◎　空の軍�~　偲ぶ俤　PDF

　昭和１８年３月

　

　乍憚口上

　春もやゝ景色とゝのふ頃と相成り愈々御機嫌よく遊ばされ銃後御精進の段大慶に奉存上候

　偖而當座に於ては引續き盛況のうちに此度彌生興行の準備とゝのひ茲に郷土藝術の特色を發揮して狂言も充分に選擇を加え申候上に此度は特に陸軍記念日に因みて戰勝國の意氣を昂揚すべく『偲ぶ悌』と申す新作曲を以て尊き軍�~の御姿を仰ぐ事と致し全員非常の緊張を以て上演仕り候間何とぞ當座全座員の微衷を御諒察賜り宜敷御觀覧の程を御願申上度尚又當興行に於て兼て御引立を蒙り居候吉田光之助の儀おすゝめを賜り候まゝ三代目吉田光造名跡を襲名仕候次第何分とも宜敷御引立を賜り度以上開場の曉は全座員奮闘努力御客様の御愛顧に酬ふ可き决心に有之候間陸續御來場の程を偏へに奉御願申上候

　　昭和十八年三月

　　　　　四ツ橋畔

　　　　　　　文樂座敬白

　

西亭謹作並作曲

大塚克三舞台装置　村田芳生舞台照明

陸軍記念日に因みて

空の軍�~　偲ぶ俤　壱幕

　

　(床本)　偲ぶ悌

　�~風の彌生の空を吹きなびく、春は越路へ歸るなる雁の渡るか二聲三聲、花も朧に暮れそむる餘寒の町の所澤木の香ただよふ新開の家居も親子水入らぬ樂しまどいも十年ぶり母は仕度に餘念なき、煙りも細き裏道へ心安造技折戸明け、ハイ御免なはりませ、と言ひつゝ這入ればヲヽこれは安造さまか、サアまアどうぞ、アヽモおかまい下さりまするな、實は北海道の兄貴より加納さんにもお上げしてくれと言ふて、鮭を送つて來ましたで、珍らしくもないでせうがほんの少し計り、それはマア結構なもの、忰が歸つたら喜びませう、離れてゐてもお心添え早速お禮出しませふ、いつも貴方にはお世話になる計り何の御隱居さま、兄はいつも申して居りました、屯田兵で北海道へ入植した當座は、亡くなられた加納さんに隨分お世話を頂きましたそふで。これはマアお古い事をいつまでも、それとても御國の爲にした萬分の御奉公、丁度今日は亡夫の命日、故人も地下で喜んで居りませふ。アそふ／＼奉天で御戰死なされた今日は陸軍記念日、こりやまアお精進日に、えらいものもち込みましたわい。イエ／＼主人の大好物、定めて悦んで居りませふに。ヲヽ幸ひ、と申してはすみませぬが、どれ一寸御參りさして頂きませふ。これはマア御心づかひ、サア／＼どふぞマア是へ、とついと立て母親は、佛壇がわりの違ひ柵まつる寫眞に御明りも淡き灯影の小石道、心も加納敏雄少尉いそ／＼として家に入り、おツ母さん只今。敏雄かお歸りかい。ハイおそくなつてすみません、オツ安造さんですか、毎度母がお世話になります。これはお歸りなさい、日々御苦勞様です。敏雄や今日はの、結構なお前の大好物を頂きましたぞ。そふですか、いつとても御心配に預り有難ふ。イヤ今日のお父さんの御命日をうつかりして、生ぐさもの持つて來ましたで、今お寫眞にお詫びして居りましたわい。イヤ／＼お詫び所じやないよ、親父も好物、寫眞が禮を云つて居ますよアハ……。これはどふも、したが、貴方の御評判が良いので、其方が嬉しいでせふ、ねえ御隱居さん、それにしても毎日の御訓練さぞお勞れでせふ、然し日本も進んだものですな隨分いろ／＼たくさんの飛行機がありませふな、今日は、いつもと違ふ飛行機が飛んで居た様ですが、ありや今度の新型ですか、何といふんですえ。と問へど答へも無き少尉、こなたは安造、口輕々氣もかる／＼と猶續け、日本の飛行機で一番速いのはどれほどの速さです、米國あたりの飛行機に負けんのも出來てるでせふな、今日本に何臺程實際數があるのかなア、この所澤の航空兵だけでも私の目算ではマアと安造は、振子の虎の首ならぬひねりくねらす胸算用、指折り數へ言はんとす、とたんに大喝加納の一聲。だまり給へ、君はスパイか、軍の機密を空算用、そのまゝには差し置かん。と軍刀つかみ立上り、顔色變れば安造驚き、トヽヽとんでもない、わしや日本人じや／＼ナヽヽ何もそんなつもりで、と身もがた／＼春の雷初鳴りに猫の驚く如くなり、敏雄は思はず、ハヽヽヽ、冗談だよ安造君、一寸野口教官殿を眞似て見たんだ。エ、アヽ吃驚りした。怒り顔見た事のない貴方ゆへ驚きも百倍でしたよ、アヽ熱い。ハヽヽヽ赦し給へ、然し安造君、軍の事は言はずもがな、事國防に關する事、たとへ些事たり共、口にすべからず、敵性國に洩れたらば、それこそ大なる結果を來たす、防諜精�~鐵石堅固でなくちやいけませんよ。言はれて安造頭をかき、やこいつはうつかりあやまりだんまりだ、好きな義太夫にもいふてありますよ、それ蟻の穴より堤も崩るゝ輕い様でも重い事、ひそ／＼言ふて人も聞くとね、知らぬ／＼と眼をいからして石の上なる達磨さんだ、アハ、すみませんそんならおいとまいたしませふ。安造さん足元に氣をつけて、アお内儀さんのお目出度は來月かえ。オツト御隱居さん、それも防諜何事も言はざる見ざる聞ざるの庚申宵の朧月町に去る影見送る母。ホンニまあ、いつも面白い人、サアお前空腹だろふ、ドレこしらへませふ。イヤ殘念ながら今日は矢島などゝ用事の都合で食事を共にしましたので。ヲヽそふかい／＼、そんならマアお茶なと入れませふ。と差出す茶花も溫かき母の慈愛のうるほへり。ホンニそれ／＼、今日近所の奥様達より聞きましたが、今度の卒業式に、成績も一番とかで、畏れ多い事ながらお天子様の御前で天覧飛行の光榮にも浴するとか何にも言はぬものだから、私しや却て赤面したよ。エ、そんな話誰方がしたですかな、イヤまだ確定した儀でもないんですが、よしまたそふでも、早く話して御心配かけるのは惡いと思ひ、申し上げぬつもりで居りました。何のお前、お前の光榮は加納家の光榮、亡き父も、またお前の事を案じて死んだ農夫や兄も、どれ程喜ぶ事か、うんと頑張つておくれ、其時は見苦しい態度を見せぬ様に。ハツ責任の重大は痛感して居ります、戰時にあるも平時にあるも責任感念に二様はありません、最全の努力を盡して、お父さんにも、又厚恩の兄さんに謝しても、笑はれぬ様いたします、然しお母様軍人は、別して航空兵は平時も戰時もありません、イヤ萬々大丈夫ですが、それまでも萬ケ一其時は歎かずに願ひます、只、其時の先立つ不孝は前以つてお詫び致して置きます。と健氣に放つ言葉の矢。かへらじとかねてぞ思ふあづさ弓、丈夫男の雄々しきは實にや楠士の後裔の面影實にあらはせりヲヽ良く言ひました、それでこそ加納の子なれ、我子なれ、何の母は歎きませふ、加納家の先祖は楠様の御意志を汲む、南士の家、君に捧げまつゝたからは、我子であつて我子でない、死すべき時に死してこそ武人の譽れ、君に忠なり親に孝、だが犬死はなりませぬぞ。ヲホヽヽヽヽ、飛んだしめり話しに落ちましたの、それではぼつ／＼寝むとしませふ。ハイ、おツ母さまお先きへ、私はまだ調べものゝ整理をいたします。そうかい、では、風引かぬ様にの。と取り出す丹前着がへもの、情けもこもる春の夜を鐘のひゞきもおぼろなる、淡き一間へ入る母の夢路樂しく更けて行く。

