◎　水漬く屍　PDF

　昭和１８年５月

　

大阪地方海軍人事部指導

西亭謹作並作曲　大塚克三舞台装置　村田芳生舞台照明

水漬く屍　一幕三場

第一場　廣島縣下川迫村

第二場　出發前夜(○艦甲板上)

第三場　川迫村上田家墓地前

　

　（床本）水漬く屍

　普天の下、率土の濱、何れか皇�ｺに浴せんや、皇土に生ゆる草も木も、育ぐむは露ぞ菊の花、道一筋や川迫村里も豊かに稔る穗の、御代もゆるかの道の邊を秋の野風に吹き流れ、いづこに聲や在郷歌、兄サ御楯よ、親たちや畑よ、ともに務めじや御國の爲じや、赤い手がらの花嫁さんも、聟さ御楯に山田守る、ほんさのんえ。ヲヽ權爺どん、えらく精さ出しなはるのふ、アヽ太市どんけ、お前マア洋服さ着て何處行きけ、ウン今日はの、アノ日野山の城跡サで分會の教練が有つたで一ツ走り行て今歸りじやげに、ホウそふけ、そりやハア御國の爲に、若いもん達ぢや御苦勞じやの、それやそふと、上田の定どんが歸つて居るがお前ア會ふたけ、ウン會ふた、ありやまあ感心なもんじやの、たまの休みに歸つてもハア休みもせず、がせえにおつ母の手助け、之れ之の秋祭りも待たずに、もふ歸るげなが。ウンあん人ア孝行もんじやよ、昨日ア野良着きての、畑サ行くんじやつて、今朝また軍服での墓參りの歸りじやつて、村方の人にもよろしふつての中々感心なもんじや。そふじやげ、また、あのおつ母アもがせえもんのヲ。ほんさ、この親にしてこの子有りですがの。そげえなむつかし事ア解らんが、マア何にしても若いもんナ見習ふ事ツじや、イヤイヤ、若いもんの事よりや、おらも精サ出して、この親とやらとほめてもろふけ。イヤ／＼權爺どんも、年サいかして、若いもんにも負けずに、村の者ア皆感心しとるけん。エーイおだてるでねえ、ハヽヽヽヽンナラ太市どん、また晩に話そけえ。ン權爺どん、足元サ氣付けて行かつせいよ。ウン、有りがつと。老若若きもなごやかな、道は分かれど一筋に、我家我家へ歸るさの。何れ其時きや白木の箱よ又の逢ふ日を九段坂。其の九ツの御柱と、知る由もなき母親を、連れ立ち行くも終りぞと、心の定二等兵、顔にも出さず秋晴れの、野面にほころぶ稻の穗も、笑顔で渡る可愛川、樂し團欒の一つ道。おつ母さん、よい景色ですなア。さぶかのふ、わしやいつも通るげに、そふも思わんがお前アマアたまに歸つてじやけそふも見えるんじやよ。イヤ、いつも變らぬこの眺めも、今日は別して美しく想ひます。アノ日野山の城跡、可愛川の流れ、子供の時分は、あの城跡まで蜻蛉つりと行つたり、可愛川では石遊びしたり、おつ母さん、隨分御苦勞かけましたナア。なにを定、思ひ出した様に、なんけ、しかしのふ定お前も今は日本の海軍さんじやけに、天子さまやお國の爲、立派な務め忘れん様にの、そして又、方々の國々の人さも寄つてじやろふに、お友達にも憎まれん様にのふハイ、おつ母さん、御教訓はしつかりと、决して、决して忘れは致しません。ほんさ、もう會はれんかの様にのハヽヽヽ女はこせつくでのふ、氣んすなよ、病氣さアせんよふにの。ハイ、おつ母さんも御無理をして、お躰をそこなわぬ様お氣を付けて下さい。ンン、おつ母アまだ／＼丈夫じやけに、内の事ア心配せず、御奉公サ大事に、立派な兵隊さんに成つておくれよ、もしかの時は人様に笑はれん様にの、お父つさんもそれを言ふてじやけ。ハイ、お父さんにもよろしく申し上げて下さい、それから、これはお父つさんに渡して置こふと思ひましたが、弟や妹に菓子でも買つてやつて下さい。お前エ、そんな事せんがえゝ、お前も何かといるげに。イエ／＼僕はよろしいんです。そんな事。イエ／＼心配せずにどふか。なにけ。イヤ、ナヽ何んでもありません。それではおつ母さん、いつまで送つて頂いてもお名殘りが盡きません、これで征きます。そふけ、もつと送つてやりてえがの、夕餉のこしらえも有るげに、ナラこれでいにますけ、折角の休みに樂もさせいで働かしてばかしすまなかつたのふ。勿體ないおつ母さん、人の子として當然の事であります。それからの、これは鎭守さまのお守りじやで、粗末にせん様に體へつけんさい。ハイ、いろ／＼お心づかひ、有難ふございます、それではおつ母さん。氣をつけての。こゝは川迫、向ふは日野山、中を流れる可愛川。見送る瞳、一時雨、野分の風に吹き分かれ消ゆる姿に伏し拜む心ぞ清き眞珠灣。

　

