(一)
四十年程昔の話である。郷里の田舎に亀さんといふ十歳位の男の子があつた。それが生れてはじめて芝居といふものを見せられたあとで、誰かからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはかう答へた。「妙なばんばが出て来て、妙なぢんまをづいて、づいてづきすゑた」。これを翻訳すると「変な老婆が登場して、変な老爺を叱り飛ばした」といふのである。その芝居の下手さが想像される。
つい近頃或る映画の試写会に出席したら、すぐ前の席に矢張り十歳位の男の子を連れた老紳士が居た。その子供が恐らく生れてはじめて映画といふものを見たのではないかと想像されたのは、映画中何遍となく「はあー、いろんなことがあるんだねえ。……はあ、いろんなことがあるんだねえ」といふ歎声を操返して居たからである。実際その映画には大人にも面白い「いろんな」ことがあつたのである。
見なれた人にはなんでもない物事に対する、これを始めて見た人の幼稚な感想の表現には往々人をして破顔微笑せしめるものがあるのである。
文楽の人形芝居については自分も今迄話には色々聞かされ、雑誌などで色々の人の研究や評論などを読んでは居ながら、つい/\一度もその演技を実見する機会がなかつた。それが最近に不思議な因縁から或日の東京劇場におけるその演技を臍の緒切つて始めて見物するやうな廻り合せになつた。それで、この場合における自分と、前記の亀さんや試写会の子供とちがふのは唯四十余年の年齢の相違だけである。従つてこの年取つた子供のこの一夕の観覧の第一印象の記録は文楽通の読者にとつて矢張りそれだけの興味があるかも知れない。
入場したときは三勝半七酒屋の段が進行してゐた。
人形そのものゝ形態は、既にたび/\実物を展覧会などで見たり或は写真で見たりして一通りは知つてゐたのであるが、人形芝居の舞台装置のことについては全く何事も知らなかつたので、まづ何よりもその点が自分の好奇的な注意をひいた。先づ鴨居から吊るした障子や木戸の模型が面白かつた。次に面白いと思つたのは、舞台面の仮想的の床がずつと高くなり、天井がずつと低くなつて天地が圧縮され、従つて縮小された道具とその前に動く人形との尺度の比例が丁度適当な比例になつてゐるために、人形の方が現実性を帯びると共に人形使ひの方が却つて非現実的になつてくるといふことである。そのため人形の方が人間になり、人間の方が道具になつて居るのである。
見ない前には定めて目障りになるだらうと予期して居た人形使ひの存在が、はじめて見たときから一向邪魔に感ぜられなかつたのは全くこの尺度の関係からくる錯覚のおかげらしい。黒子を着た助手などはほとんど唯ぼやけた陰影位にしか見えないのである。
酒屋の段は、こんな事を感心して居るうちにすんでしまつた。次には松王丸の首実験である。最初に登場する寺小屋の寺子等は甚だ無邪気でグロテスクなお化け達であるが、この悲劇への序曲として後に来るべきものゝコントラストとしての存在である以上は、かうした粗末な下手な子供人形の方が、或は却つて生きたよだれくりどもより好いともいはれる。
松王丸の松王丸らしいのに驚かされた。人間の役者の扮した松王丸の中には、どうしても、その役者が隠れてゐて、しかも大いにのさばつてゐるために、吾々は浄瑠璃の松王丸を見るかはりに俳優何某の松王丸しか見ることが出来ないのであるが、この人形の松王丸となると、それが正真正銘の浄瑠璃の世界から抜けだして来た本物の松王丸そのものになつてゐる。つまり絶対の松王丸になつて居るのである。さうしてそれがそれ程誇張されない身振りの運動のモンタージュによつて、あらゆる悲痛の腹芸を演ずるから面白いのである。
