◎ 素人義太夫短評  花菱漁夫

(東京浄瑠璃雑誌 2巻2号)

       

○ 団合連[十月十五日於外神田福田屋]

団合連(だんがふれん)は、豊沢団八の連衆(れんしう)にて、当夜露払(つゆはらひ)として其の内弟子(うちでし)なる時子先づ語(かた)り、次に蝶子語りたり、二嬢(ぢやう)共に後来(こうらい)有望(いうばう)なれども、連外(れんぐわい)なれば評(へう)せず。さて番組(ばんぐみ)は、近八(南海)五斗(住江)沼津(壽山)酒屋(壽鶴)伊賀八(一力)にて、愚評(ぐへう)左の如し。

 近八(南海) 諺(ことざざ)に、近江(あふみ)の八か、伊賀(いが)八かといふ位の代物(しろもの)にて、府下各席(かくせき)に於ける太夫の出し物にも、遂(つい)に見当(みあた)らず。僅(わつ)かに先年故綾翁が、新声館の人形に語りたる外は、女太夫の故鶴沢花友が語れるのを聞きしのみ。さる六(むつ)かしきものを、何(なん)の苦(く)もなく語りこなされたるは、後生(こうせい)(おそ)るべし。
 五斗(住江) 丈が得意(とくい)の語物にて、善(よ)く綾翁の模型(かた)を学(まな)び得られたり。生酔(なまゑひ)の処、今一段呂律(ろれつ)の遣(つか)い方、工夫(くふう)して貰(もら)ひたしとは、聴衆(きゝて)の欲なるべし。要するに首尾(しゆび)貫通(くわんつう)して、大に聴衆に満足(まんぞく)を与へられたり。
 沼津(壽山) 外神田の名物(めいぶつ)たる丈は、例(れい)に依(よつ)て例の如く、何の臆面(おくめん)もなく、易々(やす/\)と丸(まる)こかし語(かた)りをへたり。殊に丈は、足早(あしはや)きを以て、聴衆(きゝて)を倦(う)ましむることなく、喝采(かつさい)の中に舞台(ぶたい)を下(お)りたるは、大出来(おほでき)/\。
 酒屋(壽鶴) 丈は故綾翁が高足(かうそく)にて、語物(かたりもの)の大小を論ぜず、渋(しぶ)いもの、艶(つや)のもの、何でも来(こ)いといふ見識(けんしき)は、流石(さすが)に大達物(おほだてもの)たる資格(しかく)を失(うしな)はずさて宗岸と半兵衛との問答(もんたふ)より、奥の書置(かきおき)に至るまで、情あり色ありて申分なし。只サワリと歌とを彼此(かれこれ)いふ聴衆(きゝて)もありしが、此は朝(あさ)や伊達(だて)の色(いろツ)ぽい、狂人(きちがひ)じみたお園を聞き慣れて、真(しん)に愁(うれへ)に沈(しづ)むお園の情合(じやうあひ)を知らねばなり。綾翁の価直(ねうち)は、此の前受(まへうけ)の悪(わる)き処にあり。真の浄瑠璃を聞く者、その味(あぢ)ひを知らむ。
 伊賀八(一力) 「既に其夜も」の一句を聞いて、全段(ぜんだん)の価直(ねうち)と、丈が貫目(くわんめ)とは定(さだ)まりぬ。捕手(とりて)の間の呼吸(こきふ)、対面(たいめん)の間の声気(せいき)、共に申分なし。彼の「来いと云たとて」の繰糸(いとつむぎ)の歌に至りては、綾翁以後聞かざる所、此歌のみにても、当夜のドツサリとしての価値(かちよく)充分(じうぶん)なりき。

◎素人義太夫大集会 (十月二十一日於神田松本亭)
             白眼居士
 かつら(又助) 丈が得意(とくい)の語(かた)り物(もの)なれば悪(わる)かろう筈(はづ)なけれど今一息(いき)と思(おも)ひしは又助の手負後(ておひご)の詞(ことば)なりし
 美家古(沼津) 平作、重兵衞、お米共(とも)(たしか)に語り分(わ)けられたるは大手柄(おほてがら)と云ふべし当夜(そのよ)丈は腹(はら)がうすかりし故(ゆゑ)(そ)れたけが玉(たま)にきず
 美喜(本蔵) 丈は近頃(ちかごろ)メキ/\と芸(げい)が上(あ)がつた去(さ)れぱ本段(これ)なども余程(よほど)巧者(こうしや)に語(かた)られた奥庭(おくには)に至(いた)りて主従(しうじう)訣別(けつべつ)の情合(じやうあひ)など感服(かんぷく)の外(ほか)なし
 松葉(廿四孝) 流石(さすが)新兵衞師の稽古(けいこ)だけ有(あ)つて沈着(をちつい)て語(かた)られたは感心(かんしん)勝頼、八重垣姫、申分なし、ぬれ衣は今一息(いき)で有(あ)つた謙信も、先(まづ)(よ)し何(なに)にもせよ斯道(このみち)に取りて未(いま)だ半年(はんとし)にして此位(このくらゐ)にこなさるゝは後来(こうらい)有望(いうぼう)なり
 糸雀(油屋) 其夜(そのよ)のドツサリとして大出来(でき)なりしが前号(まへ)に本段(ほんだん)は評(ひやう)したれば次号(つぎ)には他の語(かた)り物(もの)に付て記(しる)すべし

