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【 代唱萬歳母書簡 】

(2016.08.15)
(2023.05.01補訂)
提供者:ね太郎
  
  太棹89号掲載分との異同については代唱萬歳母書簡(太棹版)参照

◎ 代唱萬歳母書簡 PDF
 昭和16年1月
 
謹賀新年
大政翼賛のもと一億國民が大躍進を爲す可き新らしき年の始めにあたり當座に於ては健全なる娯樂を通じての日本精神昂揚の實を擧ぐることに更に一層の努力と精進を拂ひ愈々四方皆々様の御期待に添ふべく茲に初春本格興行の運びに立到り候次第に御座候就ては此度は曩に今事變に於て我海鷲の華と謳はれたる山内中尉と其母堂の忠烈なる事蹟を追想して美はしき物語を上演するを始めとして當座秘藏の名狂言を配列いたし迎へる意義深き新年を壽ぐ事と相成り一座連中に於ては一層の報國精神に燃えて必死の奮闘を以て御意を得可く候間何卒舊年に倍して御贔屓御引立の程を伏而奉御願申上候
  昭和十六年元旦
    四ッ橋畔
      文樂座敬白
 
 
大阪地方海軍人事部指導
 
軍國美談 代唱萬歳母書簡[かはつてとなふばんざいはゝのてがみ]
 
  (床本) 母の書簡
第一場 ○○海軍航空隊
第二場 山内海軍中尉留守宅
第三場 海軍省人事局
 
 海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大君の爲には何か惜しからん、棄てゝかひある命ぞと、遠き神代の昔より、承け傳へたる武夫の、武勇の血こそ尊けれ。
 爰に昭和十二年、排日侮日に血迷へる、暴逆支那軍膺懲の、軍は遂に擴がりて、國際都市の上海に、斷乎起ちたる我海軍、陸戰隊は寡兵もて、よく大軍を支へしが、敵の飛行機襲來して、多くの民を殺傷す。無道極まる支那空軍、いつかに撃滅せんものと、待ちにぞ待ちし時來る、八月十五日夜を籠めて、忽ち起る不時呼集、行く手はいづこ敵の首都、南京方面爆撃の、重大使命ぞ下りたる。○○海軍航空隊、第一陣に選ばれし、山内吉田梅林南野其外渡邊太田、意氣軒昂たる勇士達、場内せましと居並らんだり。號令臺に○○司令、一々見守り居たりしが、嚴粛に詞をかけ「落下傘はどうした。誰も用意をして居らぬ様だが」と訝かしげに尋ぬれば、山内中尉進み出で「敵地での不時着に、落下傘の必要はありません。萬一の場合には、機體諸共突入して、敵を懷滅せずには置かぬ覺悟で有ます」「うんよく言つてくれた。其覺悟だ。大元帥陛下の御爲、全國民の爲、立派に命を棄てゝくれ其强い覺悟の前には、いかなる困難も切り開かれる。後には神も佑けます。本職は、諸士が必ずや使命を達成するものと信ずる。决死の意氣込の上に、更に細心の注意と、大膽なる判斷とを望む。では勇ましく出發してくれ」「はい、では往つて參ります。各々部署に附け」「部下の技倆は信ずれど、戰史に曾つて例しなき、この荒天に幾千粁、支那海越えて行く部隊。あはれ幾機か歸還せん。ただ空襲の目的を、はたしてくれよ爲遂げよと、暫し見守る其内に、エンジンの音勇ましく、心ときめく折しもあれ、滑走一機二機三機、續いて離陸五機六機。「賴むぞ賴むぞ」と呼ぶ聲は、聞えはせねど手を高く、擧げて見送る司令幕僚、姿も淡く朝闇に、消えて早くも海の上、物凄まじき颱風の、中心近く轟々と逆巻く大波大嵐海面すれすれ七十米、雲の間をくぐりつ縫ひつ、まつしぐらににぞ趐り行く。
 
