当時師匠のお稽古場は、北堀江の御本宅の裏手のお家と、北区淀屋小路西の常吉楚雀様お宅(俗に北の稽古場)との二ヶ所でした。私はこの北のお稽古場へいつもお邪魔をいたし、芸道に付ていろ/\のお話やら、又、お大事の本などを拝借し何かと親切に御指導下されました。尤も私は直接御稽古は受けませんでしたが、御連中の一宝様の合三味であった関係から、絶えず教へを賜つた次第です。このお稽古場へは当時の素人の大頭株が、皆々こぞつて稽古に見えますから、私は其お稽古を拝聴するのが何よりの楽しみで毎々/\通ひました。さて其お稽古ぷりは真にせまつて息もつがれず、覚える事も朱を入れる事もトンと忘れて、アヽしもうたと思ふのも毎度でした。その頃の御連中で最も有名であつた方々は、一俵、閑多、三水、鱗風、一声、一宝、かつら、半笑・蟻洞、高麗五、柳平、寿鶴、一秀軒、紅雀、寿の皆さんでしたが既に故人となられました。現在尚ほ御健在の方は十指を屈するほどでありませう。
それで、斯うした大家の方々のお稽古を拝聴して居ますうちに、師匠の教へられたお言葉や、所謂弥太夫式とでも申す一派特種の語りぶりや、音使ひの妙所や、感に堪えぬ言ひ廻しや、口伝、秘訣とでも申すやうな事どもを、至らぬながらも愚な頭へ覚え込みましたあらましを、左に申述ぺたいと思ひます。
芸題は沢山にありますが、茲には、伊賀八、橋本、道明寺、大文字屋、鎌腹、紙治茶屋、岩井風呂、腰越状、どんぶりこの九曲に付て申上げます。
伊賀越 岡崎の段
政右衛門が捕手に囲まれ『ヤア仔細も言はず理不尽に縄かゝるべき覚えはない、と言はせも果てず』の、詞から地に移る呼吸の巧さは何とも云へず。『ゐのころ投げ』『三番手』の力強さ。『チツとも恐れぬ丈夫の振舞』に豪勇政右衛門の性根を現はす。幸兵衛と政右衛門との掛合言葉も面白く『不届至極』と叱り付ける意気など、一寸真似手はありますまい。
政右衛門が急ぎ立去らうとするくだりは、長門流で足取り早く、為めに文意が活きて来る。『然らば』が早口で意味があり、ヂヤンの三味線が普通なのをツントンとし、打通れぱの意気が、少しも油断を見せぬ緊張味で充溢してゐます。『ムヽ、ム、ヲヽ其詞で思ひ出いた』と十八番の笑ひ、その笑ひの終りを休まず直ぐに次の文句を続ける面白さ、『コレハ』で大笑ひになるまで、寸分のイキを抜かず。『かき立て/\打眺め』の遠州行燈のあたりは、師弟の情愛涙ぐましいばかり。『心頼みに思ふうち』の『心』に未熟を恥ぢた気持を充分に持たせ、『便りなければ』の『便り』は普通と違ふて下から出る。婆が奥から出て『ヲヽ庄太郎かテモ成人しやつたの』は、おとなしい人の好いお婆さん其人を見るやうで、こんな所で師匠はいつも聴衆を敬服させてしまいなさる。役場から迎ひに来ると『ハア又関破りの詮議云々』のハアに、アヽ面倒いと云ふ思ひ入、こうした風に一字一句に、一々文章を活かす師の尊い工夫が磨かれてゐます。
幸兵衛が女房に、怪しいつゞらをそれとなしに注意するくだり、『心におろした錠前、ナ、合点か、と詞の謎、聞く女房も解けやらぬ』のうち、『聞く女房も』で三味線ツヽンとぼける、ちよつと考へてから『解けやらぬ』と疑問の言ひ廻しは絶妙でした、そして幸兵衛の出て行くところ、強く大きく語られて印象に残された。と、忽ち一転して『戻らしやるまで寝られもせまい』以下の婆の情味のなごやかさ、実に変化の妙を極めたものでした。更に再転してお谷の出の『外は音せで』になりますが、外は(ハル節)を下から出るのが弥太夫風(西風)です。夜廻りが『ヤイ/\/\軒下に…』大概は上で云ふが、師匠のは下から出る、『よい女房一人寝さすは』や、『やせ畑のほうづき』の軽妙洒脱さ、師匠得意の所です。