◎鶴沢鬼若さらへ (十月二十九日於淺草植木屋)
             三拍樵者
 君子 鬼若(柳) 未(いま)だ七歳位(くらゐ)の小女(こども)にして中々旨(うま)ひもので有つた節廻(ふしまは)しなど軽妙(けいみやう)なりし
 鬼笑 鬼若(新口) 丈は床(ゆか)に馴(な)れぬと見えて浮雲(あぶな)げに稽古(けいこ)の通(とほ)りを熱心(ねつしん)に語(かた)られたが今(いま)一層(そう)勉強(べんきやう)して巧者(こうしや)が付たら遖(あつぱ)れの語(かた)り人(て)に成(な)るで有らう
 都昇 鬼若(合邦) 「深(しん)たる夜の道」の巻頭(くわんとう)厳粛(げんしく)に合邦、及老母(らうぼ)の詞(ことば)大出来「芦(あし)の浦(うら)々」のサワリは喝采(かつさい)であつた「納戸(なんど)へ」にて拍子木(ひやうしぎ)は惜(をし)むべし
 くらく才三(宿屋) 丈は音声(えんせい)(び)にして節曲(ふしまはし)も能(よ)く先(ま)づ若手(わかて)にしては非凡(ひぼん)の上出来(でき)なり去れど一寸申度きは人形(にんぎやう)の位置(いち)にて総(すべ)て岩代の詞など右へ向(むか)つて発音(いは)ざれば岩代の位置(いち)を失(うし)ふ道理(だうり)なり御注意(ちうい)(まで)の老婆心(らうばしん)
 政子才三(日吉三) 此嬢(じやう)(こゑ)のフツキラざる為(た)めか自分(じぶん)の思(おも)ふ様(やう)に語(かた)られぬ様子(やうす)であつたが五良助の詞(ことば)も充分(じうぶん)サワリも旨(うま)いもので感服(かんぷく)/\
 花蝶 助三郎(柳) 浅草で屈指(くつし)の一人だけ本段(ほんたん)も非凡(ひぼん)の出来「必(かなら)ず草木(さうもく)成仏(じやうぶつ)とを」の辺(あた)りの節(ふし)(まわし)(こと)に能く平太良の「さればでござり升」よりの俄(にわ)か盲目(めくら)の調子(てうし)(たしか)に其人を写(うつ)し出したり木遣(きや)りは一通(とほ)りなりし
 和十 豊次良(橋供養) 全段(ぜんだん)とも鎗(やり)の入(い)れ場無(な)く聴着(きゝて)の静粛(せいしく)なるは流石(さすが)に親玉(をやたま)の親玉たる所(ところ)なり後(ご)日再聴(さいちやう)の上評(ひやう)せん

◎五睦連さらへ (十一月五 於外神田福田屋)

 如誠 燕作(又助) 予(よ)の福田屋へ参着(さんちやく)せしは六時半なりしが最早(もはや)丈は段切(だんぎり)にて場内(じやうない)大拍手(だいはくしゆ)で有つたが残念(ざんねん)ながら評(ひやう)は次(つ)ぎまで御預(あづか)
 和十 燕作(大文字や) 本段の如(ごと)きを容易(ようい)にヤツテノケらるゝは流石(さすが)なり栄三とお松及助右衞門の意中(いちう)など能(よ)く写(うつ)し出されたり醍醐節(ふし)は一工夫(くふう)ありたし
 和紫 豊次郎(恋十) 「おそばの衆(しゆう)に」より語出された扨(さ)で重の井は充分(じうぶん)与作は今一息(いき)で有つた「坂(さか)はてる/\の」歌(うた)は歎(なげ)きを含(ふく)んで申分が無かつた
 和声 燕作(堀川) 先づ二上りは清艶(せいゑん)に荘重(さうちやう)に美声(びせい)の丈の事(こと)とて申分なし母の物案(ものあん)じ与次郎が臆病(をくびやう)の具合(ぐあひ)も先づ一通(とを)り「そりや聞(きこ)えませぬ伝兵衛さん」以下のサワリに至(いた)りては節曲(せつきよく)流暢(りうちやう)
して巧妙(こうみやう)と云ふべし
 孝玉 豊次郎(瓢箪棚) 丈が当夜(たうや)の語り物は余(あま)り素人耳(しろうとみゝ)には聞(きゝ)なれぬ物(もの)(ゆゑ)聴者(きゝて)はかへつて静(しづか)なるし予(よ)は女義(たれ)の団昇及び他(た)に両(りやう)三回(くわい)(みゝ)にせしが其夜(そのよ)の出来はおそのの詞(ことば)も先づ可(よ)く殊(こと)に友平が闇腹(やみはら)の思想(しそう)に於(おい)ては大出来なりし

(2006.08.19掲載)
提供者:ね太郎