松王丸の妻もよく出来て居た。源蔵の妻よりもどこか品格がよくて、さうして実に又、如何なる役者の女形が本当の女よりも女らしいよりも更に一層より多く女らしく見える。女の人形の運動は男のよりもより多く細かな曲線を描くのはもとより当然であるが、それが人形であるためにさういふ運動の特徴が一層抽象示揚されるのであらう。泣き伏すところなどでも肩の運動一つでその表情の特徴が立派に表現される。見て居るものは熱い呼吸を感じ心臓の鼓動を聴くことが出来るのである。
このやうに無生の人形に魂を吹き込む芸術が人形使ひの手先にばかりある訳ではない。舞台の右端から流れだす義太夫音楽の呼気がかゝらなければ決してあれだけの効果を生ずることは出来ないのは勿論である。それかといつて、人形の演技は決して此の音楽の唯の伴奏ではなくて、聴覚的音楽に対する視覚的音楽の対位法であり、立派な合奏である。もつともこの関係は歌舞伎でも同様な訳であらうが、人形芝居において、それがもつとも純化され高調されて居るやうに思はれるのである。
(二)
次の幕は「葛の葉の子別れ」であった。畜生の人間的恩愛を描いたこの悲劇の不思議な世界の不思議な雰囲気も、矢張り役者が人形であるがために却つて濃厚になり現実的になるから面白いのである。
最後に「爆弾三勇士」があつたが、これも前に一見した新派俳優のよりも遙に面白く見られた。人間がやつて居ると思ふと、どうしても感じる矛盾や不自然さが、人形だと、さう感じられない。あれで、もし背景などをもう少し工夫してあれ程写実的にしなかつたら、一層良い放果を得られはしなかつたかと思はれたのであつた。
かういふ新しいものを人形芝居に取入れることについては異存のある人が多いやうであるが自分はさうは思はない。もつと遠慮なく取りいれて見てもいゝだらうと思ふ。見なれないうちは少し可笑しくても、それは構はない。百年の後には「金色夜叉」でも「不如帰」でも矢張り古典になつてしまふであらう、義太夫音楽でも時と共に少しづゝその形式を進化させて行けば「モロッコ」や「街の灯」の浄瑠璃化も必ずしも不可能ではないであらう。こんな空想を帰路の電車の中で描いて見たのであつた。
このはじめて見た文楽の人形芝居の第一印象を、近頃自分が興味を感じて居る映画芸術の分野に反映させることによつてそこに多くの問題が喚起され、又その解決の鍵を投げられるやうに思はれる。特に発声映画劇と文楽との比較研究は色々の面白い結果を生むであらうと思はれる。さうしてその結果は人形芸術家にも映画芸術家にも、色々の新しい可能性の暗示を授けるであらうと想像される。
例へぱ、スクリーンの映像では、その空間的位置がちやんと決定されて居るのに、音響の方は、聞いただけでその音源の位置を決定する事が出来ない。この事が色々問題になつて居るが、文楽でこの問題は夙に解決されて居る。即ち、例へば、酒屋の段のお園が手紙を指して「ふ、う、ふ、と書いてある」といふところがある。その音源はお園からは十メートル近くも離れた上み手の太夫の咽喉と口腔にあるのであるが、人形の簡単なしかし必然的な姿態の吸引作用で、この音源が空中を飛躍して人形の口へ乗り移るのである。この魔術は、演技者がもしも生きた人間であつたら決して仕遂げられないであらうと想像される。
もし、人間の扮したお園が人形のお園と精密に同じ身振りをしたとしたら、それは多分唖者のやうに見えるか、せい/\で、人形の真似をして居る人間としか見えないであらう。然るに人形のお園は太夫の声を吸収同化して却つて本当のお園そのものになり切つてしまふのである。こゝに人形劇の不思議があり、秘密がある。この秘密こそ発声映画研究家の真面目に研究し解決すべきものであらう。この現象の原因はどこにあるか、それは自分にはまだよく分らない、併し、次のやうなことも考へられる。
