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【 竹本豊竹 音曲高名集 】
今世におこなハるゝ浄璃理といえる謡曲の起原は、天正の頃織田信長公に仕へたる小野の於通矢矧の長者か娘浄瑠理姫牛若丸に愛情したる事十二段に作りたるを、堺の瞽者角澤検校三味線にかけて音節をなし、是を浄瑠理といえり。扨又寛永巳来浄瑠理太夫といへる者世に数多有しか、今の儀太夫節にあらす。江戸鹿の子・江戸図鑑に見ゑし浄瑠理太夫ハ元禄の比有名の者、堺町土佐掾[土佐節祖]・葺屋町和泉太夫[いづミふしと云]・甚左衛門町江太戸半夫[江戸節祖]・元大坂町肥前太夫[肥前節祖]・呉服町虎屋永閑[永閑節一流の祖]其餘あまた見へたれとも、皆一家の音節なり。貞享の比難波に竹本儀太夫といへる者一家なし、同二年丑きさらき朔日道頓堀にはしめて操座に櫓を揚け、正徳のころ江戸に下り操坐に在りて新曲をかたり、門人も数多有て、後に豊竹と二流して専ら流行せしとかや。当時政太夫八十路の齢にて、其音声さハやかに、実に此道の巨擘なり。予幸ひに此時にあひ、政翁に随ひ、此座席をつとめ、折〃普く古事をも尋ね臆せしも稽古名理に協ふならむ。しかして元祖をはしめとしてその道に優なる人〃をあつめ、直に小冊となし後世へ残し、此道にあつきおちこちの人〃へ伝え侍らむとそ云爾。
文化三丙寅年
三味線
野澤重五郎
后ニ三代目改
野澤八兵衛
竹本儀太夫
浄瑠理の元祖ニして貞享二乙丑年二月朔日大坂道頓堀に始て操座の櫓を揚る。
戯題 愛染川
生涯の浄瑠理数多し。中にも末世まても評判したる浄るり戯題、
佐々木大鑑 三ノ切 自然居士同 蝉丸同
おはつ徳兵衛曾根崎心中 おふさ儀兵衛重井筒 反魂香相ノ山
おさん茂兵衛大経師 釼本地もくさや 嫗山姥三ノ切
天神記三ノ切 相摸入道三ノ切 娥哥かるた
後に受領して 竹本筑後掾藤原轉教と云。
正徳四甲午年九月十日卒、行年六拾四才。
法號 釈道喜ト云。
門人
豊竹若太夫 陸奥茂太夫
長嶋重太夫 二井彦太夫
多川源太夫 内匠理太夫
竹本難波太夫 豊竹万太夫
竹本喜代太夫 竹本頼母
若竹政太夫 竹本彦太夫
竹本文太夫
前名竹本采女云 豊竹若太夫
元禄十二己卯年三月十一日始て櫓を揚、後受領して
豊竹越前掾藤原重泰と云。
生涯評判受たる浄るり戯題、
東山殿子ノ日遊三ノ切 鎌倉三代記同 お千代半兵衛二股帯
大佛殿三ノ切 長柄人柱同 那須与市同
後藤三ノ切 苅萱同 和田合戦三ノ切
二ッ巴中ノ巻 同釜[前+火] 野中隠井長吉殺
粂仙人 三度目時頼記
時に延享二[三]寅年五月一世一代相勤隠居す。
宝暦十四申年九月十三日卒、行年八十四才。
門人
豊竹澤太夫 豊竹品太夫
豊竹要太夫 豊竹湊太夫
若竹政太夫事 二代目竹本儀太夫
後受領して 竹本播磨掾藤原喜教と云。
末世まて評判うけたる浄るり戯題、
国性爺三ノ切 大塔宮三ノ切 山崎与次兵衛
篠原合戦三ノ切 日本振袖三ノ切 三浦大助二ッ胴
博多小女郎 鬼一三ノ切 河内通三ノ切
兜軍記三ノ切 隅田川三ノ切 大友真鳥三ノ切
川中嶋三ノ切 応神天皇三ノ切 宵庚申八百ヤ
芦屋道満三ノ切 つゞれの錦土手 赤松円心三ノ切
御所桜三ノ切 小粟三ノ切 ひらかな三ノ切
薄ゆきはら切 厂かね矢法 児源氏三ノ切
大友真鳥三ノ切