お谷の述懐、これが総て声ではなくて腹から語り出されるから悲痛此上もなく、この悲痛の予感と云ふやうな気持を『今夜の暗さ』 のたつた一句の言ひ廻しで現はされた、『氷のやうな此肌で…敵を尋ね辛抱は、まだ/\こんな云々』のお谷の詞では三味線も泣き聴手も泣きました。『非人同然』以下の政右衛門の言葉は、パツ/\と飛ばして語り、『戸を引立て』を大きく利かす。お谷を呼び活けるところ、お谷、と切り、お谷ヤーイと下から呼びかける呼吸の巧いこと。幸兵衛帰り来る、『庭から足ふく下駄直す』こゝにも言ひ知れぬ師弟の情がハツキリと出る。
『大事の人質なぜ殺した』を受けて政右衛門の笑ひ頗る大きく、『一滴浮かむ涙の色……それと覚りしぞよ』の情愛、活殺自由の詞づかひで活き/\する。お谷が子の死骸にからんでの歎き、『夕 までも今朝までも』の口説きも、無い声で情を語り活かす弥太夫式の妙技。幸兵衛のシタリ黒星その通りの意気の心地よさ、娘お袖の尼姿を見た母親が、可哀や緑りの黒髪を、と云ふにかぶせて『アヽコレ申しモウ何んにも申しませぬ』の一語でスツカリ泣かせてしまひ、私などは涙が出て止りませんでした。段切の『まだお手の内は狂ひませぬ』の意気込から『やがて吉そう/\』の尻晴れの大きさは、いかにも伊賀八の貫禄が充分に見えました。
双蝶々 橋本の段
まくらの『思ひなくて藪入したき』の足取りが実に結構、お照のうぶらしさ、下女の軽さ、茲へ来る駕の甚兵衛と合棒の太助、それに与五郎がからんでの一問一答、此短文の間にも変化あつて面白く、人物が皆活きてゐます。与五郎の突ツころぱしも軽妙で『角にいの字で四角な長十郎』この長十郎を早口で縮めて云ふのが六つかしく、師匠は口さばきの好い人ゆゑ、スラ/\と早口で鮮やかに走つて云はれるから面白い。
お照の悋気『与五郎さん聞こえませぬ』もおぼこい気分が出てゐる、『わしや近付きになりもせう、が、父さんはどこで立つ』父さんは……の力ヽリの情味何とも云へず。吾妻も情あり渋い声の中にチラ/\と色気が出る、その詞尻の『そうぢやないか』は摂津大掾も斯う語られるが、師匠は『そぢやないか』と詰めて言はれる。『義理に恥入つて顔を得上げぬ』の思ひ入れの深い事。与五郎は又どこまでも苦労知らずのヅケ/\と、口捌きよく足取り早う語つて、対照の妙があります[。]『聟殿待ちやれ』の冶部右衛門の出が、いかにも実際の人が出て来てるやうに聞こえる、この人物の詞が又よい。与二兵衛の出『頼んませう』に其人らしい性質が見え、二人の思ひ/\の心が『見付けられてもさあらぬ風……』に変化の妙を見せる。与二兵衛の『息子どのの達者なに』に気持が現はれ、治部との対話は柔と剛、配合の妙、息もつげぬ面白さ。与次の『ナゼデエス/\』の妙、『さればさ』と受ける巧さ、『皆まで云やんナ』の勢ひの烈しさ、『イヤ人非人とは誰が事、わごりよの事さ、しかとさうか』の争論、武士と町人、言葉使ひの巧さ、一語々々と緊張する意気合、写実の絶妙とも云ひますか、聞きながら胸がハラ/\します。