吾々は人形が声を発しない事を知つて居る。併し人形の表情の暗示によつてそれが声を発してくれる事を要求して居る。その要求に適合し得べき声がどこかから聞こえてくるとすれば、その声はひとりでに人形に乗り移つてしまふ。ところが、これが人間の役者の場合だとさうは行かない。吾々は人間が声を発し得ることを知つてゐる。のみならず、その声がどこから、どういふ風に聞こえなければならぬかを熟知し期待してゐる。それが、ちがつた見当から、ちがつた風に聞こえてくると、結果は当然幻滅であり矛盾である。それは自然なものと不自然なものとの衝突から生じる破綻である。要するに吾々が人形の声を知らぬことがこの秘密の鍵であるのではないか。
(三)
これに似たことは映画の発声漫画においてしば/\発見されるかと思ふ。例へぱ黒い線だけで描いた漫画の犬が妙な声をだして何か唄ふとする、これが本物の犬の映像だと甚だ困るであらうが、映画の犬だとそれが極めて自然なことであり、その唄は本当に線画の犬が歌つて居るとしか思はれない。不自然と不自然が完全に調和するのである。これも畢竟、吾々が画の犬の声を持たない事を知つて居るからである。それにも拘らず吾々の視覚からくる暗示は必然にこれが何かしら歌ふべきことを要求する。そこへ響いて来る唄の声が、たとへライオンのやうな声であつても、それは矢張りその映画の犬の唄らしくしか聞かれないであらう。映画の犬は決して犬ではないからこそかういふ事が可能である。
これと聯関して考へられることは、人形の顔の表情のことである。嘗て何処かで、人形の顔は何故にあんなにグロテスクでなければならぬかといふことに関する三宅周太郎氏の所論を読んで非常に面白いと思つたことがあつた。今はじめて人形芝居を実見して 成程と思ひ当るのであつた。なる程、もしも人形の顔なり身体なりが、余りに平凡な写実的のものであつたとしたら、恐らく人形の劇的表情は半分以上消えてしまふであらうのみならず、不自然、非写実的な環境の中に孤立した写実は全く救ひ難い破綻を見せるであらう。
女形が女よりも女らしく、人形の女形の方が生きた女形よりも更に女らしいといふ事実にも、矢張り同じやうな理由があるのではないか。もと/\男は決して女にはなれない。それだから女形の男優は、女といふものゝ特徴を若干だけ抽象し、さうしてそれだけを強調して表現する。無生の人形は更に一層人間の女になれるはずがない。それだから更に一層これ等の特徴を強調する。その不自然な強調によつて「個々の女」は消失する代りに「抽象された女それ自体」が出現するであらう。
この抽象と強調とアクセンチュエーションは、人形の顔のみならず、その動作にも同じ程度に現はれる事は勿論である。例へぱ、すゝり泣く女の肩の運動でも、実際の比例よりも廓大された振幅で行はれる。人間の役者の場合だつたら、却つて滑稽になるだらうと思はれるこの強調が、人形だと極めて自然に見える。さうして、そのすゝりなきの現象が、現実以上に現実的に表現されるのである。
人形の顔とその動作の強調の必要は、一つには又観客と人形との距離からも起つてくる。これと反対の場合は映画における大写し、いはゆるクローズアップの場合である。この技術によつて観客の眼は対象物の直前に肉薄する。従つて顔の小じわの一つ一つ、その筋肉の微細な運動までが異常に廓大される。指先の神経的な微動でもそれが恐ろしく克明に強調されて見える。それだから大写しの顔や手は、決して「芝居」をしてはいけないことになつて居る。それをすると厭味で見て居られなくなるのである。
