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【昭和十年代新作浄瑠璃文楽座床本集 忠靈】
(2016.08.15)
(2018.07.15補訂)
提供者:ね太郎
昭和17年3月
乍憚口上
皇軍の向ふところ恰も日月の照らすが如く、新嘉坡すでに陷ち、敵のあるところ悉く灼き盡されんとする烈々の有様、まことに有難き國威を拜しては唯々涙に咽ぶばかり、御同慶に堪へざる次第でございます。就きましては當座に於きましても本來の使命に鑑みまして愈々職域御奉公の一途に邁進いたしまして此度は殊さら堂々の名狂言を連らぬるを始め、茲に大東亞戰爭の爲め尊き礎石と爲られたる我忠勇の戰沒將兵諸氏の靈を弔はんとして、特に「忠靈」なる一幕を謹んで新作上演し、皆様と共に感謝の一端を捧げたいと念願いたす次第でありまして、此外上演種目の全般に亙つて出演の太夫、三味線、人形連中に於ては唯々熱演に次ぐ熱演を以て聊か奉公の誠をいたしたいと存ずる次第でございます。尚又此度は兼ねて御贔屓を蒙り居ります鶴澤叶儀お勸めに預りまするまゝ二代目鶴澤清八名跡を襲名いたし愈々奮勵いたしますれば何卒當座御引立の御餘光を以て相變らず御指導の程を御願申上げ奉ります。
昭和十七年三月一日
四ツ橋畔
文樂座敬白
御挨拶
大東亞戰爭の赫々たる武威を讃へつゝ、一方には幾多殉忠の英靈に對して唯々感謝感激の涙に浸るばかりでございます。就きましては此度開戰以來の御英靈に謝するの一端として、謹んで新作曲を構成し、皆様と共に御在世の頃の壮烈なる御武勲の程を彷彿いたしたいと存じまして、此度「忠靈」一曲を特に上演いたしまする次第にございます。
曲は誠に微弱ではございますが、出演諸氏の誠意のありますところを御諒察くださいましてよろしく御觀覧の程を御願申上げます。
昭和十七年三月
白井松次郎
中部軍報道部御後援
觀世委員會原作 西亭脚色並作曲
山村若子振 大塚克三舞臺装置 村田芳生舞臺照明
陸軍記念日に因みて
忠靈
〽我が日の本に生れ來て、我が日の本に生れ來て惠みを受くる嬉しさよ、もとよりも治に居て亂を忘れずの治にて亂を忘れずの戒め肝に銘じつつ御楯と散りし忠靈に拜を捧ぐる旅衣。
國士〽これは何某と申す者にて候、我れ靖國の御桂忠靈の御德朝暮渇仰仕り候。
國士〽さる程に此處彼處を廻り候程にこれは忠靈塔の御前に來りて候、心靜かに禮拜致さばやと存じ候。
〽忝くも國の爲華と散りにし忠靈は尊き御業なるとかや、八紘宇と爲さばや大君の御楯の德を仰ぐなり誠の精神顯せば天も感應ましまして、自づから春の手向の櫻花、秋はまた紅の葉毎に飾る錦こそ皇國の旗の靡くなれ豊年願ふ天地の四季折々の捧物數にもあらぬ我等まで日毎に仕へ奉る、日毎に仕へ奉る。
国士〽いかにこれなる人に申すべき事の候、見申せば貴賤の男女夥しく勤勞奉仕の群集の中にとりわき親子と思しき二人の者一入殊勝に候。
老翁〽御言葉忝く候、さり乍ら神の御前の勤勞に老若男女のあるべけれ、それ國の爲家の爲、何れ勝りの疑ひぞや、先づ公を先とせん、君が代の御影を仰ぐ蒼生の盡す姿は色々に軍の場に立つも立たたぬもの御教へ實に有難や山田守る老も若きも勇みあひ銃後圓滿に榮え行く力の程ぞ賴もしき。
國士〽實に賴もしき御事なれども花と散りにし忠靈の御心如何おはすらん。
老翁〽さればこの所に納る忠靈には親子もあり兄弟もあり遺兒次ぎ/\に大君の御楯となりし者もあり。
国士〽げにや七度生れて國に報ふの御志。
老翁〽いやとよ七度に限るべからず生じては死し死しては生じ。
国士〽親より子、子より孫。
老翁〽子々孫々の幾千代までも。
二人〽國を護りの御誓ひ。
〽それ人間の一生は、電光朝露百年の榮華も夢の中ぞかしかけまくも大君の詔勅に召し出され忝くも赤子として股肱の勤め功名に最期を飾るぞ光榮なれ、其の上靖國と齋はれて無上の榮に浴したり。
国士〽不思議なりとよ靖國の神の御心木綿幣の御身いかなる人やらん。
老翁〽人か神かは白眞弓弦を放れて飛ぶ空の彌猛の心靖國の神の社頭に夜もすがら語り申さんいざ去らば、と言ふかと見れば、幻の夢の如くになりにけり夢の如くになりにけり。
〽夜も更け過ぎて東雲や、白む御空の明け近しと思ふ雲間の中よりも、一道の光ほのかにて、げに神さぶる氣色かな、實に神さぶる氣色かな。
〽四海波靜を謳ふ太平に、波瀾を立つるは何者ぞさても國難以ての外にて夷の寇を平げよ、急ぎ出陣あるべしと畏き仰蒙りて、畏き仰せ蒙りてかねて期したる將兵等、皆一同に勇み立ち海路艨艟黑鐵の攻めつゝ征けばうち靡き、銀翼虚空に飛行して、轍轟く荒金の地軸動搖す勢ひに、手に立つものもあらざれど、敵と戰ふ其の上に金石鎔かす三伏や霜雪寒風骨を刺し、苦患甚だ多くとも難きに堪ゆる我が將士、皇軍勝利の爲ならば、命拾つるはいと易し、いで一命を捧げんと太刀眞向にさしかざし多勢が中に割つて入り、もとより好む業物をおつとり延べて右左、切り立て切り伏せなぎ倒し、鎬を銷つて戰ひしが、武士の死所を得て海行かば水漬く屍山行かば草むす屍大君の御代萬歳を唱へつゝ花と散り行く靖國の神、すゞしめの御神樂ゆゝしき御聲千早振るげに賴もしき神遊び。今ぞ治まる四海波靜かに謠ひ舞の袖、御代萬歳と明け方の旭日輝き御旗の八光外國までも靡かぬ草木もあらざる御代に君を護りの國民絶えずゆるがぬ國こそ久しけれ、ゆるがぬ國こそ久しけれ。
参考 番囃子「忠霊」 花もよ38号(2018.7) moyo18-090 原 Victor 5871-77
東谷櫻子 新作能「忠霊」をめぐる考察 花もよ38号 p14-17