争ひを止めに入る駕の甚兵衛、『ドツコイナ』の止め詞に息き杖で刀を抑へる動作が聞けます、『アヽ尤もぢや/\』これも刀を上げかけるのを抑へ付けて云ふやうに聞こえます、不思議なものです。やかましい『薮から棒』は『薮』をヤ声で、『子故に言葉廻り縁……』の文は素読でなく情を専ら語られました。
甚兵衛が吾妻を見て『お豊、テモマア大きうなりやつたの』の巧いこと、この情のある言ひ廻しは、私共の仲間では皆が真似したものです、 『言へど不思議は晴れぬ顔』の一句にさへ真実味を忘れず。一番の語り所、甚兵衛の意見は、一語一句皆血と肉のかたまりです、師匠得意の独り舞台です。『聞いて居た此甚兵衛、じゆつない(力を入れる)と気の毒な(気をぬく)と、悲しいと腹の立つ……』とこの詞に四情を語り分ける腕前、否、練り上げられた言ひ廻しの巧妙さ、『四文が糊を棒に振た』軽妙な中に皆を泣かせてしまふ。『ハイ頼みます』ハイは駕屋の癖言葉、それが自然に出るやうに語られ、『七生も八升も一斗までの勘当ぢや……えい人ぢや思ひ切れ、切れ/\』など、只々妙と云ふの外はありません。
菅原 道明寺の段
最初の『早刻限ぞと御膳のこしらへ』の重々しい力の入つた語りぷり、なか/\骨が折れるマクラぢやと師匠は言はれた、奴宅内の軽いことは云ふ迄もなく専売物、覚寿は前後にないと定評のある国宝物、上品でねばりのあるシツカリした人柄に成り切つてゐます。宅内が『これはお旦那無理おつしやる……池が血へ流れ込だ』のあたり面白くて堪えられぬほどです。太郎と覚寿の対話は変化に富んで息も継がれず、『刀引提げ立寄る宿弥、イヤ是れ聟殿』の一語、干鈞の重みがある。遂に太郎が肋を刺し貫く、『身どもに何の科あつて、老ぽれめが』と突つかゝつて来るのを受けて『覚えないとは云はさぬ/\』で大喝采、岸松館の掛合の時、皆を飛ばしてしまうたそうです。それからの詞の激しさ、鋭さ、熱と力の叩き打ちで『母が娘へ手向の刀、肝先へ、こ、た、え、たか』と一語々々刻んでの言ひ廻しの功さ、腹の底までグリ/\とゑぐるやうに聞こえる。掛合で太郎をやった組太夫師(荒物では天下一と云はれた人)も、真に腹を掻き廻された気がしたと感心されたも無理はないと思ひます。そして『大の男を仕とめる老母、さすがに河内郡領の……』結びは、大きいとも何とも申しやうのない立派さです。而かも充分にねばつて語られ、次の『やゝ時移れば判官輝国』から、ほつて語られるといふ運び方。それ故、浄瑠璃に変化が出来、面白う興が乗つて行くのでせう。
『ヤア/\判官先づ待たれよ、菅丞相は是にありと一間より出で給ふ』を、一口に続ける皮肉、これが甚だ六つかしい。偽迎ひの出になり『コレ/\伯母御』以下、覚寿との受け答への面白さ、偽迎ひの軽妙さ。『アヽわしが手に懸けた』と覚寿の落着き加減から『とぼけさしやんなあいやけ殿』の詞の巧いこと/\。『どちらがどうぢや輝国殿目利きなされて下され』と輿と奥との二人の丞相に、驚き迷ふ覚寿の心持が軽く慌しう現はされる。
菅丞相は品位高く『輝国の迎ひ遅参ゆゑ、まどろむ共なく……』にその尊い面影が見えるやうです。『憎い乍らも不便な死ざま……孫は得見いで憂き目を見る』から『菅丞相も唱名の声も涙に回向ある』のあたりは、とり分けて腹で語られる為めか、身うちがゾツとする程の哀れさが感ぜられます、誰れもが同じやうに語るのですが、師匠のだけは奇妙に身にしみ/\するのでした。