 長崎の山から出ずる月はよか、こんげん月はえつとなかばい。蜀山人が詠じけん、こゝ長崎の片ほとり、彦山の麓新中川町。立待月は中空に、見る人もなく澄み渡り宵の暑さもをさまる夜更け舗石の道登り來る、音も靜かに一人の紳士、山内達雄とある表札見出で、「山内様のお宅は此方でございますか。役所から參りました」と訪なへば、内より、「まあお役所から今時分、何の御用でございませう。只今お開け致します。まあ何卒お上り下さいませ」「夜分にお騒がせ申しまして、誠に恐れ入ります。あなた様が山内中尉殿の、お母様でございますか御本籍地壱岐の國へ、海軍省から參つた電報が廻送されて參りました。實は」とばかり言ひさして、後は言ひ兼ね口籠る。様子見て取り、「何、それでは忰が戰死したとのお知らせでございますか。夜分のところ態々のお知らせ忝う存じます」と騒がぬ母親。「誠にお氣の毒で、申上げる詞もございません。御子息中尉殿には、去る十五日南京空襲部隊に參加せられ、爆撃任務御遂行の上、御歸還の途中御行方知れず、立派な戰死を遂げられたと認められるとの御事、お國の爲とはいひながら、母御様のお心の内、お察し申上げます」と言ふを打消しやす子刀自。「いゝえ何の、其お悔みに及びませう。あの子を軍人にさし出した上は、命はお國に捧げたもの、お國の爲に力を盡し、立派な戰死を遂げたのなら、私は嬉しうございます。死んだあの子の父親も、草葉の蔭で嘸やさぞ、滿足に思うて居りませう、達雄の父は長い間、小學校の校長を、勤めさせて戴きましたが。ほんにお國を思ふ心の深い人でありました。私は决して歎きは致しません」とけなげに言へば、「いや何と申し上げませう。見事なお心がけ、餘りの氣高いお心に、男の私さへつい涙がこぼれます。それではこれでお暇申します。どうぞお心静かに」と挨拶もいとねんごろに歸り行く。隣の部屋に聞く娘、弟も共に立出でて、「お母様達雄兄さんが」「智恵子、海軍省からの御通知、立派な兄さんをもつてお前達も肩身が廣いといふもの。兄さんに負けぬ、立派な人とならねばなりません。のう敏夫」「でも行方不明といふのでせう。僕は兄さんは、未だ何處かに生きておいでなさる様に思ふ。是迄一度だつて間違ひの無かつた兄さん。あれだけ自信のあつた兄さん、どこかの山の中にでも生きて居なさるのではないか知ら」「いゝえ、あの雄々しい氣象の達雄です。見事に戰死した事でせう」「でもあの元気な兄さんのお姿に、再びお逢ひ出來ぬかと思へば、私は悲しうございます」「いえいえ泣いてはなりませぬ。海軍航空隊の度々の爆撃、味方にも損害が有つたと聞いて達雄が若しやと氣がかりで有りましたがこのお知らせを受けまして、私は不思議に落着く事が出來ました。あの子は死んでも、决してむだには死にません。魂はきつと生きて居ります。其證據に斯う私の心が强くしつかりとなれたのも、あの子の魂の生きて居る證です。いついつ迄も魂は生きて、きつとお國を護るでせう」「兄さんやつぱり死んだかなあ。新聞で見れば、あの日は猛烈な低氣壓で、南京地方が颱風の中心だつたのだ。空襲部隊の中、僅か八機しか損害が無かつたのは、全く奇蹟と書いてあつた。兄さんと同じ、神戸高等商船學校出身の梅林中尉が、墜落しながらハンカチを振つて僚機に別れを告げたとか、南野中尉が墜落しつゝ正確に爆彈を投下して、愛機はガソリンタンクに突入したとかいろいろ勇ましい様子が傳へられるのに、兄さんは、兄さんは。僕は夫れが殘念だ」「いゝえそれも考へ様です私は達雄を信じます。大きな評判を取る取らぬ、夫れは問題ではありません。戰ひの蔭には、緣縁の下の力持ちをなさる方が、どれだけ居られる事でせう。あの度々の爆撃に、機關の故障が一度も無いといふのも、地上部隊の整備員の方々が、どれ程御苦勞なさる事でせう。それを思へば達雄等、いさぎよい空襲部隊に、參加させて戴いて、どれ位仕合せか分りません。お國に盡す心は一つ。たゞ最後の際、天皇陛下の萬歳を、唱へるひまもなきまゝに、墜ちていつた事でせう。其時の達雄の心、さぞ心殘りで有つたらうと、此の事だけが氣になつて」と思はづ落す露の玉。「あゝもう夜も更ける。あなた方もおやすみなさい。私はこれから、海軍省の方々へ、お禮の手紙をしたゝめませう」「夫れではおかあ様、お先へ御免下さいませ」「かあ様お先へ」とそれぞれに、寝所にこそは入りにけり。後に母親たゞ一人、神の御前に燈明かゝげ、父の御靈に手を合せ、「達雄は、常々の御教訓通りお國の爲、立派な働きをして、あなたのお側へ參りました。褒めてやつて下さいませ」と暫し禱りを捧げし後、机に向ひ、墨すりおろし、萬物寂として寝しづまる、深夜に心を澄ませつゝ、一書をこそはしたゝめけり。
 
