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【昭和十年代新作浄瑠璃文楽座床本集 水漬く屍】

(2016.08.15)
(2018.07.15補訂)
提供者:ね太郎
  

◎ 水漬く屍 PDF
 昭和17年4月
 
 乍憚口上
南方への目醒ましい躍進と日毎に高まる國威の耀きには唯々感謝感激あるのみで皆様と共に誠に大慶に存ずる次第でございます。就きましては當座に於ても愈々郷土藝術の本領を發揮して充分に職域御奉公の一念を徹底いたしたいと此度は更に最近我海軍の龜鑑と仰がれ賜ひたる九勇士の御事蹟の一部を謹んで上演いたし聊かなりとも精神作興の一助とも相成るを得ば幸甚と存じ特に作詞作曲を新たにして御一燦に供するを始め當座傳統の秘曲狂言を種々配列いたし折からの櫻花と姸を競ふ事と相成りましたる次第に御座ゐます。就きましては一座太夫、三味線、人形連中には一層の精勵を以て御目見得致すを始め此度さの太夫改め八代目竹本文字太夫、常子太夫改め三代目竹本田喜太夫の襲名御披露を申し上げ、これ又之れを機會に一層相勵み可申候間何卒いつ/\にも倍して陸續御來觀の程を伏して御願申上奉ります。
  昭和十七年四月一日
     四ツ橋畔
      文樂座敬白
 
 九軍神の合同慰霊祭が執行された四月八日、横山正治少佐と上田定兵曹長に因む人形淨瑠璃『水漬く屍』を上演した文樂座では同座二階に九軍神の遺影を安置した祭壇を設け岡田難波神社社掌齊主となつて慰霊祭を執行した
 四月五日午前十時より 大阪護國神社々前に於て謹奏奉納せられた 太夫 竹本織太夫 三味線 竹澤團六 鶴澤綱延
 第一場 廣島縣下川迫村の場面 上田二等兵曹 紋十郎 兵曹の母堂 榮三
 第三場 上田家墓地前 兵曹父 門造 兵曹母 榮三 (文樂藝術 第8號)
 
御挨拶
海軍特別攻撃隊の壮烈鬼神を哭かしむる壮擧は實に身も慄ふばかりの感激を以て承はり、九勇士に對する感謝の言葉は何んと申上げてよろしいか殆んど適當の言葉も見出せない次第でございます。就きましては、當座人形淨瑠璃に於きましても、せめては感謝の一端をあらはす可く聊か御事蹟の一部を脚色さして頂きまして、皆様と共に此感激を新たにいたしたいと希ふ次第でございます。而し、もとより充分とは參りませぬが、私共の微衷の存しまするところを御諒察願ひまして、宜敷御觀覧の程を希上ます。
  昭和十七年四月
     白井松次郎
 
大阪地方海軍人事部指導
西亭謹作並作曲 大塚克三舞台装置 村田芳生舞台照明
水漬く屍
第一場 廣島縣下川迫村
第二場 出發前夜(○艦甲板上)
第三場 川迫村上田家墓地前
 