延享元子年七月廿五日卒、行年五十四才。
法名 不聞院乾外孤雲ト云。
竹本頼母
此仁筑後掾芝居を勤名人ニ而国性爺九仙山度〃語られたり。
前名彦太夫 竹本大和太夫
播磨掾におとらぬ名人ニ而始終四ノ切語りなり。
生涯評判よろしき浄るり戯題、
日本振袖四ノ切 寿門松新町 宵庚申在所
川中嶋四ノ切 真鳥四ノ切 鬼一四ノ切
篠原合戦四ノ切 京土産 兜軍記琴責
前名沢太夫 豊竹和泉太夫
越前弟子ニ而竹本座を勤、両座の四ノ切語り名人。
芦屋狐別 赤松祈の段 御所桜四ノ切
磯馴松四ノ切 時頼記四ノ切 大佛殿四ノ切
長柄人柱四ノ切
前名品太夫 豊竹河内太夫
和泉におとらぬ名人ニ而四ノ切語。生涯評判よろしき戯題、
那須與市四ノ切 後藤四ノ切 和田合戦四ノ切
苅萱狐川四ノ切 釜ケ淵刀売 田村丸四ノ切
五厂金紺屋之場
始三輪太夫
内匠太夫 竹本大和掾
大隅太夫
豊竹座を勤、又竹本坐に戻り、播磨跡続となる。節語りの名人なり。評判よき浄るり、
ひらかな鐘場 うす雪心中 双蝶〃はしもと
恋女房十段目 役行者三ノ切 姪ケ小嶋三ノ切
安達三ノ切 あいご中ノ切鐘場
前名合羽伊太夫
美濃太夫 豊竹筑前掾
此太夫とも云
此人播磨の跡を勤名人なり。調子ひくきはしめ。生涯評判よろしき戯題、
富士見西行三ノ切 夏まつり八ッ目 楠三ノ切
菅原三ノ切 千本桜三ノ切 忠臣蔵九ッ目
橋供養三ノ切 八重霞若林や 物草三ノ切
玉藻前三ノ切 一ノ谷三ノ切 勲功記三ノ切
豊竹嶋太夫
スワウ丁平右エ門ト云
越前掾孫ニ而大立もの、美音也。生涯評判能浄るり戯題、
菅原四ノ切 橋供養四ノ切 八重霞新やしき
物草四ノ切 一ノ谷組打 同四ノ切
信仰記三ノ切 祇園女御三ノ切 岸の姫松三ノ切
二十四孝三ノ切 講釈八ッ目 出世七ッ目
二代目 竹本政太夫
サコバ十兵エ西口トモ云
此人始より播磨の名をうけ三ノ切語り。生涯評判佳なる浄るり戯題、
菅原二ノ切天拝山 千本桜二ノ切 おなじく狐
忠臣蔵四段目十段目 双蝶〃八ッ目 布引三ノ切
恋女房四ッ目 道風三ノ切 姫小まつ三ノ切
日高川三ノ切 菊水巻三ノ切 安達四ノ切
蘭奢侍三ノ切
豊竹駒太夫
此人高調子上手なり。生涯評判よき戯題、
苅萱二ノ切 和田合戦二ノ切 釜ケ淵硯のうミ
東かゞみ三ノ切 もの草二ノ切 一ノ谷二ノ切
信仰記四ノ切三ノ口 岸姫松四ノ切 番場忠太三ノ切
檀ノ浦琴責
前名和佐太夫 竹本錦太夫
錦武と云
此人異風なる声ニ而面白し、上手なり。生涯語りものゝうち評判の戯題、
釜ケ淵竹瓢たん 冨士見西行二ノ口 楠三ノ口
菅原伝授 千本桜序ノ切 忠臣蔵六ッ目
布引三人上戸 恋女房六ッ目 道風ホウリン
姫小まつ二ノ切 日高川二ノ切 菊水四ノ口
崇禅寺墓所
前名内匠太夫 竹本千賀太夫
大和掾の弟子ニ而事知り芸ごとかたりなり。
あいごのわかくら打ハ此人の節残れり。
竹本土佐太夫
久兵衛と云
此人至而名高し。併是ぞと云事なし。少しの内三代目政太夫となる。
竹本紋太夫
播磨掾弟子ニ而名高し。後受領して
竹本上総掾と成。
生涯名高き語りもの戯題、
薄ゆき清水の段 伊呂波縁記わしの段 出入の湊瓢たん丁
橋供養二ノ切 二ツ蝶〃米や 布引二ノ切
竹本春太夫
大和掾弟子ニ而評判よし、美音也。名高き語りもの戯題、
あいご道行 道風道行勘当 蛭ケ小鳴よろひ着せ