菅丞相の詞のうち、普通は『金岡が書いたる馬は、夜な/\出でて』と語るが、師匠のは『出でて』を『んでて』と言はれる、これは六代目染太夫さんの風だとあります。また『萩の戸の萩を食ひ』を、『くうーひ』と語つてゐられた。尚ほ、後室(コウシツ)のシツのツを詰めて云ふのは忌むべき事であると、長門太夫師が口伝されと、師のお話があつた。
『仰は外に荒木の天神、河内の士師村道明寺に残る威徳ぞありがたき』の重々しく大きく強いこと耳にピユーンと響いたのを忘れる事はできません。『あの声は子鳥の音』アノ声はウレイで行き『子鳥が鳴けば親鳥も』の親鳥から泣いてかゝる、ハコビに工夫の苦心が見えます。
段切は別して力を籠めて語られ、真に活殺自在、変化自在と申しますか『生けるが如き御姿こゝに残れる物語』を殆ど一と息に語り続ける、殊に『残れる物語』の大きいこと、非力小音のお方とはどうしても思はれません。これと云ひ伊賀八と云ひ、ひとり世話物の名人ばかりでなく、時代物にもこうした至芸を残してゐられます。
紙子仕立 大文字屋の段
初めに顔を出す手代の忠兵衛、ホンの一口の詞ですが、いかにも言ひにくそう、気の毒さの気分に充ち/\してゐます、『気の毒そうにしよげ/\と猫に追はれた忠兵衛は』首をすくめて鼠のやうに、チヨコ/\急いで帰る手代の姿が目に見えるやうです。誰れもがめつたに注意せぬやうな端役を、生き/\と活かすことは弥太夫師だけの専売特許です。
『お松と言へど色変る顔は辛苦に面痩せて』お松の出の哀れさ気の毒さが身にしみます。例の『目には一ぱい涙を持ち、わたしが燗して注ぐ酒を……』燗してを高く言はれるが言ひしれぬ情があります。とり分け『証拠に貰ふたコレ此櫛』の間の情味と云つたら、美声の人の持つてゐない深みがあります。
栄三の人物は、実際その時代の人其まゝに目先きに現はれてゐるやうに、写実的な語り方で、その言葉でも、語らずにたゞ地で言ふて居られるので、そこに自然な真実さが出て来ます、それ故どうしても朱に取れない訳です。あの長い詞に 変化があり、所々に小ヤマを作つて倦まさぬ細心の工夫が見へ、『ヲヽ吃驚する筈ぢや』の調子の良さ、『こゝは一番してみものぢや、聞き分けた』の六つかしい言ひ廻しもスラリと片づけ、『世話して下さる深切さ』を内へ詰めて引き締めて言ふ老巧さなど、数へ立てれば限りがありません。
『アヽイヤモー』の母親の出は、これもやはり人形ではなく生きた人間に成り切つてゐます、慈愛深い詞に泣かされぬ者もない。『お松のよう合点して居るさかい、一つも悲しい事はない』から『オヽ道理ぢや御尤もぢや……』のあたりの巧いこと、果は三人−−母、お松、栄三−−それ/\の泣き分けの節落しなど、忘れられません。
助石衛門がやつて来て、一層真世話語りの名人ぷりがハツキリと分つてきます。『エイ、なんの/\』の初一言からして味があり、『今夜切りに縁切つてサツパリと戻します』を受けて『アヽヽ定めて不足もあらうけれど』と取るイキの妙、『わるい浮名も立たぬ道理、アヽヽコウ/\/\かみさん/\』の呼吸の旨さ、『もしそう成つたらヤクタイコクタイ』に力を入れて面白く聞かせ、『サ、相手のない若い嫁』『サ』に千万無量の心を利かせる用意のよさ、『麁相云ふまい/\、ソリヤ去状』と収める意気合、『色も香もある梅干親爺辛う見えても粋なりけり』の粋を、スウと吸ふて語る技巧、『泣きにいぬると、哀れなり』の節尻さへ、決して粗略に扱はずシンミリと丁寧に語られます。栄三が『送つて参りませう』から『手早にともす小提灯』の変り目、そんな所には弥太夫風の軽妙さがチラ/\と顔を出します。
