音曲の?史を解せぬ者には、聽曲によつてのみでは、普遍せる淨瑠璃曲と劇場に行使されてゐるチヨボとの本末關係を判明しかねるのでございますが、一たび近松の原作曲に就いて聽けば、誰にでも竹本劇との截然たる區別に驚かされるのでございます、一曲には必ず一曲の獨立した個性の權威を認める、これが近松曲本來の面目でございます、淨瑠璃を音曲の司と稱へました昔からの言葉も、私はこゝに始めて適切に眞意味を味ふことが出來たのでございます。
表中巳に修了しましたのが三十餘曲、其の他も唯今實習中でございます、勿論三絃譜本は悉く備へてをります、拙劣なのは申すまでもないことで、ほんの形式には過ぎませぬが此の一百二の全曲に就いては、私は自ら語り、自ら彈く演奏に差支ないことを確信いたすのでございます。實際近松は比較的淨瑠璃作數に於て多いだけ、此の表の示します通り、さすがに其の存曲數も他の作者輩に抽んでておりますに拘らず、其の改作曲は兎に角、原作曲と呼ぶべきものは、現時流布してをります幾百の淨瑠璃曲中に殆んど影を絶つたやうな状態なので、專門家の間にさへ、遠く廢曲になつたやうに考へられてゐるくらゐでありますから、表の數を擧げますまでには非常に勞力を要し、曲によりましては他の百曲千曲にも讓らぬ貴重な思を止めたのもございます。私の今後の希望は、微力ながら漸く保存し得ました此の一百有餘曲の欣に、更に發奮一番してなほ幾多の埋もれた名曲を發掘するの樂を重ね、近く現存近松淨瑠璃總曲年表を完成いたしたいことでございます。
大正甲寅歳春 作表者 [細川鵺聲]