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【昭和十年代新作浄瑠璃文楽座床本集 赤道祭】

(2016.08.15)
(2018.07.15補訂)
提供者:ね太郎
  

◎ 赤道祭  PDF
 昭和18年6月
 
大阪地方海軍人事部指導
佐古少尉原作
藤間藤三郎振附 西亭作曲並脚色
 
 (床本) 赤道祭
 今日よりはかへり見なくて大君の醜の御楯と出でたつ我れは  皇國の民草と、生まれおふこそうれしけれ、生まれおふこそ嬉しけれ。
艦長「これは大日本無敵海軍、某艦座乗の何某にて候、扨も此度大東亞戰爭の勃發致し、畏くも聖戰完遂の詔勅下りて候、さる間天人共に許さゞる不敵不遜の賊を討ち、皇威を遍ねく輝かすべく、とくこれより出撃の途に上らんとこそ存じ候」
 秋ぞ今、秋ぞ今、一死報國盡忠に、海征かば水漬く屍山征かば草むす屍大君の邊にこそ死なめかへり見はせじ天が下大和島根の朝ぼらけ霞むは花か雲霧を分けつゝ進む軍艦、はや蓬萊に出で汐の月の光りに見まもられ波路はるけき幾海里。
司令「如何に方々あれ見候へ」
艦長「これは只、一目果てなき海水にて候」
司令「いやとよ、あれなる波の間を」
艦長「いかさまあれは水鳥にて候」
司令「されば鳥にて候」
 さるにてもあの鳥の有情非情は知らねどもつかれし翅止り木に沈みつ浮いつ休ろひて、豊年國の秋津洲へ急ぎ行くらん渡り鳥、いざや我等も索敵に必滅期していざ征かん、艦路樂しく進む程、浮べる雲も風もなく、はや赤道につきにけり。
艦長「急ぎ候程に、はや赤道につきて候、いざこれより南海に入り、惡鬼無道の敵艦を索ね、無敵海軍の武威を示さばやと存じ候、先づ申付る事のあるべく候、いかに誰かある」
砲員「まかり御前に候」
艦長「これは赤道につきて候程に、赤道祭執行仕るべくにて候」
 それ古へより赤道には、赤道神を始めとして風雪龍の諸神ましまし、破邪顯正をわかち給ふ、實におそれある尊靈なり。
艦長「されば神意を慰めるべく心盡して用意候へ」
砲員「仰せ畏まつて候」
 用意とり/\時しも颶風、高浪、雷鳴凄じく、艦は木の葉と危ふける。
砲員「あら怪しのこの颶風、如何いたせし事の候」
艦長「いか様いぶかしき事なるかな、察するにこれはそも、惡霊變化の所爲なるべし、いかに砲員、空撃ち、二三射て候へ」
司令「いや先づ待たれ候べし、そも赤道は神域なり、左様の變化ありと覺えず」
 それ思んみよ、諸々の生きとし生くる萬物は、草といふも木といふも、この赤道の神靈にて廻れる四季の惠みぞかし
司令「元よりかゝる尊靈の我日本の正義の道、沮める事のあるべけれ」
 さらば是より御拜を捧げ、神意を慰め奉り併て我勝を祈念しまつらん、はやとく/\と諸共に至誠一心邪念なく、心を淨め禮拜す、折しも黑雲吹き重なり、電光天地に幾千條、はるけき虚空に聲あつて
 「そも/\これは赤道神とて、邪を討つ正義の神靈なり」
 そも大日本帝國の軍艦とこそ見るからに勇武の程を試さんと雷神風神龍神もて試煉の嵐を起せしなり。
「如何に日本の兵ども行方は廣袤、なほ/\苦難に堪ゆるや如何に」
司令「こは御神意のかしこく候御仰せまでも候はず、惡逆非道の米英を討ちて絶えさんそれまでは」
艦長「子々孫々の幾百年」
砲員「幾千年の苦難にも」
司令「堪ゆるは日の本皇民の心の程ぞ照覧あれ」
赤道神「こは勇ましき言葉かな、さらば言問ふ、日本は世界に無二の國體なれ、そは如何なる事か申すべし」
司令「されば候、大日本は、天地開けし始めより上に戴く皇の萬世一系連綿たる萬邦無此の神國なり」
 〽實に/\それよ、それにこそ、五穀豊饒民榮え、敬神崇租の道直ぐの誠の心神ぞ知る、宇宙の諸神皆共に千歳萬歳守護あるべし、われは正義の赤道神、法に定めし墨繩規矩、天地均衡保ち良く破邪の劍光顯正の鏡の海を荒すなる、世紀の外道討ちなんにいかで神意のあらざらんや、とく征戰の完遂に、進めいざ/\皇國の正義の艦の軍人。
 「あな有難き御諚かな、さらばいかなる難航も衝きて進み申すべし、全員部署につき候へ」
 畏つて候と各々勇氣百倍に汽鑵も裂けん最大戰速、全員火玉の皇魂に、突きて突き突き、突き進めば吼ゆる巨浪の激しさに押しもまれ、又突戻され、戻れど又も突き進む不撓不屈の魂を今ぞあらはす神洲の男子の意氣ぞ比類なき時に大音赤道神喜悦の御聲ほとばしり
 「まこと皇魂見極めけり、いかに四海の雷龍諸神とく靜まりて守護ぞあれ」
 と高聲一喝逆まきし浪も納まり軟風に天日燦と輝きて翩翻たりけり軍艦旗。
 
 艦は南の海原に衝き進みでぞ勇ましき、實に賴もしき正義の道、啓きて征かん兵はこれ日の本の寶なれ、そも諾冊の二尊より國是ゆるがぬ神國のその君が代の惠みこそ今ぞあまねく大東亞十億民日のもとの御稜威は四方に輝きて常世豊けき瑞穗なる美し御國は千代よろず盡きぬ眞砂の巖となりて苔のむすまで榮ゆらん。
 
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次ぎは新作能「皇軍艦」※に取材した赤道祭二場。お能の方は見てゐないから何とも云へないが、司令・艦長と云つたやうな役目から考へて、例の通り軍服姿の變な人形が舞臺へ現れるのかと思つてゐたら豈圖らんや上古風の防人姿だつたので助かつた。無論さうなると舟も軍艦ではなくて帆船であり謂はゞ阿部の比羅夫の南海遠征と云つたやうな形となり、それが詞章の中では大東亞戰爭を謳つてゐるのだから何となくチグバグな感を免れない。後ジテは紋十郎の赤道神が、前シテの白毛を赤頭にかへて例によつての大あばれ、何れも小鍛冶以來の行き方だから又かと云つた氣持でそれ程の新味もないが、この頃の見物は結構これで大喜こびである。(西尾福三郎 文樂通信 太棹第145號 p10)
※ 花もよ35号(2018.1) 皇軍艦 moyo18-087 原 ニッチク4637-4641
※ 東谷櫻子 新作能「皇軍艦」における諸問題 花もよ35号 p14-47、 新作能「皇軍艦」の諸問題