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【昭和十年代新作浄瑠璃文楽座床本集 連獅子】

(2016.08.15)
(2018.07.15補訂)
提供者:ね太郎
  

◎ 連獅子
15年4月 
  
 能曲「石橋」より生れた俗曲の獅子の曲は、琴曲、河東節、荻江節、常磐津、富本、長唄と、凡ゆる流派に行はれて、歌舞伎の獅子の所作と結んで發達したが、本曲も長唄「連獅子」の淨曲化で、雄、雌、子の三獅子が、天臺山中石橋に現はれて、牡丹の花に戯れる様を寫した豪華な一場です。
 (床本) 連獅子
 夫牡丹は百花の王にして、獅子は百獸の長とかや、桃李にまさる牡丹花の今を盛りに咲滿ちて、虎豹に劣らぬ連獅子の、戯れ遊ぶ石の橋、抑々是は、尊くも文珠菩薩のおはします其名も高き清涼山、峩々たる巖に渡せるは人の工に非ずして、おのれと此處に現はれし、~變不思議の石橋は、雨後に映ずる虹に似て、虚空を渡るごとくなり、峰を仰げば千丈の雲より落る瀧の糸、谷を望めば千尋なる底は何所と白浪や、巖に眠る荒獅子の猛き心も牡丹花の露を慕ふて舞遊ぶ、胡蝶に心和ぎて、花に顯れ葉にかくれ、追つ追はれつ餘念なく、風に散行く花びらのひらりひら/\翼を追て、共に狂ふぞ面白き、時しも簫笛箜篌の妙なる調べ影向も、今行程によも過じ斯る嶮岨の巖頭より強臆ためす親獅子の惠みも深き谷間へ、蹴落す小獅子は轉ろ/\/\、落つると見えしが身を翻し爪をけたてゝ馳登るを、又突落し、突落され、爪のたてども嵐吹く、小蔭にしばし休らひぬ、登り得ざるは臆せしか、アラ育てつるかひなやと望む谷間は雲霧に其れともわかぬ八十P川、水に寫れる面影を見るより小獅子は勇み立ち、翼なけれど飛上り、數丈の巖を難なくも馳上りたる勢ひは目覺しくも又勇ましゝ、獅子團亂旋の舞樂のみぎん/\、牡丹の花ぶさ匂ひみち/\大きんりきんの獅子頭、打てや囃せや牡丹芳々、黄金の瑞現れて花に戯れ枝に臥し轉び、實にや上なき獅子王の勢ひ靡かぬ草木もなき時なれや、萬歳千秋と舞納め獅子の座にこそなをりけり。