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【昭和十年代新作浄瑠璃文楽座床本集 三勇士名譽肉彈】

(2016.08.15)
(2018.07.15補訂)
提供者:ね太郎
  

◎ 三勇士名譽肉彈 PDF
 昭和7年4月
 世界に誇る本朝武士道の精華
 陽春の候に御座ゐます、皆様には益々御機嫌おうるはしくゐらせられ欣慶至極に存じ上げます。
 さて、當座の四月は今や國を擧げての重大時機に鑑み、古今の忠君愛國心の發露、昔の義士は「忠臣藏」今の忠烈は「三勇士」の特別興行と臻し大方皆様の燃ゆるが如き祖國愛に副ひ奉らんと致す次第であります、爰に世界に誇る、郷土藝術が世界の花と謳はるゝ忠勇義烈の相を併せて上演するは寔に有意義なことゝ存じます、わけて「三勇士」上演は全く劃期的と申すべく、これも偏に皆様方の厚き御支援によるところと一同躍然として熱演いたしますれば、何卒より以上の御後援をお願申上ます。
  昭和七年四月一日
    四ツ橋
     文樂座
 
(吉永孝雄の私説 昭和の文楽 p14)
 
松居松翁原作
食滿南北脚色
鶴澤友次郎作曲
切 三勇士名譽肉彈[さんゆうしほまれのにくだん]
  (松田種次郎舞臺装置)
志士は溝壑にあるを忘れず勇士は其元を喪ふを忘れずとかや、時しも昭和七の年、月は如月下二日、御國に忠を筑紫路の譽も高き三勇士、語り傳ふる敷島の大和の國の櫻花、幾千代かけてにほふらん、爰は所も上海に近き村落麥家宅、霜さへ氷る曉に間近く敵を沖の石、かはく間もなき汗や血に、まみれてつくす工兵の其塹壕に前進の命を松下中隊長折しもあれや舊曆の十七日の月冴えて怪しの人のうごめく影、誰か/\、ハイ私は廟行鎭鐵條網ある咄し澤山/\する事有中隊長殿怪しい奴をとらへました、ムよし連て來い、ハイ、オイ、言事が有ならそこで言へ、それ廟行鎭中々堅い、機關銃澤山ある日本兵少ない中々落る事ないナ、外へ廻るヨロシイナ、默れ貴さまは誰にョまれてそんな馬鹿な宣傳をしに廻りよるか、怪しい奴だ、馬田軍曹繩[しば]れ、ハヽア中隊長殿危ない事でしたナ、あぶない事だつた、オイ、馬田軍曹そやつ何か持てゐないか身体檢査をして見よ、ハア中隊長殿軍隊手帳がありました、ムそふか、第十九路軍の正規兵です、ムヽ扨はそうかと顔見合せ、油斷ならじと囁やく折しも軍用電話、けたゝましく内田伍長は取上げて、ハ、ハ、ハ、松下中隊で有ます、旅團命令で有ますか、ハ、ハヽヽヽ復哨、本隊は其主力を持て二十二日午前五時三十分を期し廟行鎭の總攻撃を開始す、松下中隊は其正面の鐵條網を爆破し、五個所に歩兵突撃路を開くべし、終りハ、ハ、ハ、分りました、中隊長殿命令が參りました、ムヽ中隊長殿電話に出て下さい、よし、ハヽ松下大尉であります、ハハ分りました、本中隊は直ちに决死隊を募り確かに其時間までに敵の鐵條網を破壞し完全に突撃路を開きます、終り、と答ふる聲も覺悟の一諾、馬田軍曹進み寄り、中隊長殿旅團の御命令でもあの敵の鐵條網は實に構築堅固で我爆撃機が日夜必死の奮闘も未だ何等の効果も無く尋常一様の手段では迚も駄目だと思ひます、とつぶさに語る敵情に、松下大尉につこと笑ひ、其出來ない事を仕遂るが日本軍人の誇りで有る、日本軍人の上には常に天佑有て守らるゝ、是日の本の常ぞかし、小隊長集れ、只今の旅團命令に依て當中隊は决死隊を募る、大島小隊長は三名宛二組の先發班、後續班の决死隊を選拔せよ、東島小隊長は豫備班として三名の决死隊を選拔せよ、終り、復哨、大島小隊は、三名宛、二組の先發班後續班の决死隊を選拔仕ます終り、復哨、東島小隊長は三名の豫備班を選拔します、終り、よし、小隊長は選拔兵を集めてくれ、ハイ第一小隊島田一等兵古川一等兵高野一等兵、K澤一等兵村田一等兵村上一等兵集れ、第二小隊北川一等兵、江下一等兵作江一等兵集れ、聲に應じてばら/\と居並ぶ諸士の勇しや、氣を付、番號、一、二、三、四五、六、七、八、九、集合終りました、よし扨て、九名者[めいのもの]に中隊長は一言す、只今旅團命令が降た、本中隊は正面の鐵條網を破壞し五條