それだのに、頭の悪い監督の作つた映画では、ちよんまげのかつらを被つて、さうして、舞台ですると同じやうなグロテスクなメーキャップに彩つた顔を、遠慮なくクローズアップに映写する。さうして、舞台ですると同じやうな誇張された表情をさせる。これでは観客は全く過度の刺戟の負担に堪へられなくなるのである。
(四)
巧妙な映画監督は、大写しの何ともない自然な一つの顔を、いはゆるモンタージュによつて泣いて居る顔にも見せ、又笑つて居るやうにも見せる。これはその顔が自然の顔で何等概念的な感情を表現して居ないからこそ可能になるわけである。同じことは能楽の面の顔についても人形芝居の人形の顔についてもいはれる、これ等の顔は泣いて居るともつかず怒つて居るとも又笑つて居るともつかぬ顔である。しかし又それだから、大いに泣き、大いに怒り又笑つた顔となり得る潜在能をもつた顔である。
それで、巧妙な音楽と人形使ひの技術との適当なモンタージュによって、同一の顔が忽ちにして大に笑ひ、忽ちにして又大に泣くのである。かういふ芸術を徳川時代の民間の卑賎な芸人どもはちやんと心得て居たわけである。
生れてはじめて見た人形芝居一夕のアドヴェンチュアのあとでのこれ等の感想のくど/\しい言葉は、結局十歳の亀さんや、試写会における児童の端的で明晰なリマークに及ばざること甚だ遠いやうである。文楽や歌舞伎に精通した一部の読者の叱責或は微笑を買ふであらうといふ、一種のうしろめたさを感じない訳にはゆかない。
自分が文楽を見た頃に丁度チャップリンが東京に来て居た。誰かきつとチャップリンを文楽へ案内するだらうと予期してゐたが、とう/\一度も見には行かなかつたやうである。この頭のいい映画監督は、この文楽の人形芸術のうちから、必ず何物かを拾ひあげて自分の芸術に利用したのではなかったかと想像される。
もつとも、文楽をいくらかでも理解するためには、義太夫のわかるといふことか必要条件であつて、義太夫を取除いた文楽の人形芝居は意味を成さない。さうして、結城孫三郎やダークのマリオネット、乃至はギニョールのパンチとジュデーなどに対する独特の地位を全然喪失してしまふことは明白である。従つて、チャムバレーンにも、メートル、ペリーにも、クシューにも分らなかつたこの東洋日本特産芸術が、チャップリンに完全にのみ込めようとは思はれないのであるが、しかし西洋のあらゆる芸術のうちで、文楽の人形芝居にもつとも近いものは、恐らく近頃の芸術的映画、殊に発声映画ではないかと思はれるから、その点から推して、名監督としてのチャップリンに幾分の期待をかけても甚しい見当ちがひではないかと思はれる。実際チャップリンの無声映画に現れる一つのタイプとしてのチャーリーは、あれはたしかに一つの人形であるからである。
チャップリンよりも或は寧ろロシアのエイゼンシュテインに文楽を見せて、さうして彼の理論に立脚した文楽論を聞く事が出来たら定めし面白いことであらうと想像される。彼は恐らく左団次の修禅寺物語よりは数層倍多くの暗示と示唆を発見するであらう。彼国の「語りもの」に似てゐるといはれる義太夫も、恐らく他のヨーロッパ人に比べては、いくらかよりよくロシア人に理解される可能性がありはしないか。
しかし、結局、文楽や俳諧のやうなものは、西洋人には立入ることの出来ない別の世界の宝石であらう。さうして、西洋の芸術理論家は、かういふものゝ存在を拒絶した城郭にたて籠つて、その城郭の中たけに通用する芸術論を構成し祖述し、それが東洋に舶来し、しかも誤訳されたりして宣伝されることもあるであらう。
四十年前の田舎の亀さんは矢張り一番オリヂナルな芸術批評家であつたかも知れない。
(朝日新聞 1932.6.16-6.19 「生ける人形 文楽の第一印象 (一)〜(四) 吉村冬彦)
(「文楽」光吉夏弥編 筑摩書房 1942.4.30)