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【豊竹筑前少椽墓碑移転に就て】

(2015.11.27)
提供者:ね太郎

 ◎豊竹筑前少椽墓碑移転に就て 浄瑠璃雑誌 325 p10-11 1933.8

豊竹筑前少掾の墓碑移転に際し碑下の石匣に納めありし筑前少椽並に妻女岸本豊女の謹写せる法華経が出たから尚ほ他に何物か埋めあるべしとて、三十二度といふ酷暑にむせぶ土用入り、七月廿一日午前十一時から四天王寺法華堂の裏手なる墓碑発掘と聞き何か参考にもと出掛けた、豊竹古靱太夫師が一切を指揮して居るものゝ如く、竹本大隅太夫竹本文字太夫、竹本敷島太夫、豊竹宮太夫、鶴沢寛次郎の諸氏が立会し人夫を督して掘らしめたが何にも出なんだ。思ふに此の墓碑は幾十年かの前、現在の処へ移したもので何も埋めある形跡なく、曲帯塚には何か納めありしも移転の際これを抜き取られたるものゝ如し、茲に於て一同記念撮影し、本坊に引あげ少憩、こゝにて例の法華経を写真にとり散会した。例の法華経といふのは筑前少椽の分は上袋に

   奉納大乗妙典

     願主 現当二世心願満足

          藤原之為政

とあり、表紙には

   奉納大乗妙典

      妙法蓮華経序品第一

          願主 藤原之政

紙数総て三十九枚、妻女の分は

    妙法蓮華経提婆達多品第十二

    妙法蓮華経妙来寿量品第十六

    妙法華妙来神力品第廿一

       願主 岸本氏豊女

紙数三十枚表紙なし、文字は全部仮名。今春より四天王寺西門の道路拡張に伴ひ法華堂裏の無縁墓碑数百基を整理することに決し、四天王寺内吉祥院住職塚原徳応師その担任となり「多少の俗縁ある衆生は後生のためにお引取り下されば結構」と公告したが其の内に浄瑠璃作者並木五瓶の墓碑があるにより直に津太夫、古靱太夫等に計りたる処白井社長等も大に乗出し、五瓶の墓を修理すると同時に無縁とし埋没されあるものゝ調査を始めしが

 元祖竹本義太夫が筑後椽官名受領後のゆかりの供養塔、竹本座を出て豊竹座を創立したる義太夫門下独歩の美声家竹本采女こと豊竹若太夫、初代政太光こと二代目義太夫後上総小椽再び勅許受領(近松無二の知己にして国性爺獅子ヶ城はこの人のために作れりと聞く)豊竹筑前少椽藤原為政。竹本播磨少椽、豊竹越前少椽、初代鶴沢清七、初代並に二代目竹本春太夫等以上八基が現はれ七月二十日古靱太夫等回向の上石碑を動かしたるに、豊竹筑前少椽自立の宝塔から前記の写経が宝暦九年以来百八十余年間染み一点、虫穴一ツもなく当時の儘であつた、これは元の石匣に納め、八基の墓は松竹会社が修理を加へ法華堂裏に移転した。

秋冷ともならば古靱師以下天王寺に於て一会催す由に聞く

因に本年は恰かも筑前少椽百九十年に当り(延享元年卒)

七月廿五日は祥月命日なりと云ふ。