 (床本) 水漬く屍
 〽普天の下、率土の濱、何れか皇德に浴せんや、皇土に生ゆる草も木も、育ぐむは露ぞ菊の花、道一筋や川迫村里も豊かに稔る穗の、空におとづる時鳥、御代もゆるかの道の邊を秋の野風に吹き流れ、いづこに聲や在郷歌、兄サ御楯よ、親たちや畑よ、ともに務めじや御國の爲じや、赤い手がらの花嫁さんも、聟さ御楯に山田守る、ほんさのんえ。
太市「ヲヽ權爺どん、えらく精さ出しなはるのふ
權「アヽ太市どんけ、お前マア洋服さ着て何處行きけ
太市「ウン今日はの、アノ日野山の城跡サで分會の教練が有つたで一ツ走り行て今歸りじやげに
權「ホウそふけ、そりやハア御國の爲に、若いもん達ちや御苦勞じやの、それやそふと、上田の定どんが歸つて居るがお前ア會ふたけ
太「ウン會ふた
權「ありやまあ感心なもんじやの、たまの休みに歸つてもハア休みもせず、がせえにおつ母の手助け、之れ之の、秋祭りも待たずに、もふ歸るげなが
太「ウンあん人ア孝行もんじやよ、昨日ア野良着きての畑サ行くんじやつて、今朝また軍服での墓參りの歸りじやつて村方の人にもよろしふつての中々感心なもんじや
權「そふじやげ、また、あのおつ母アもがせえもんのヲ
太「ほんさ、この親にしてこの子有りですがの
權「そげえなむつかし事ア解らんが、マア何にしても若いもんナ見習ふ事ツじや……イヤイヤ若いもんの事よりや、おらも精サ出じて、この親……とやらとほめてもろふけ
太「イヤ/\權爺どんも、年サいかして、若いもんにも負けずに、村の者ア皆感心しとるけん
權「エーイおだてるでねえ、ハヽヽヽヽンナラ太市どん、また晩に話そけえ
太「ン權爺どん、足元サ氣付けて行かつせいよ
權「ウン、有りがつと
 老も若きもなごやかな、道は分かれど一筋に我家我家へ歸るさの
〽何れ其時きや白木の箱よ、又の逢ふ日を九段坂
 其の九ツの御柱と、知る由もなき母親を、連れ立ち行くも終りぞと、心の定二等兵、顔にも出さず秋晴れの野面にほころぶ稻の穗も笑顔で渡る可愛川、樂し團欒の一つ道
定「おつ母さん、よい景色ですなア
母「さぶかのふ、わしやいつも通るげに、そふも思わんが、お前アマアたまに歸つてじやけ……そふも見えるんじやよ
定「イヤ、いつも變らぬこの眺めも、今日は別して美しく想ひます。アノ日野山の城跡、可愛川の流れ……子供の時分は、あの城跡まで蜻蛉つりと行つたり、可愛川では石遊びしたり……おつ母さん、隨分御苦勞かけましたナア
母「なにを定、思ひ出した様に……なんけ、しかしのふ定、お前も今は日本の海軍さんじやけに、天子さまやお國の爲、立派な務め忘れん様にの、そして又、方々の國々の人さも寄つてじやろふに、お友達にも憎まれん様にのふ
定「ハイ……おつ母さん、御教訓はしつかりと、决して……决して忘れは致しません
母「ほんさ、もう會はれんかの様にの、ハヽヽヽ女はこせつくでのふ、氣んすなよ……病氣さアせんよふにの
定「ハイ、……おつ母さんも御無理をして、お體をそこなわぬ様……お氣を付けて下さい
母「ンン、おつ母アまだ/\丈夫じやけに、内の事ア心配せず、御奉公サ大事に、立派な兵隊さんに成つておくれよ、もしかの時は人様に笑はれん様にの、お父つさんもそれを言ふてじやけ
定「ハイ、お父さんにもよろしく申し上げて下さい……
定「それから……これはお父つさんに渡して置こふと思ひましたが弟や妹に菓子でも買つてやつて下さい
母「お前エそんな事せんがえゝ、お前も何かといるげに
定「イエ/\僕はよろしいです
母「そんな事
定「イエ/\心配せずにどうか
母「なにけ
定「イヤ、ナヽ何んでもありません
それではおつ母さん、いつまで送つて頂いてもお名殘りが盡きません、これで征きます
母「そふけ、もつと送つてやりてえがの、夕餉のこしらえも有るげに、……ナラこれでいにますけ、折角の休みに樂もさせいで働かしてばかし、すまなかつたのふ
定「勿體ないおつ母さん……人の子として當然の事であります
母「それからの、これは鎭守さまのお守りじやで、粗末にせん様に體へつけんさい
定「ハイ、……いろ/\お心づかひ、有難ふございます……それではおつ母さん
母「氣をつけての
定「…………
〽こゝは川迫、向ふは日野山、中を流れる可愛川
 見送る瞳、一時雨、野分の風に吹き分かれ消ゆる姿に伏し拜む心ぞ清き眞珠灣。
 
