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【 佐藤兄弟の妻 】
(2023.05.01)
提供者:ね太郎
昭和18年4月
乍憚口上
春風駘蕩の好季節と相成申候處市中皆々様には銃後愈々御健勝に遊ばされ候段奉賀候
偖而當座に於ては引續いて御好評を賜り茲に陽春四月興行の開場を御披露申上ぐる次第に御座候處御客様方の御要望に從ひ例によつて晝夜二部興行と仕り全座員が總力を發揮して職域奉公を勤むる事と相成り居り狂言の儀も選擇を重ね候上に此度は特に異色とも申す可き「佐藤兄弟の妻」と申す日本精神の昂揚につとむる新作曲を御一燦に供する事と相成り其他文樂座獨自の大舞臺のみを配列いたし候次第に有之わけて此度竹本三瀧太夫改め二代目竹本叶太夫鶴澤友花改め五代目鶴澤燕三兩名の襲名御披露を申上げ全座員懸命に相勤め申候間相變らず御引立を賜り度又鶴澤観西翁も老齢を提げて久々御目見得仕候間何卒開場の曉は一層の御來場を偏に御願奉申上候 敬白
昭和十八年四月
四ツ橋畔
文樂座敬白
サンデー毎日所載
橋本関雪画伯原作
西亭脚色並作曲
藤間藤三郎振付
(床本)佐藤兄弟の妻 二場
扨も其後、九郎判官義経公雨を下せし蛟龍の昨日にかわる枯魚の身を、奥秀衡に頼らんと、霞とともに都をばいく夜重ねし旅衣、露けき袖のかわく間も涙しぐれの山かげを人目の関のしのぶずり、みちのくかけてはる〳〵と、道もせ気もせ心さへ休む暇なき暮れ山路、出羽の国へぞ入り給ふ、義経御あし止め給ひ、いかに弁慶、駿河次郎出羽に入るまで忍び路を別れわかれの伊勢亀井、常陸其他の面々も定めて羽黒に待ちつらん、夜越しをかくれば明日の道今宵の宿打過ぎてとく行かうにて候ずる。と仰せに武蔵謹んで、御言葉至極候へど、はや出羽路にも入り申せば、秀衡殿の舘も近し、先刻見受し高札の山伏摂待に宿りを求め、今宵一夜は御休みあつても明日には着くべき羽黒の坊。いかさま武蔵の申す様、明立の御発足、はや里とても程もなし、一先づこれに早て御みあし、お休みあつて候べし。と落葉かき寄せ石上に積むを錦の褥ぞとまた今更に想ひ出す偲ぶ昔を一時雨やゝあつて義経公、われ兄上と不和となり都を追われおちこちの野末の風の音にさへ、心おかるゝ憂月日覆へる雲のいつの世にまた晴るゝともわかちなき武運の末のこの義経、権に媚びろふ世の中に微運の我れを見捨てなく、いつにかわらぬそち達が忠義の程は忘れまじ、思へば我身の前生に如何なる罪のありつるか、定めなき世を怨みなく、我をば責めて赦せよ。と落涙共に仰せある、さしもに猛き弁慶も当千の駿河も衣の袖しぼるばかりの忍び泣き、しばし言葉も涙なり、コハ勿体なき御仰せ、主従三世の理りは我日の本の教なれ、厚恩有情の御君に臣が微志は数ならず、屋島に消えし嗣信や吉野に散りし忠信を、うらやましくとこそ思ひ候。さるにても御武運強き我君様、過ぎし安宅の関とても弁慶殿の頓智と合せ、富樫が情けと云ひながら、これ皆君の御徳なれ、破邪顕正の世の習ひ鎌倉殿の御心もとくるは近き事なるべし、御心強く思し召せ。と勇めの詞義経公、過ぎ越方のなつかしく恩愛涙目に浮む露の玉笹踏みわけて出づる二人の女連れ、何れ三十路の後や先き、見合し交す言の葉もつきせぬ縁の宿世なる。