の突撃路を開くべき重大なる任務を受た、是本中隊の無上の光榮である、然し此作業は、尤困難である、されば今日迄多くの兵士は倒れ、様ざまの犠牲を拂つたが中々堅固の要害である、本隊は誓て此名譽ある任務を全[まつと]うし、目的を成就しなければならない、そこで爰に决死隊を募る、依て此决死隊に選拔せられたお前達は一命を賭して此任務を全ふしてくれい、ハイ、我々は决死の覺悟をもちまして、事に當ります、ヲヽよく言つてくれた、嬉しいぞツ、諸君が國家の爲に盡さんとする赤誠の精神に對し、松下大尉愈々感激にたへない畏れ多いことではあるが 大元帥陛下に置かせられては此忠誠を聞し召さば嘸や至情の發露ぞと御嘉納あらせらるゝ事であらふ、皆わかつたか、ハイ、わかりましたと意氣冲天の勇士の言葉ヲヽ勇ましい天晴だ、と口には言へど心には御國の爲とは言ながらあたら勇士を戰塲の土と化するか、哀やと怯む心を取直し、氣を付け、只今より、擧手の禮を以て袂別にかへる、敬禮、互に擧手の一禮はこれぞ此世の名殘りぞと別れてこそは進み行く。
 時の至るを三人が月の光りをあびながら、語るも清き、戰友の胸の内こそ由々しけれ、作江伊之助こなたを見やり、アヽ月はます/\冴えてゐるナア、オイ北川なにをぼんやり考へてゐるのだ、何か國の事でも思出したのか、ナニそうじやないよ、おれはひそかに謀事をめぐらしてゐる、とでもいふのかな、兎に角考へてゐるんだ、ナニ謀事ハヽヽヽヽ考へもくそもあるものか、此塲合手段はたつた一つしかないのだ、貴様の手段てのは大底見當がついてるよ、負ず嫌いの貴様の事だから、鐵條網へ喰ひつかふとでも言ふんぢやろ、狼じやなか、よせやい、アハヽヽ互ひに通ずる心と心、オイ江下ゐるかと言ひつゝ來る内田伍長ハツ江下居ります、お前國から、郵便が來てゐるぞ、お前ばかりうまくしてゐるナア、貴様も昨日來てたじやないか、そふだつたナア併しお前達選拔にあつてよかつたな、中隊長殿の御訓示もあつたが皆しつかりやつてくれよ、中隊長殿の處へもふ一度來るだらう、其時又逢はふ、待てゐるぞ、と言捨てこそ急ぎ行く、江下手紙取上れば、オイ江下どこから來たんだお父さんからか、イヤ家からじやないよ、何處かの子供からだ、では慰問の手紙か、アヽコレハ此間日本を立つ時久留米の停車塲で逢つた少年からの手紙だ、フム、ではお前に天子様の爲に働いて下さいといふ、激勵の言葉を與へてくれたと言つて、スツカリ昂奮して居たアノ小學生からの手紙なのか、おれはアノ少年の一言の爲にいつでも死ぬる氣になつて、愉快に日本を出て來る事が出來たんだ、モウすぐ死るかもわからないが、こふして呑氣にしてゐられるのは、矢張りアノ少年の力なんだ、マア見てくれよ、こんな事が書いてあるよ、私の大事な兵隊さん、あなたは立派な手柄をして、久留米へ歸て來る日を私は毎日指を折てまつて居りますよ、あなたの凱旋の時には家中お父さんもお母さんも兄さんも妹もみんなで迎へに行きます私の大事な/\兵隊さん、本當に天子様の爲めに働いて死ないで歸て來て下さい、アヽ可愛い事をかくもんだナア、他ゆ人でさへこんなだもの、北川、江下に貰い泣きはいゝが江下が死んだらお前も死ぬか、江下が死なくたつて、どうせ死ぬんじやないか、ウム、そふだ、アノ鐵條網と來たら今まで誰も手がつけられなかつたんだからな、一寸でも傍へよればソクボウ砲や爆撃砲であびせかけられるんだから、どうせのがれつこはないんだ、そふだ、破壊筒をかつぎ込んだところで、口火をつける前にみんなやられて仕廻んだからな、今度こそは此我々の最後の働きが日本軍隊の運命に關するんだから、しつかりやらなくつちやいけんぞツ、ムヽさつきお前が言つた謀事と言つたのは其手段を考へてゐたのか、俺も先刻から决心してゐるんだ、决心ならおれだつてしてゐるだ、それなら三人共同じ事を考へてるんだな、そふだ、じや破壊筒を自分の體へくゝりつけて體と一緒に爆破させる考へなんだナウム此方法が一番上策なんだ、からナ、上策の下策のといつてコレが日本軍隊に取てたつた一つの名策なんだ、自分自身が爆裂彈と一緒に敵の鐵條網へ飛込まふといふんだ、是程慥な爆發の方法はないからナ、やろか、やらふ、しつかりやらふぜ、日本帝國の爲だ、作江、江下、北川、サコレデお互の一生の別れだ、水盃といふ處だがどうせ火に燒かれて死ぬ體だ、一つ煙草の呑廻しといふのはどふだらうナ、成程、こいつは面白い、デハ作江お前から呑み初めろよ、じやおれから呑むとしよふよし來た、煙りはうすき紫の其あかうばふ譽れの火互ひに目と目心と心併しこうして死を决して見ると存外氣が樂になるもんだナア、おれア是から芝居でも見に行く様なほがらかな氣がしてゐるんだよ、おれだつてそふだこうなると何だか呑氣になれたよ、併しうまく鐵條網に近付ければいいがそこが天祐だ、此三人の意氣で彼奴等をめくらにして見せらアオイソーラ見ろ、雲が出て來たぜ、月が隱れてくれりやいゝがナア、フムアノ雲の具合じや、大丈夫だ、ハヽア、いゝ月だナア、十七日の月だ、アレを見ると思ひ出さずにやゐられねヱナ、國のお母さんに別れた晩の事か、作江アノ晩の貴様の話を聞た時、おれは貰ひ泣をしたよ、お前のお父さんは日露戰爭のとき輜重輸卒だつたので、勲章一つ貰はずに歸つて來たといつてお母さんは一緒になつて口惜しがつてゐたそうだな、今度こそは此事を聞たらお前のお母さんも泣て嬉しがるだらう、ムヽ子供の時から始終言はれてゐたんだ、立派な軍人になつて國家の爲に働いてくれつて、其時が今恰度やつて來たんだ、おれはそれを思ふと北川、江下、俺も嬉しいよ、しつかりしろよサモウ時間も迫つて來たから、そろ/\仕度をしなければなるまい、フム中隊長殿に此計畫を報告して行かなければいけないだらふ、サアアノ人情深い中隊長殿の事だから、いくら决死隊とは言へ、始めから死でかゝる様な無茶な事に許さないかも知れないそ、それもそうだ謀事は密なるを何とか言ふ事があるだらふ、仲間にも默つて別れた方が一層サバ/\してよかばい、成程それもそふだナ、男らしくて、其方がいゝや、サア是で此世に思ひ殘す事はない、ではボツ/\出掛けよふぜ折しもきこゆる機關銃、三士は耳を傾けて、ヲヽ先發班が出發したぞ、爆發せんじやないか、不發らしいぞ、オウ後續班も出發したぞ、やられたらしいな、フム味方は慥かに仕損じたぞ、あきれて暫し言葉なし、馬田軍曹かけ來りオ、イ殘念だ先發班後續班も全滅したぞ、殘るはお前達ばかりだ右翼は危機に瀕してゐる、大日本帝國の爲だョむぞ/\/\言捨てゝこそ急ぎ行く、サ愈々やるのだ、見ろ月が隱れたぞ、天祐だ〆たぞ有難い/\/\三人目と目を見合はせて、心の覺悟御國の爲、身は肉彈の三勇士流石は櫻大和の誇り其花またぬ勇士と勇士互ひに抱き月影も雲にかくれて打出す砲彈の響き轟きて廟行鎭の要害は蜘蛛手と張りし鐵條網近づく事もならの葉の此手かの手も盡果てゝ策をほどこすすべもなし、折しも忍ぶ三人の影、破壊筒をひんだかへ亂射亂撃ものかはと、探照燈の光りをさけ、鐵條網にせまり行く、天祐だぞ、オイ、點火だ/\よし來た 天皇陛下萬歳大日本帝國萬歳/\の聲もろとも、天地もゆるがす大爆音さ、しもほこりし堅壘も破れて爰に突撃路、
夜は明はなれ東天に輝き昇る日の御旗下元少將しづ/\と隊伍とゝのへ立出る、氣を付けつ、松下大尉の報告を委しく聞いて旅團長あまたゝび打うなづき扨は北川江下作江の三勇士の爲に堅固の鐵條網も破壊され突撃路は開かれ容易に我軍の勝利になつたるも、皆是三勇士の賜物じや、爰に下元旅團長以下戰友一同謹んで三士の英靈に氣を付け捧げ銃、(これより軍歌合唱)
肉彈こゝに奏功の譽れを世々に傳ふらん。
 
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昭和一五年頃は『三勇士名誉肉弾』を、栄三、文五郎、紋十郎、三人の親玉がやってました。『海国日本魂』だとか、ああいう一連のものは何ぼ下手でもいいんですよ。いまだったらあほらしくてできんものでも、その当時はそんなにくだらんとは思わなかった。世情はそうなっているわけですから。 (吉永孝雄の私説 昭和の文楽 p14)  
 
なお、児玉竜一『翻刻「三勇士名誉肉弾」』、『歌舞伎 研究と批評』24 pp70-75 1999.12 がある。