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【昭和十年代新作浄瑠璃文楽座床本集 末廣加利】

(2016.08.15)
(2018.07.15補訂)
提供者:ね太郎
  

◎ 末廣加利  PDF
 昭和17年1月
 
 榮三の太郎冠者 光之助の傘賣
 壽夫婦春駒(文樂藝術 第5號)
 
紫紅山人作
鶴澤重造作曲・坂東三津之丞振附
新曲 末廣加利[すえひろがり]
   引拔き 壽夫婦春駒
 本曲は今度初めて上演される事になつた新作の所作事で、さきに「紅葉狩」「名和長年」等の新作淨瑠璃を發表した西村紫紅山人と鶴澤重造の同じコンビになるもので、別項作者の言葉を御覧下さつて本曲の意味するところを御了解下さい。
 
 (床本) 新曲 末廣加利
   引拔き 壽夫婦春駒
 呉竹の節に紙をば張り替へて傘も扇も末廣ふかりの浮世の笑ひ艸、これは隱れもない大名でござる、先づ太郎冠者を呼び出して申付うと存ずる、ヤアイ太郎冠者あるか、ヱーイハヽアおん前に、ヤ念なふ早かつた、扨汝を呼び出すは餘の儀でない、明日いづれもをお招き申そうと存ずるが何とあらうな、まことに内々は御意なうても申上うと存じまいた所にこれは又一段とよござりませうウヽよからうな、ハヽア、そうあれば引出物には何を出そうナ、されば何がよござりませうぞ、ヤ思ひついた今某は末廣がりを出そうと思ふが何とあらうぞ、ようござりませう、汝は大儀乍ら上方へ上り急いで求めて參れ、畏つてござる。モウシ/\ョふだお方、何事ぢや、今仰せられた詞は立て板に水を流すやうでトント耳に入りませぬ、じやに依つて書きものを下されい、ヤ心得たソレ此書き物にある通りのものを求めて參れ、エヽ急げ/\ヲ扨ョふだお方の氣の短かい、然し此書きものさへあれば心丈夫といふものじや先づ急いで參らう、野山を越えて都路や、往さ來るさも賑はしき。
 
 町中繁昌と夫婦連れ、心も勇む春駒が佳き歳祝ふ初姿蓬萊に聞かばや伊勢の初便り、ヤレ/\/\咲いた櫻に駒をばつなぎや、駒が勇んで花が散る、散るは櫻か櫻が武士か大和心の勇ましや、戰さのにわに立つ人と力を合す勲しは、白馬K馬栃栗毛、芦毛石かけどう/\/\、どつと上つたあの水烟り、宇治の川Pか隅田の川か、春はあたごに櫻を手折り、秋は嵯峨野に冴ゆる月、志賀の湖白波立てゝ、シヤンと跨る綿繰り馬や、手綱片手に馬子唄歌ふ、阪は照る/\鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る降るは涙か時雨るゝ母子、夫の爲めには貯へ置いた黄金花咲く山内や、塩原多助のあの青見さい、お主の仇をば討つたげな、打つた碁盤に名高いものは、その名も怖い鬼鹿毛よ、それは昔の物語、今は日の丸背中に立てゝ、萬里の曠野に蹄の音も、かツつかつ/\勝ち軍、春は永く殘るらん、歌ふも舞ふも初春を、目出度祝ふ讃へごと心の駒に手綱をぱ、引きしめ/\いざ共に、サア/\ござれと打連れて、足もいそ/\急ぎ行。
 