　月さへいつか水無月に、まだ名殘り降る五月雨の小止む朝空明けはれて、啼き連れたわむ群雀に目覺めしか母のしわぶき聲田鶴子はそれと、お母さま、お目覺めでござりまするか聲に母親つくろひ出で、ア少し寝過ぎましたかな、子供達は。ハイ、元氣で登校いたしました。それは／＼イヤ思ひがけない夢を見てつい寝過しました。とは、どの様なお夢。敏雄の夢、それも、もふ十四五年も前の夢、敏雄が飛行學校時代の夢ですよ。おや／＼、それはおなつかしい事、ではもふ少しお寝みなら戰地のお夢も見ませうものを。ほんにそふでしたの、どれ顔を洗ふてから、ゆつくり朝餉の話しの樂しみ。と母はかなたへ立て行く何氣なけれど聞く妻の胸にあやなすもつれ糸柳の風と流せども騒ぐ血筋ぞ一つなる、まづかたづけと立上る、折ふし表へ足音して、御めん下さいませ、加納さまのお宅はこちらですか。訪のふ聲に妻田鶴子、ハイ、加納敏雄の宅でございます。私は役所の者、エー如何申してよろしきやら、誠に、エーまことに今度は、御主人様。言ひつゝ一書取り出す。エツ、夫が。ハイ、いづれ原隊より公報がありませふが、去る五月二十二日に、言ひも終らぬ一瞬に、かねて覺悟もさすが實に、それとさとりて居ずまい正し。もしや、病死では。イエ／＼名譽の御戰死立派な御最後の由、我等國民として衷心英靈に感謝申し上げます。言葉少なの口裏に心のまことあらわれし。左様で御座いまするか、それ承り安心をいたしました、夫も定めて滿足に御楯と散つた事と存じます、御丁重なる御言葉有難ふ御座いました。それでは、何れ改めて御伺ひ致しますれど、今日はこれにて失禮いたします。言ふも濁りの言葉墨辭を低ふして役所人、曇る思ひに五月だれの心を空に歸り行く。見送る妻の後かげ、それともれ聞く母親の、夢路を偲ぶ目の内に嬉し涙の一雫。ア、お母さま田鶴さん………。お覺悟は……出來て居ります……、田鶴は軍人の妻でござります………、お母さま、……。心配なく、私も加納の母です。ハイ。サア御奉告をいたしませふ。と母は御明かし�~棚へ、妻は寫し繪取り出だし、有りし面影今更に偲ぶも過ぎし夢の空、手向くが如く若鷲の。田鶴さん、アノ飛行機の音、忰は今も生きて居りますのふ。ハイお母さま、家にも三人の子供達、まだ／＼第二第三の加納は生きて居りまする。ほんにのふお前さまもこれからがまこと日本の母ですの。笑顔に交す胸と胸、目と目にかくす一露も、悲し涙は宿らねど、嬉し涙をぬぐふ目に、兒を育みの老雲雀、啼く音に晴るゝ五月空まぶし陽影の輝けり。