日高川三ノ切 道行 菊水巻二ノ切 安達ケ原二ノ切
花系図道行 妹脊山三ノ切 四ノ切 道行
豊竹鐘太夫
此人大音ニ而後に大立物と成。生涯語り物の内評判の戯題、
一の谷序ノ切 信仰記二ノ切 二十四孝狐火
忠臣講訳七ッ目 出世大功記九ッ目 近江源氏八ッ目
竹本染太夫
此人中興の上手ニ而新物面自く節を語られたり。生涯評判よろしき語りもの戯題、
日高川四ノ切 菊水序ノ切 安達原序ノ切
極彩色大川町 二十四孝二ノ切 忠臣講訳四ッ目
出世大功記四ッ目 同玉椿 妹脊山万歳 三ノ切
しわく七嶋三ノ切 伊賀越五ッ目中 六ツ目切 教興寺
お千代半兵衛八百屋
竹本岡太夫
此人三ケ津ニ而評判よく、生涯語り物宜敷評判の戯題、
蘭奢待四ノ切 袖かゞみ宗玄庵室 由良の湊[雞]
絹川堤羽生むら
竹本百合太夫
竹本文字太夫
二代目 竹本紋太夫
其名高しといへども二ノ切迄ゆかず。其比名人多き故か。
竹本喜代太夫
豊竹湊太夫
甘塩伊太夫
豊竹要太夫
竹本君太夫
此人歴〃なれども末世に残りたる戯題しれず。
前名時太夫
又八重太夫 豊竹此太夫
岩田町鑓屋佐吉と云
筑前掾弟子ニ而後に大坂堀江市ノ川へ芝居を建、新浄瑠理・古浄瑠理興行して世話語り上手立物也。時代物古人筑前之三ノ切不残語られたり。中ニも生涯評判よろしき戯題、
妹脊門松質や 恋飛脚新口村 合邦住家
出口隣同士 桂川帯や 三国無双三ノ切
木下蔭壬生村
前名中太夫 三代目 竹本政太夫
塩町はりまや理兵衛と云
二代政太夫弟子ニ而明和年中より文化年中の間三ノ切計語られ、立物上手なり。三ケ津評判よし。播广二代目政太夫場の三ノ切のミ語られ、中にも生涯評判宜敷浄るり戯題、
出世大功記本能寺 亀山噺在所 紙屋治兵衛
比良嶽三ノ切 彦山権現毛谷村
竹本住太夫
国根とも住吉屋文蔵とも云
二代目政太夫の弟子ニ而三ノ切語り。取分け江戸ニ而評判よし。別而能くかたりしハ、
伊賀越八ッ目 五大力三ノ切 四ノ切 かゞみ山七ッ目
花上野志渡寺 本町育いとや 孝行酒屋
豊竹麓太夫
大坂ニ而評判よし、立物ニ而名高し。別而生涯評判うけたる浄るり戯題、
三代記七ッ目 花襷四ッ目 大功記十段目
蝶花形八ッ目 出口四ツ目 木下蔭七ッ目
竹本綱太夫
シンラウシトモ云
三ケ津ニ而評判よく、別而生涯語り物の内名高き戯題、
妹脊山二ノ切 ふか七 秋津しま 近江源氏九ッ目
小いな半兵衛大津 古浄るり女ごの嶋二ノ切
前名倉太夫 二代目 竹本紋太夫
此村屋治兵衛と云
取分け江戸ニ而評判よく、中にも生涯の内評判の戯題、
白石噺五ッ目七ツ目 伊達競とうふや土ばし 花上野品川
増補紙屋治衛内の段
竹本組太夫
ウツボト云
大坂ニ而評判よろしく、新古とも浄るり語りし中に、
お染久松野崎村 古浄るり鬼一二ノ切 古浄るり子持山姥二ノ切
古浄るりねひき新町
前名和佐太夫
嶋太夫 豊竹若太夫
幾竹屋庄蔵と云
其名江戸ニ而高し。生涯の内評判よき浄るり戯題、
先代萩御殿場 お千代半兵衛新八百屋 小田館五ッ目
古浄るり三勝書おき
二代目 豊竹時太夫
カサゴト
妹脊門松油やノ切名人なり。
二代目 豊竹八重太夫
伊豆平ト云
おしゆん伝衛衛堀川 名人なり。三ケ津ニ而評判よし。
二代目 豊竹駒太夫
八幡すしト云
此人親の語りものなりo
竹本三根太夫
八兵衛ト云
五人切 名人なり。大坂ニ而評判よし。
竹本咲太夫
男徳斎ト云