 急いで參る程に早や都と見へて賑はしい事でござる、眼に見るもの、耳に聞くもの皆珍らしいもの斗りじや、ヲヽそうじや大事の御用の末廣を求めねばならぬが扨て末廣屋を存ぜぬがアヽ困つた事じや、ヲヽそれよ欲しいものは呼はるがよいと申す、末廣買はう/\街の左右をうろ/\と呼はり歩くぞ笑止なる。罷り出でたるは洛中に住居致す心も直にないものでござる、ハハア何者やら大聲で呼はつて參るが、末廣買はう/\、ナウ/\其方は何をわめいておらるゝぞ、されば其事でござる、田舎者でござれば、末廣屋を存ぜぬによつてかやうに申すのでござる、ノウそなたは末廣といふものを知つておゐやるか、ウン、インヤ、ウン存じてござる、知つて居ればこそ買はうとは申す、ヤこれはあやまりました、某は末廣屋の亭主でおりやるに依つて念の爲めに問ふたまでじや、ホヽウハテ扨これは仕合せな事でこざる、シテ末廣の出來合はござるかな、なか/\ござるとも/\、急いで見せさつしやれ、心得てござる、それに待たしやれいハハア、イヒハハハ、あの田舎人はほんの末廣を知らぬと見ゆるが、ヤレ扨末廣を賣らうとは申てござるが、エヽマ何を賣りませうぞ、あれかこれか、ヤ思ひついた事がござる、これに傘がござる程にこれを持てゝ賣りませう、ノウ/\田舎人それにござるか、ソーレこれは如何でござるの、ホヽウこれが末廣でござるか、なか/\、どれ見せさつしやれ、ヲヽ、ソヽそーれごらんしやれ、ハヽア誠に擴げさつしやれたればハテいかい末廣でござる、さり乍らョふだお方が注文のおこされてござる程にこれに合ふたらば買ひませう、さらば讀まつしやれい、先づ第一は地紙の事よ、強い厚いが所望でござる、オツト地紙は大和は宇田のほんの楮を清水に晒し、張つて乾いたその上に油を引く事三百遍、師走狐の鳴くやうに、コン/\/\と申します、ホンに成程其次は骨の磨が氣にかゝる、骨の磨きは此の通りかの鎭江の七賢人竹林中のよい竹を撰りにえらんだ其上に、信濃木賊で磨き上げツルリ/\の上仕上げ、要元をば締めてとござる、要は元より肝腎要、サツト擴げて此金でじつと締めたを申すのぢや、次にざれ繪は如何あらう、サアざれ繪/\、ホンにざれ繪は某とそなたがエーヤツと、ヤこれはしたり其方は田舎者じやと思ふて打擲めさるか、アヽイヤ打擲ではおじやらぬ、こなたと某とこうしてざれるを以て即ちざれ繪といひまする、ヤ扨も/\注文に合ふてかやうな嬉しい事はござらぬ、早速に求めませう、シテ價は如何程でござるぞ、高値でおじやる、如何程でござるぞ、萬疋でおじやる、エヽマヽ萬疋、これは又高い事でござる、ちと値切りませう、ヲヽ少し位ならばまけてやりませう、ナント百許りになりますまいか、ノウそこな人何といわつしやる、そのやうな下値なものではおりない、エヽ迚もそなたはよう買やるまいぞ、申し/\そなたは何と聞かしやれたぞ、萬疋の中を百許りもまけて下されまいかと申したのでござる、ハヽア分りまいた、それでは五百まけて進ぜう、忝うござれ、シテ代物は何處で渡されまする、三條の布袋屋で渡しませう、これで受取りませう、忝うござる、さらば、さらば、アアハヽヽ、古傘を末廣と申したれば悦んで持ち歸るわ、アハヽヽヽ、ヤこの末廣をョふだ人へ届けたらばお賞めの詞もあらうエヽ忝い/\、あの田舎人はよほど正直者と見ゆる、あまり不便に存ずる、ノウ/\、何用でござるぞ、そなたの様子を見る所定めし主持ちでござろ、ナカ/\人の主は機嫌のよい事もあり又惡しい事もあるもの、若し機嫌の惡しうおじやる其時は、斯うおしやつたがようおじやろ、ウン/\、ナ、ウン/\/\扨も忝うござれ、さらばぞ、オヽようおりやつたさらばぞ、アヽ待遠や/\、何れもをお招きする引出物を求めにつかわしたが定めし見事な末廣を求めて歸るであろ、アヽ草疲れたぞ/\、ョふだお人に急いでお目にかけうず、殿様ござりますか太郎冠者戻つたか、歸りました、ヤアラ太儀や急いで見せい、ハヽア仰せらるゝ通りのものを求めて參りましたそれは重疊じや急いで見せい、こりヤ何じや、エヽ末廣でござりまする、これがや、ハア殿様の御合點が參らぬこそ道理でござりますれ、コレから致しますときつう廣がりまする、フンまことにこれはいかい末廣じやわいやい、シテおのれは注文に合して來たか、ナカ/\合わせる段ではござりませぬ、ソレ此書きものを、それで讀まつしやれませい、ヲヽ急いで合せおろ、先づ地紙良しとハヽアそれこそ念をつかひましたれ、この紙の事でござろ、師走狐の鳴く如くコン/\といふ程はつてござります、シテ又骨磨きは、ハヽア此骨の事でござる、信濃木賊をかけて磨き上げ、ツルリ/\と致してござります、要元締めては如何じや、かう擴げましてこの金で締めるを以てこれが要元締めてといふ所でござる、さらば繪はざれ繪と申したが、サア其ざれ繪につきましては、エヽモそれは餘程の念をつかひましたれ、マヽそれに待たつしやりませ、ヤツ覺へたか、ヤこれは何としおるぞ、アヽマヽ先づ待たしめ/\、イヤ申この柄でこうしてざれるを以て即ちざれ繪、ヤイ/\/\そこな奴、おのれは知らぬが定か、ハヽア存じませぬ、エヽ知らずばこれへ寄りおろ、末廣とは扇の事ぢや、コリヤおのれは古傘を買ふてうせて、イヤ末廣で候の、ざれ繪でござるなどとヱヽたわけ奴が、某が前へは叶わぬ退りおろ、ヤレ扨憎い奴かな、まことにョふだ人の云はるを聞けばこれは傘じやけな、エヽひよんな事を致したわい、さりながら都の者が機嫌直しを教へて呉れた、先づ急いで申して見せうず、傘をさすなら春日やんま、これも~の誓ひぞと、人が傘さすならおれも傘さそうよ、實にも此世は一つの傘の、東の海も南の洋も、四邊四隅を一つの宇に、おさめて共に榮へて行かむ、げにもさありげにもそうよの、コリヤ/\太郎冠者、買物にぬかれて囃しものをするとも前代の曲者、身が前には叶ふまいぞ、實にも東の空明けて、旭かゞやき和らぐ御世を、ひらき導く我が日の本や、これも~の誓ひぞと、人が傘さすなら我も傘さそよ實にもそふよげにもさあり、ヱヽコリヤ前代の曲者やるまいぞ/\。
 
作者の言葉
紫紅山人
◇末廣がりに就て
 末ひろがりは目出度い能狂言として慶祝の際には古來から屢々上演せられたものである。同じ材料である紙と竹と用ひて製作せられたものだが、用途が全然異つてゐる扇と傘、即ち大名は扇を望んだに對して太郎冠者は傘を求めて來た。然し擴がる點に於て一致してゐるといふ比喩に富む一笑話。私は此末廣がりに新東亞建設と八紘一宇を寓意して淨曲化して見たのである。幸ひに御清鑑を得ば幸ひである。
 
 ◇壽夫婦春駒に就て
夫婦春駒は從來人形淨瑠璃として上演せられた事もある。それは稚兒源氏の一齣で、極めて短かいものであり且又現代人には解し難い字句もある。幸ひ今年は午年である。午は馬に通ずる。聖撰茲に五星霜、我忠勇義烈な事も又見逃がせない。私は此午年の劈頭に際して軍馬の勲功を稱へるべく、又古來の名馬禮讃譜として、佐々木高綱、阿部豊後守、由垣平九郎、小栗判官、さては山内一豊の妻等々十種の馬物語りを羅列して景事的な散文詩やうのものを綴つて見たのである。