見もふせば山伏殿の日暮れも近きこの山路、何れへのお渡り候ぞ。さればこそ、これは都の空より陸奥かけて諸国修行の法者連れ、何都の空より御越しとはなつかしくも思ひ候、して今宵御宿りの御所も定め参らせ給ふにや、いや〳〵摂待報謝もあらば格別、樹下石上を伏寝の修験者、幸ひ来たる道の辺の山伏摂待の高札に今宵の宿りを求めんと思ふ心に候ずる、何処の程か教へ給へ。それこそわらは達の屋敷なれ、君の恵みに叶ひなば一夜はおろか七生の仏の慈悲を垂れ給はれかし、わけて都の事どもを聞きも申し度儀もござらば。こわ願ふてもなき法の縁、あな尊、峰の松吹く風の音も護法最勝の響なれ、草を枕の伏寝さへ沙羅双樹の花のかげ、今宵の宿りは八宝荘厳、さらば是非にも頼み入る。さるにても都の事いたく尋ねある程な由縁の人もあるべきにや。と何か心にひゞくなる松の嵐か落葉さへ放れぬ縁ぞ一つなる二人はそれと顔見合はせ、さればわらはがつま夫義経卿の御手に随ひ出陣ありし佐藤嗣信、又忠信が留守を預る相嫁連れ、風の便りに兄弟の、さだかならねど討死とも、また失せしとも聞く悲しさ、それも覚悟は武士の妻なればこそ歎かねども屋敷の庵に二人の身の功名案じる老の母、せめて都の話しなどもしまた夫兄弟のまことのうわさ知るならば、老をなぐさめ、賜はれかし。と云ふも切なき胸の内、聞いて扨こそ兄弟が舘の妻か不便やとうるほふ眼こそ情けなり。義経御声やはらげて、実に殊勝なりおこと達の孝心貞女聞くからは、まこと話さん都の合戦、又老母にも対面なしとくとなぐさめ申べし、いざとく〳〵。とありければ、さらば案内と打連れて行くも細道一筋にはや入相の鐘の声諸行無常と渡るなり。
夜も深々となりぬれば白露霜とおきかわる秋の庭面のもの淋し、松の葉音の粛々と、木梢を渡る月冴えて更けて身にしむ庵の内、ゆらぐ灯影にうつうつと我子の武運祈るなる老の姿のぼの淡し折ふし千草踏みしだき鎧ふ出で立二人の武者足音乱し庵の外。母上様、母人様、嗣信忠信、只今凱陣仕る。と思ひもふけぬ声々は老の吐胸をはつしと打つ、それはまことか現身かと簾を上げて思はずも立上りしが押し止まり、ヤレかしましゝかしましゝ旧里を出でし鶴の子の松に帰らぬ淋しさよ、我は老木の枯れ残り若木の二人緑り葉の繁るともまた功しに散るとも聞かぬうつけ者、凱陣などゝはけがらわしい、まこと佐藤が伜とあらば、合戦の功名言へ聞かん、さなくば一寸この庵越ゆる事は夢ならじ。と気丈の老の言葉の矢引けば返らぬあづさ弓、二人が胸の奥深くしばし涙にくれけるが、やゝあつて嗣信声をあげ、音信不通はいく重にも書くも暇なき軍の場、嗣信まづ〳〵合戦の様子委しく物語らん、扨も其頃元暦元年二月も末の事なるべし、波は雪散る屋島潟、寄せては返す敵の勢、外海かけてうち靡く霞にまがふ平家の赤旗、軍は最中午の上刻、平家の大将その中にも門脇殿が二男、能登守教経これに有り、義経きたなしいで勝負と舟の舳先きに焔の両眼、阿修羅の如く雄叫びぬ、其時兄者嗣信殿君に大事なあらせじと駒の銜泡はませ鐙踏ん張り突立つて、これは清和十代の後胤九郎判官義経なりと大音上げて矢面に水際立つる功名は目覚しくも又勇ましゝ、まつたこれなる忠信は判官殿の御名を名乗る吉野山、花に散り〴〵弱法師、義経捕れよ打取れとひしめく敵を右左り、されど新手は後たゝねば、今ぞ最後と大音上、いかに寄手の者共よ、弓矢取る身の習ひとて逢ふを敵の引き出物、東えびすが舞の一さしいで〳〵見参〳〵と軍扇さつと開きなば聞きおじしけん雪崩しておちこちとなく失せにける。