 日支戰端開けしより、晝夜暇なき海軍省、人事局の局長室、朝まだきより清水局長、山と積みたる書類をば、檢する折から入來る課長「多田君、何事か急な事件が起つたかな」「いや、只今參つた手紙を調べてをりますと去る十五日南京渡洋爆撃に、行方不明、戰死と决定した山内中尉の母親からの書面、軍國の母の志、讀んで一同泣かされました。餘り感激しましたので、局長閣下にも御覧に入れようと、持參しました」「ほう山内中尉の母御から。そこで讀んで聞せてくれ給へ」「では讀んで見ませう。前の方は略します。山内達雄中尉儀、南京空襲においてぼつせる旨の御通知、壱岐郡石田村村長殿より現住所宛御轉送を得、まさに拜承仕候。あの子が光輝ある帝國海軍航空士官として、御奉公仕候事を得、决死もつて護國の鬼と化し、搖ぎなき祖國の御爲に、身命を捧げまつる事を得候事、尊く感謝に堪へず候。謹みてかの子既往の事、深く厚く御禮申上げ奉り候。あの子は幼少の時より、直く正しく清き心の持主にて、武勇を好める性質なれば、必ずや天に受くる大任ある者と信じ候て、父は賤しき己が子なりと思はず、御國の御子なりとして育くみ養育致し來りたる子に有之候。昭和九年祖國非常時に心を澄し候て、海軍旗のもとにはせ參り候時、既に此最期を明かに决意仕り居りたるものに有之候。天皇陛下萬歳、大日本帝國萬歳、大日本帝國海軍萬歳、戰死せる子達雄に代り、母やす謹みて唱へ奉る」「君一寸待つてくれ給へ。子に代つて、天皇陛下の萬歳を唱へると云ふのか。其後は吾輩に讀ませよ。何々。大日本帝國海軍萬歳。戰死せる子達雄に代り、母やす謹みて唱へ奉る。あゝ老い行く母、月の明るきを眺めては泣かんとするか。花の香ばしきをめでては惱まんとするや。あらず首べをあげて空行く飛行機を見よ。あれよあの機。達雄永へに生きて在るよ。私なほ男兒三人有之、育て見守りつゝ御國の御爲に勵ましめんと致候。達雄最期といへ共、帝國軍人としての面目はけがさぬ性格に有之候故、御心安く思し召し下さいませ。達雄母やす謹みて上。海軍省人事局御中。誠に立派な志だ。吾輩は心から感激した。これは我々ばかりが讀んだでは濟まぬ。廣く新聞紙上に發表して、此の感激を國民全般に分たう」「ハイ、一同もさう申して居ります」「是非さうしよう。小學校の讀本にも出て居る、日清戰爭の時には水兵の母、日露戰役の時には、一太郎の母があつた。こんな立派な母親は、山内中尉の母御ばかりでは有るまい。恐らく軍人の母親は、皆同じ心に感じるであらう、子を育て子を守るのが母の勤め、子を先立てゝ何んで悲しうなからうぞ。月花を見て惱むまじ、泣くまじと云ふ母の心、さすがに女の優しさよ。深い愁ひを堪へ忍ぶ、限りない悲しみだおつかさんは泣かずとも、此手紙を讀む國民が、代りに泣いてくれようぞ。お國の爲と云ふならば、その愛し子の戰死さへ、惜まぬのみか三人の、殘る子迄も捧げんと誓ふ心の尊さ。此心こそ日本の誇り。大日本帝國萬歳。傳へ聞きたる人々は、戰の場に起つ者も、銃後の守りにある者も、皆諸共に奮ひ起ち、一つ心に東洋の、平和の爲の大御軍、勝たで止まじと誓ひなむ、勝たで止まじと誓ひなむ。