 珠と碎け花と散る今ぞ歸らぬ我心、堅く秘めたる奥底も誰れにか岩佐海軍大尉、頭に頂く諸勇士の盡忠報國秋ぞ今、門出を前に九勇士、中に横山海軍中尉、上田二等兵曹と共々語る夜の空、流れて走る星一つ
横「上田
上「ハイ
横「見たか今のアノ流星を、あの星の飛び行く方こそ我々の征く所だ、岩佐大尉を始め皆々今回の企圖も今日あるを期したが爲めだ、とう/\其秋が來たのだ
上「ハイツ、そうです、これ程最大の喜びはありません、先刻も岩佐大尉より訓示を頂きました、萬全を期してやります、何が何でも必ずやり拔きます、先程片山二等兵曹が……あくる日のルーズベルトの泣き言を俺も聞いたぞ閻魔の前で……とやつて居りました、想ふても痛快です
横「ウム、皆々苦勞の仕甲斐があつたと言ふものだよ……が、想へば永い間苦勞をかけたなア、よく面倒を見てくれた改めて禮を言ひます
上「滅相もない、至らぬ自分をこれまでの御訓育、今又この名譽ある壮擧にお伴が叶ひ、上田、この上の喜びはありません
横「ウムよく言つてくれた、しかし乍ら君達の家族に對しては實に氣の毒に思ふて居る
上「御言葉恐縮に存じますが、軍人の家族としては如何なる人も一旦緩急の場合御國に殉ずる事は至高の名譽これに過ぐるはなく、我日本人である限り誰れしも喜ぶ事と存じます、私も過日歸省の際、兩親より言はれました、我子にして我が子でない、大君に捧げまつゝたお前だから一朝有事の際は立派な帝國軍人として人後に落ちず、笑はれぬ様にと……横山中尉……不肖の上田にも親は過ぎたる者でございます……イヤ……コレハ、子として親の自慢話し……どふかお聞き流しを願ひます
横「イヤ、そふでない、立派な兩親だ……わしにも父には死別したが現在猶母が居る……強い……そして優しい母だ、上田、見へるかこれが母だ……想へば今日まで皇恩の萬分の一にも報ひ奉る事もなく、また二十三年の母の慈悲に對し、十分の孝養も盡しえなんだ、お母さん、今日こそ横山中尉、死所をえて醜の御楯と散り皇恩の萬分にも報ひ奉りますなればすべてを御寛容願ひます、これが私の孝の始めであり、また終りでもあります……お母さん、どうか御壮健で……
 も心の内、在ますが如き寫し繪の母の面に浮く笑顔、孝は忠たり一道の心を想ひ上田もまた、取り出す包み土の香に父母の情けの重き艦、輕き命の捨て所
横「上田……何だそれは……
上「ハイ、土であります
横「何……土?
上「ハイツ、自分は農家に育ち、土は一入なつかしく想ひます、稻垣二等兵曹も今度歸郷の時、祖先の墳墓の土を持つて歸りました、思ひは同じだらふと存じます……この土には、父の情けもあり、母の愛もこもつて居ります、この度の事、何國に置いて散りますとも、この日本の土の香は永しへに、八紘一宇の御精神となりませう……
横「上田ツ
上「ハイ
横「床しい、美しい心だ、それでこそ、帝國軍人だ、その皇德に浴せんこそ、我々の念願だ、萬全を期してぬかりなく
上「ハイツ必ずやりとげます、死してもなほ止まざる心です
横「ウム、互ひに心を清め、皇恩に報ひ奉らう……今宵最後の故國の空、別れに望み……皇居に向ひ奉り、壽の萬歳を壽ぎまつる……氣をつけツ……
(擧手の禮)
 海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍大君の、爲には何ぞ
命をや何惜しからぬ軍人香りも床し梅の花、一片散るや君に忠、二片散るや父母に孝、散りにし後ぞ結ぶ實の、家門の譽れ過ぐる日の幼姿の偲ばるゝ、誰が口ずさむか子守唄、ねんねろよ、ねんねろよ、ねんねの子守はどこサ行た、お濕洗ひに里さ行た、里サおごふに何もろた、宮島杓子に貝細工
母「定……よくやつてくれたの、ふお父つさんもおつ母もお前の戰死の知らせを聞いた時きや、どげえ嬉しかつたか……聞きや、この墓の土を持つて行つたそうなげ、其時から戰死の覺悟で居たんじやの、ふ今から思へば、弟や妹に土産サ呉れた時、紙包から土がこぼれた様に思ふたがこの土であつたんじやの、ふよく持つて居てくれたのふ
父「おつ母ア、目出てえ、定の戰死の奉告じやけ……涙サ、出すなよ
母「天子さまの御爲じやもん、悲しかねえが……つい……つい、嬉しふての、……かんにんして下つせ、定や、何れ靖國サアへ、逢ひに行くけにの……
父「サアモウそろ/\お天道さまの上がらつしやる頃ぢや、…………二人で拜んで歸ろけ……
母「ハイ……
 悲し涙は出さねども嬉し涙に明けの鐘、寂滅爲樂とひゞくとも、聞いて驚く人もなし、梅は散りても實はみのる、鳥は古巢へ歸れども、
母「父さん伜の手植えの梅の木にあれ鶯が……
父「ウム鶯も泣いてくれるか、
 征きて歸らぬ死出の海、泣くな歎くな必ず歸る、桐の小箱に錦の衣、逢ふは九段の坂の上、雲なく晴れて、軍神還らぬ五艇九勇士の、其名特別攻撃隊、登る旭の御光りに譽れは世々に輝きぬ、譽れは世々に輝かん。