ヤレ待て両人兄は屋島弟は吉野の花と散りにしと母は今こそ知り得たり、夜目に鎧の伜とも対面したる老の喜び、今宵判官さまの御越をそれと知つたる自らも、伜の功名如何ぞと案じて御前に出でもせぬ、これにて我れも身のほまれ孝行貞女の相嫁が老をなぐさむ心の程何にも増して嬉しいぞやと。よゝと泣く母二人の妻、ほんに思へば母上の御心根のいたわしや、子を知る親の気も知らで、女心の浅はかになまじ鎧を身につけてまた思ひ増す勿体なや、孝行見えた不孝の科お赦しなされて給われと歎けば母は百倍に嫁の心のいとしさ嬉しさほんにわれは幸せ者、子は武士の道を立つ嫁は年老ふ親に孝心、三千世界にこの身ほど果報な者のあるべきかと張りつめし気も今更に心もたるみ身もくずをれ、かつぱと伏して歎きける、始終の様子義経公武蔵駿河も諸共に静々と歩み出で、いかに老母、健気なる三人の心底、われこそ判官義経ぞ忠義無双に死したる兄弟、冥加に余る義経が一家の心、身にせめて我が写し置く是なる法華経、法地荘厳菩提の為め、これを我身に取らすべしと御手の巻物差し出し、又これなる妻両人母の心慰めんと魂うつす孝心貞節感ずる余り義経が貞女の心木像に彫り刻ませて末世の鏡と仰せの言葉そのまゝに実にや夫婦は一体の魂うつす操の鏡、曇らぬ面、白石の名をとこしへに高福寺甲冑堂の木像に今に誉れを残しけり。老母ははつと押し頂き有難涙にむせびしが、かゝる尊きこの一巻、末の代かけて家の宝、屋島吉野の伜はおろか、命落せし幾千の源氏平家の一門の死しては敵も味方もなし、衆怨消滅菩提の為一日一巻十誦の勤め老の一生祈りまつらん。実に申されし佐藤の媼、天晴れ殊勝の御心、この親にして兄弟の日頃の忠節感泣せり、名残りは尽きじいざ我君、早夜も明けん道直ぐに御立有つて候べし。とすゝめの言葉義経公、心残して行かんとす、袖押しひかへ二人の妻用意の包み取り出だし、自ら二人が夫はらから再びいくさに召されん時何かの御用と貯へ置く、今は用なきこの黒髪一つに添へて参らす程に君の御供にお加へあらぼ千僧誦読の供養にも増す喜びに候べし。布施報恩のまことの品心を込めて受納せん。と頂き給へば老母もまた、わらはも供養仕らん、是は伜二人の者武道祈りし末広のばゞが供養は老の一さし君の御先途開くるを神かけてこそ舞納めん。と扇を持つて身がまへし。それ人間の一生は電光朝露波の泡、花散る里に住むとても哀別離苦の理りはまぬがれ難き道ぞかし、さるにても嬉しやな、義兄弟の功しを君の御たての浪頭、玉と砕くぞ本意なれ、これは吉野の花と散る、誉れは大和武士のともに尽せぬ魂は君の御そばに随ひて行く末かけて守りなん〳〵、あな喜ばし思ひよな。いざ〳〵出でませ人々よ、君の御武運末広をいく千代万御供と差し出す母は一世の縁、妻は来世を二世の縁、出で立つ君は三世の縁、夜も白々と明けの空、五道の守り一筋のみちのく深く急ぎ行く。