　珠と碎け花と散る今ぞ歸らぬ我心、堅く秘めたる奥底も誰れにか岩佐海軍大尉、頭に頂く諸勇士の盡忠報國秋ぞ今門出を前に九勇士、中に横山海軍中尉、上田二等兵曹と共々語る夜の空流れて走る星、一つ。上田。ハイ、見たか今のアノ流星を、あの星の飛び行く方こそ我々の征く所だ。岩佐大尉を始め、皆々今回の企圖も今日あるを期したが爲めだ、とふ／＼其秋が來たのだ。ハイツ、そふです、これ程最大の喜びはありません、先刻も岩佐大尉より訓示を頂きました、萬全を期してやります、何が何でも必ずやり拔きます、先程片山二等兵曹が、あくる日のルーズベルトの泣き言を俺も聞いたぞ閻魔の前でとやつて居りました、想ふても痛快です。ウム、皆々苦勞の仕甲斐があつたと言ふものだよ、が、想へば永い間苦勞をかけたなア、よく面倒を見てくれた、改めて禮を言ひます。滅相もない、至らぬ自分を、これまでの御訓育、今又この名譽ある壮擧にお伴が叶ひ、上田、この上の喜びはありません。ウム、よく言つてくれた、しかし乍ら君達の家族に對しては、實に氣の毒に思ふて居る。御言葉恐縮に存じます、が、軍人の家族としては如何なる人も、一旦緩急の場合御國に殉ずる事に至高の名譽、これに過ぐるはなく、我日本人である限り誰れしも喜ぶ事と存じます、私も過日歸省の際、兩親より言はれました、我子にして我が子でない、大君に捧げまつつたお前だから、一朝有事の際は、立派な帝國軍人として人後に落ちず、笑はれぬ様にと、横山中尉、不肖の上田にも親は過ぎたる者でございます、イヤ、コレハ、子として親の自慢話し、どふかお聞き流しを願ひます。イヤ、そふでない、立派な兩親だ、わしにも父には死別したが現在猶母が居る、強い、そして優しい母だ、上田、見へるかこれが母だ、想へば今日まで皇恩の萬分の一にも報ひ奉る事もなく、また二十三年の母の慈悲に對し、十分の孝養も盡しえなんだ、お母さん、今日こそ横山中尉、死所をえて醜の御楯と散り、皇恩の萬分にも報ひ奉りますなればすべてを御寛容願ひます、これが私の孝の始めであり、また終りでもあります、お母さん、どうか御壮健でも心の内在ますが如き寫し繪の母の面に浮く笑顔、孝は忠たり一道の心を想ひ上田もまた、取り出す包み土の香に、父母の情けの重き艦、輕き命の捨て所。上田、何だそれは。ハイ、土であります。何、土。ハイツ、自分は農家に育ち、土は一入なつかしく想ひます、稻垣二等兵曹も今度歸郷の時、祖先の墳墓の土を持つて歸りました思ひは同じだらふと存じます、この土には、父の情けもあり、母の愛もこもつて居ります、この度の事、何國に於いて散りますとも、この日本の土の香は永しへに、八紘一宇の御精�~と在りませふ。上田ツ。ハイ。床しい、美しい心だ、それでこそ、帝國軍人だ、その皇�ｺに浴せんこそ、我々の念願だ、萬全を期してぬかりなく。ハイツ、必ずやりとげます、死してもなほ止まざる心です。ウム、互ひに心を清め、皇恩に報ひ奉らふ、今宵、'最後の故國の空、別れに望み、皇居に向ひ奉り、聖壽の萬歳を壽ぎまつる、氣をつけツ。

　

　海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍大君の、爲には何ぞ命をや、何惜しからぬ軍人、香りも床し梅の花、一片散るや君に忠、二片散るや父母に孝、散りにし後ぞ結ぶ實の、家門の譽れ過ぐる日の幼姿の偲ばるる、誰が口ずさむか子守唄、ねんねろよ、ねんねろよ、ねんねの子守はどこサ行た、お濕洗ひに里さ行た、里サおごふに何もろた、宮島杓子に貝細工。定、よくやつてくれたのふお父つさんも、おつ母もお前の戰死の知らせを聞いた時きや、どげえ嬉しかつたか、聞きや、この墓の土を持つて行つたそうなげ、其時から戰死の覺悟で居たんじやのふ、今から思へば、弟や妹に土産サ呉れた時、紙包から土がこぼれた様に思ふたが、この土であつたんじやのふよく持つて居てくれたのふ。おつ母ア、目出てえ、定の戰死の奉告じやけ、涙サ、出すなよ。天子さまの御爲じやもん、悲しかねえが、つい、つい、嬉しふての、かんにんして下つせ、定や、何れ靖國サアへ、逢ひに行くけにの。サアモウそろ／＼お天道さまの上がらつしやる頃ぢや、二人で拜んで歸ろけ。ハイ。悲し涙は出さねども嬉し涙に明けの鐘、寂滅爲樂とひゞくとも、聞いて驚く人もなし、梅は散りても實はみのる、鳥は古巢へ歸れども。父さん、伜の手植えの梅の木に、あれ鶯が。ウム、鶯も泣いてくれるか。征きて歸らぬ死出の海、泣くな歎くな必ず歸る、桐の小箱に錦の衣、逢ふは九段の坂の上雲なく晴れて、軍�~還らぬ五艇、九勇士の、其名特別攻撃隊、登る旭の御光りに、譽れは世々に輝きぬ、譽れは世々に輝かん。