『往来も暫しとだへて』から光景が一変して、 評判の題号のくだりになり、 万人が待ちこがれた師匠得意のチヤリ場となります。 題号を唱へながら家の様子を探る伝九郎の動作が『申すも愚や祖師日蓮大菩薩……』の題号の言ひ廻しの中に活躍します、面白いこと此上なしです。『内よりくゞりソツと明け、伝九郎、来てか』低い声で云ふ、『約束の金……大きな声すない』の二人の対応ぶりの洒脱滑稽、吹き出したうなります。『お松さん/\』と写実で呼び『何心なく出て来るを』の地合に移る、そこに虚実の妙が窺はれます。
これは三味線に就ての話ですが、普通では、題号のくだりでジヤ/\ンジヤンと弾くのですが、師匠のはチリヽン、シヤン/\と弾くやうになつてゐます。それでは其後の文の『りんはなけれど冴え返る』のりんとチリヽンが重さなるやうに思ふたので尋ねて見ると、師匠は、本来はジヤ/\ンではあるが、 それは松屋清七さんも五代目吉兵衛さんも、やはり此の通りであるが、多く調子をいなすやうな事があるので、ワザとチリヽンと改めたのである……との話でした。これで見ても、いかに師匠が三味線の方面にも心懸け深く、常に研究をしてゐらるゝかゞわかります、しかも能く従来の弾き方をも知つた上で、方便として新しい方法を案出されたといふ事は、更に敬服すべき御用意だと存じます。
増補 義士伝 鎌腹の段
初めの弥作の言葉『弟が段々の話を聞けば……』の憐れさ、人の好い正直者が第一に現はれてゐますので、誰れもが最初から参つてしまいます。七太夫のよろしい事は勿論ですが、弥作との対話など、芝居以上の面白さがあります、『コリヤ一と思案の、ムヽ、ソレヨ』の意気、無類です。
女房お早の『杖柱と思ふてゐるお前に若しも……わしや何とせうどうならう』は情味が溢れ心持がよく出てゐます、『こちの人』も三味に放れて言はれます。与五郎との詰合から『江戸川立の入訳を、サア是非なう言ふたわいの』が巧い、駈け出す与五郎に縋り付き『待てくれ/\……言やせぬ/\』は血を吐くやうな意気込。『兄ぢや人、お詞に背くと云ひ、段々と御苦労……』の与五郎の泣きが絶妙でした。
『間もあらせず七太夫』の出は、一ぱいに大きく、それから以下の面白さ、二人の意気は全くの真剣さ、火の出るやうな意気は説明も出来ません。七太夫が走せ去つた後の『弥作今は絶体絶命、傍なる鉄砲追取て、手早に込だる玉薬……ふすぽり返へつて死してけり、ワアヽヽモウかなはぬ/\』まで、長文句を畳みかけて、三味もくそも捨てゝ語る、その意気、その熱、こゝに師匠の生命があるのです。
紙治 河庄の段
『天満に年ふる』治兵衛の出から『あせり泣き』まで絶妙、名人の芝居を見るやうです。殊に『アノマア痩せたことわいナ』が図ぬけてよい。孫右衛門は師匠その人が孫右か、孫右が師匠かと思はれるほど、ピツタリとした適り役、小春との話合も手に入つたもの。『ぞめき戻り』の善六太兵衛は言ふ迄もなく弥太夫畑のもの、馬鹿に面白う語られます。