此人大坂ニ而評判よく、チヤリ語りの上手なり。其外生涯評判よろしき浄るり戯題、
妹脊山序ノ切 伊賀越六ッ目ノ口
竹本内匠太夫
畳屋久四郎と云
生涯の内評判よき浄るり戯題、
鎌倉山七ッ目 博多織中ノ巻
豊竹氏太夫
天満屋清五郎と云
生涯の内評判能浄るり戯題、
伊達競七ッ目 比よく塚大鳥村
竹本筆太夫
油屋佐助と云
江戸ニ而評判宜、生涯語り物の内評判能浄るり戯題、
妹脊山酒屋 城木屋 糸さくら小石川
ひよく塚花川戸 お千代半兵衛万代曾我
二代目 豊竹百合太夫
鬼と云
生涯の内評判受たる浄るり戯題、
昔八丈鈴の森
竹本村太夫
中村屋源次郎と云
生涯の内評判受たる浄るり戯題、
本町育行徳 矢口道行
前名入太夫 三代目 豊竹時太夫
源七と云
生涯の内語り物評判よき浄るり戯題、
大功記七ッ目 狭間合戦五ッ目
前名梶太夫 二代目 竹本染太夫
京屋幸七と云
生涯の内評判よき浄るり戯題、
おつま八郎兵衛鰻谷
竹本弥太夫
紙屋儀右衝門と云
生涯の内評判能浄るり戯題、
鎌倉山四ッ目
豊竹頼太夫
米屋利右衛門と云
生涯の内評判よき浄るり戯題、
白石噺逆井村
前名濱太夫 二代目 竹本綱太夫
猪の熊甚兵衛と云
生涯の内評判よき浄るり戯題、
阿漕ケ浦
竹本越太夫
大和屋利助と云
生涯の内評判よき浄るり戯題、
鳴戸順礼場
竹本座三味線
靏沢平五郎 大西東蔵
冨沢藤次郎 靏沢文蔵
竹沢弥七 靏沢市太郎
同作者
長谷川千四 竹田出雲掾
近松半二 三好松洛
同人形
桐竹三右衛門 桐竹助三郎
桐竹門三郎 桐竹勘次郎
古今名人二代目吉田文太郎
豊竹座三味線
竹沢藤四郎 野沢文五郎
靏沢十次郎 靏沢名八
竹沢和七
同作者
並木宗輔 並木丈助
安田蛭文
同人形
藤井小八郎 若竹藤九郎
豊松東五郎
靏沢寛治
豊竹座昔より立物弾、名人ニ一而名高し。
前名三次 靏沢蟻鳳
三ケ津ニ而評判よろ敷、西東を勤、音色妙ニ而上手なり。
寉沢鬼一事 松雨斎
文蔵弟子、立物にて大音なり。
前名駒吉 竹沢弥七
西東の太夫語り能、小音なれども妙なり。此人靏沢とも云。
前名安次郎 靏沢浦七
ひんよくきれいにて名高し。
前名吉五郎 野沢喜八
京都ニ而立物なり。上方野沢家皆此人の弟子なり。
初吉五郎又松屋町とも 野沢吉兵衛
古今拍子よく面白き事妙なり。
野沢庄次郎
語りよき事真実派手にて妙に上手なり。
初冨八と云 野沢八兵衛
江戸ニ而希者、数年立物にて名高し。
初吾八と云 靏沢蟻鳳
後年喜楽と云。此人大坂の産ニして江戸ニ下り立物と成、名高し。
野沢藤三郎
三ケ津修行して立物と成、後ニ二代目八兵衛となる。
初勇二と云 靏沢吾八
立物にて音色よく語りよし。
前名喜二郎富八 野沢良助
事知りにて名高し。
人形方
文三郎弟、立物ニ而名高し。 吉田文吾
古今面白くつかひ上手ニ而名高し。 吉田才治
大丈夫ニ而昔より立物なり。 吉田冠蔵
江戸の希者ニ而女郎遣ひの上手なり。 藤井弥市
江戸ニ下り、評判よく立物なり。 桐竹門蔵
豊竹坐の女郎遣ひ立ものなり。 豊松重五郎
名古屋より江戸ニ下り立物也。前名萬吉 吉田三郎兵衛
吉田藤九郎
吉田乙五郎
豊松東十郎
吉田冠二
吉田新吾
吉田岩五郎
吉川清次
此人〃後に立物となり、おもひおもひに遣ひわけ、末〃にて立物となり、名高し。
提供者:ね太郎さん(2003.09.16)