FILE 45-2

【藤井乙男 外題年鑑及び操年代記の異版】

(2019.03.07)
提供者:ね太郎
 
藤井乙男 「外題年鑑及び操年代記の異版」 江戸文学叢説(1931.9.10) p403-407
 
 兩書は淨るり操の研究には、是非參考せねばならぬ重寶な書物であるが、共に多少の誤謬は免れないやうで、殊に年鑑の方は年代の誤や異名同書を別々に數へた類の疎漏が多い。それは兎に角茲には兩書の異版について少しく述べて見よう。
 年鑑の初版は寶曆七年二月の刊行で、巻首に淨るりの沿革や正本出版の歴史を述べた五丁に渉る八十翁一樂の序文があり、興行年代も竹本座の國性爺(正德五年)以前は、出世景淸、蝉丸、曾根崎心中、用明天皇職人鑑、丹波與作、天神記の年月を記したるのみで、其他はすべて年月の記載が缺けてをる。豐竹座の分も鎌倉三代記(享保三年)以前のものは總て同様で、總紙數は五十五丁である。
 第二版は明和五年で増補外題年鑑と題し、是には初版の序文を省き、京都竹本義太夫芝居の部に花景圖都鑑(寶曆十二年)契情あこや松(同十四年)京羽二重娘形氣(同年)を加へ、共次の追加の文章を省き、竹本座の部にはすべて興行年月を記入し、且出世景清以前に世繼曾我、藍染川、いろは物語、賢女手習鑑、賴朝七騎落の五條と、末に薩摩歌伎鑑(寶曆七年)以下四十條、豐竹座の部には末廣十二段(元禄十五年)以前に東山子日遊、源三位賴政、大職冠知略玉取、傾城懷子、佐々木大鑑の五種と、末に清和源氏十五段(寶曆七年八月)以下二十四條を増補し、總紙數六十八丁である。
 第三版は安永八年で、是には堀江市ノ側豐竹此太夫座之分、大坂所々新淨るり之分、江戸表新淨るり之分、京都淨るり之分、讀本淨るり之分、合計十丁を増補し、竹本座の部では傾城阿波の鳴門(明和五年六月)以下二十七條、豐竹座の方には源平鵯鳥越(明和七年九月)以下十二條を加へて、總紙數七十九丁となつて居る。
 第四版は寛政四[ママ]年で、第三版とほゞ同様であるが、これには第一版の序文を復活せしめ、山本土佐掾の語物に楠天外兵法問答、むらさき野、生捕八百人、行基誕生記、加賀掾の部に丹生山田、梅雨左門由來、傾城反魂香、加増曾我、粂盛久地獄ゑとき(後の二つは第三版の忠信身替物語を省き、その代に入れたもの)を加へ、竹本座の部に生玉心中、末に繁花池男鑑(安永八年)以下十九種、豐竹座の部に小野小町都年玉、井筒屋源六戀寒晒、末に汐境七草噺(天明二年)以下七條を加へ、市側芝居の部に近江國源五郎鮒(安永八年)以下二十三條、所々淨るりの部に假名寫阿土問答以下八條、江戸の部に伊達競阿國戯場以下二十八條、京都の部に源平二振弓以下六條、その他巻尾に花飾三代記以下五種と太夫の改名十二人を増補した。丁付は八十とあるが複丁があつて實際は八十八丁である。
 以上四種の外に江戸版の偽版がある、これは横本で題簽は古今淨瑠璃年代記、内題は古今外題年代記とあつて、奥付に
  寶暦十三癸末年十月吉日
      大傳馬町三丁目山本新道
書林 玉泉堂 加藤喜次郎
      本銀町一丁目かし
  板元 松本屋助七
とある。全く外題年鑑を剰窃したもので、ほんの申譯だけに江戸の操座に關する左の數行を加へてをる。
江戸竹本伊勢太夫 佐太夫事
寶暦十一巳年葦屋町民松座跡取立普請成就して當三月やぐらにまくをはられたり始の淨るりは
三浦大助紅梅靱 座本祝儀 伊勢太夫/出語三味 宮澤市之丞
   江戸薩摩外記座 座元 小倉小四郎
寶暦十三末年大西藤藏後見いたされあやつり興行則大坂より竹本千賀太夫同岬太夫下り
   おはつ德兵衞曾根崎模様
 此他において初版の外題年鑑と異なる所は、竹豐以外の古淨るり外題を一括して掲げたると、竹本座の部に敵打宗禪寺馬場(寶曆八年三月)以下十一種、豐竹座の部に祇園祭禮信仰記(寶曆七年十二月)以下八種を加へたるのみ。
 操年代記は繪入半紙本二冊のかなり體裁のよい本であるが、是にも江戸の偽版があつて、それは横本の極めて見すぼらしい粗版で、繪を全部省き序文を變へ、本文では井上播磨の語物の目録と近松以外の作者の目録とを省き、漢字を假名に改めなどして總丁數二十四枚の小冊で、巻末に「寛政八丙辰九月吉日 伊勢町裏川岸本清板」とある。その奥付の廣告に「三芝居役者評判記元禄年中より寶永正德時代江戸四座の評判記御座候間御もとめ可被下候もつともかし本にもいたし候」とあるので、此本屋の身元が窺はれる。(昭和二年二月典籍之研究)