孫衛門の『動き居るまい、うぬ』を時代で、『うせう』が世話に変る。治兵衛の『あやまつた/\あやまりました兄者人』のあたりの意気込、『後悔千万でござります』を逼つて言ふ技巧、『そつち寄つてゐや、ハイ、ハイ』ととぼける呼吸合は何とも云へず、『腹が立つやらおかしいやら……涙がこぼれる、アハ……』を、余り笑はず、二つか三つしか笑はぬが、却て余情があつて利きが大きい。段切『孫右衛門に制せられハア……ハツと計りに泣別れ』から『帰る』を、ぼけて語られるところに何とも云へぬ妙味があつた。
宿無団七 岩井風呂の段
これは殆ど他に語り人のない師匠独特の物で、口捌きのよい、軽妙な技巧の人でないとこなし切れない浄瑠璃です。
『久公来なさい、今の若い衆はかぼちやの蔓でヨ』 のぞめき唄は、天下一品です、これと並んで『戻りかゝつた久七が、ハイ吉野さん跡でござい』など、軽う可笑しう、聞いて腹を抱へぬ者はありますまい、この曲中で佐兵衛久七のチヤリ役が、なか/\活躍してをりますが、これらの端役を語り活かす人は、近年に師匠一人だつたと思ひます、私共は何度聞いても笑はずには居られませんでした。
お富の『歯をかみしめ/\』のあたりも、たゞ何の当て気もなく語られるのですが、肝に染んで聞こえます、毎度云ふ事ですが実に奇妙だと思ひます。『歯にきぬ着せず言ひ放す……』以下の口説きは、よく文章の意味を考へて文を語れ、乗つて語ると阿呆になる、と師匠の口伝です。
治助の意見は、師匠の白石揚屋宗六の意見と共に、他に沢山ある意見物の、最高の手本となるものでせう。『治助は奥、立つて行く』の段どり、節尻の工合の巧さ、皆が口真似したものです。茂兵衛の『涙片手の入れぷくろ……』や、『仰りますなお梶さん』の意気合ひ、段釦の『治助さんへよろしう仰つて下さりませ』など感服せぬ人はなかつたのです。
腰越状 泉三郎館の段
後藤の『エイ/\エイ目貫師なんでもせ』 からの酒に泥酔した言葉は、ちよつと真似手はありますまり。赤垣の酒の酔ひも師匠の十八番物であるが、それに御自分はズブの下戸であるのは奇妙です。『酒を止める気か……今夜はこゝで泊る』など、妙の又妙です。
娘が手負ひになつてからの『その上無体に去状書かせ……』のあたりは、真情溢れて今だに耳にこびりついて居ります。(以下略)
楠昔噺 砧拍子の段
師匠のどんぶりこのよろしい事は、世間の定評で今更申すまでもありませんが、殊に老夫婦が、義理と人情に言ひ争ふ意気の味ひは又格別にて、軽い朗らかな笑ひの中に、ズン/\聴衆を惹き入れて行くのです。『ヲヽ向ふへ、モウモそこへ』や『ヲーイ、待つてゐる/\』の思入れ、『ドツサリおろす柴よりも……』の言ひ廻し、『仙人が目を廻そうも知れぬ』あたりの軽妙さ、殊に二人の笑ひと来ては、たまつたものではありません。
中にも名高い『どんぶりこ/\』の間の呼吸の旨さ、アウンのイキの絶妙なのには驚く外はありませぬ。剃下げ奴は又別種の特色を持たせ、キヨトンとした所が面白く『そのあとは、皆だ/\』と言ひしぶつて投り出す気味合ひ、真に比類はありますまい、いかにも落武者らしい逃げ腰が見え透いて、まるで生きた漫画の感じです。
以上九種の語り物に就て、ザツといろ/\申上げましたが、こう話してゐるうちにも、そこへ師匠の面影−−質素な着物それも裾が合ふて居なかつたり襟が折れてゐたりしても頓着なく、袴前垂に、怪し気な真鍮プチの眼鏡をかけて、稽古を付けてゐられる温容が、スウーとそこへ、に見えるやうです。
(木谷正之助 五世 竹本弥太夫 芸の六十年 p181-197)